××
□6
1ページ/7ページ
case6、帰省三日目。
静岡に来て三日目の朝を迎える。今日も日差しが強く蒸し暑い。昨日の天気予報によると最高気温が30度近く上がるらしいので、外に出る際浩二と夏花には帽子か何か被らせた方が良いだろう。ぼんやりする思考でそう思った灰崎は欠伸をしながら隣で眠る二人を起こさぬようにそっと布団から抜け出し、朝食の準備を手伝う為に台所に向かう。
そして階段から降りて渡り廊下を歩いているその時だった。
「うぉ!?」
「うわ!?すいませっ……!」
まだ眠気から覚めていなかったせいか、前を見ていなく誰かとぶつかってしまった。灰崎は咄嗟に誤り、目線を上げた瞬間、何故か汗だくになっている、空手着姿の虹村が目に映り、呆然とした。
「……」
――虹村の空手着姿なんて初めて見た。いつも着ているバスケユニホームとはまた雰囲気が違う。背筋がピンと真っ直ぐで、凛とした立ち姿。首筋から流れる汗は、異様に色気があり、無意識の内に息を飲む。もし虹村に想いを寄せる女子達が目の当たりにすれば間違いなくぶっ倒れていただろう。だって同性の灰崎ですら今の虹村は艶っぽく悔しい程に格好良い。
「悪い灰崎…!その大丈夫か…?」
「っ!」
なかなか反応を示さず、ただぼうっと立ち尽くす灰崎が心配になった虹村は、いきなり顔を覗き込んできた。不意の接近に驚いた灰崎の眠気は一気に覚め、一歩距離を置いて返事をする。
「え……、あ、おう…!…オレこそ…、悪い…」
「いや、いいよ」
「…虹村サン、朝から何してんの…?何で空手着…?」
「ん?ああ…」
言葉少ない灰崎の疑問をすぐに察した虹村は軽く笑い、簡潔に答える。
「オレばあちゃんの家に行ったら毎朝大介兄と組手やってるんだよ」
「組手…?」
「そう。こう見えてもオレ、ガキの頃から空手やってたんだ。ちなみに黒帯な」
「あっ…」
普段はバスケばかりする彼を見ていたからすっかり忘れていたが、迷子になり泣いていた浩二と夏花と初めて会ったあの日、虹村の捜索をしていた時浩二が自慢気に空手が強いと言っていた。
それに思い出した灰崎は、若干顔を青ざめながら虹村が黒帯とかナニソレ聞いてないと思った。道理で力では彼に勝てない筈だ。最近は部活をあまりサボらない為、殴られる回数が圧倒的に減ったが、部活をサボり反抗しまくっていた当初は彼に見つかる度に笑顔で顔面が腫れるくらいボコボコに殴られていた。
「……オレ、一生アンタには勝てねぇかも」
「あ?何の話だ?」
「いや、別に…。じゃあ、オレは貴腐人方と朝食の準備すっから」
改めて虹村の強さを思い知らされ、久々の恐怖で身震いした灰崎は早々に去ろうとしたが、虹村の手が灰崎の手首を掴み、『灰崎』と呼び止める。
「な、なに…!?」
触れられた途端に心臓はドキリと跳ね、でもそれを必死に隠そうと平静を装うが、赤く色付いている頬はあまり隠しきれていなく、声も変に裏返り、色んな意味で死にたくなった。
でも虹村の表情は柔らかく微笑んだままで、乱れた髪をそっと指先で鋤き、撫でるように整えていく。
「……っ」
まるで愛玩動物を可愛がるような優しい手付き。時折頬も軽く撫でられ、抵抗も反発も出来ない灰崎はただただ硬直し、居心地が悪くなるだけだ。
「……よし、寝癖取れたぞ」
「え…!?あ、ああ…。さ、さんきゅ…」
「どういたしまして。…お前の髪、すげぇ柔らかいから撫でるの気持ち良いわ。もっと触っていたい気分」
「はぁ!?」
直球すぎる虹村の言葉を聞いた途端に、自分の顔が真っ赤に染まったのが嫌でも分かり、恥ずかしくなった灰崎は肩を震わせてから。
「な、に言ってんだよ!?虹村サン馬鹿じゃねぇの!?」
「は…?馬鹿って…、オレは事実を言ったまで…って!?ちょっと待てよ!灰崎!?」
虹村の制止を無視し、全速力で彼から逃げた。
恐らくあの日の夜からどうも虹村の様子がおかしい。普通に話し掛けてくる割には、異様にスキンシップが変わった気がする。以前までもよく抱き着かれたり、頭を撫でられたりはしたが、しかしそれは力加減のない乱雑な触れ方で、今は優しくゆっくりと触れては、甘い笑顔をよく向けてくる。
それが心臓に悪くて、苦しくて、二人きりになるとどう接すれば良いのか分からなくなってしまった。
「――…クソ…!心臓の音止まれよ!うっせぇな…!」
早く静まれ。静まってくれと、ドキドキと騒がしい胸の音を手のひらで押さえ付けていると、背後から妙な気配を感じた。
「……?」
恐る恐る振り返ると、有紀や、彼女の母親である美佳を含め総勢7名の貴腐人方が襖から顔半分を覗かせてはニヤニヤとしていた。
「な、なんっすか…!?」
「いやぁ、リアルホモって本当に素晴らしいわね」
「朝から初恋メモリアルを見せつけてくれちゃって〜」
「色々とご馳走さま!これでおばさん、まだまだ長生き出来るわ…」
「さぁ、これを糧に今日も元気に朝食を作っていくわよ〜」
「おー!」
「は………?」
一瞬、彼女達が何を仰っているのか理解出来ず固まっていたが…。
「…………っっ!!!」
先程の一部始終をバッチリ見られていたことに漸く気が付いた灰崎の顔は耳まで真っ赤になり、涙目になって反射的に否定する。
「ち、ちが…!?さっきのは別にホモ的なやつじゃなくて!!」
「あーら照れなくても良いじゃない祥吾くん」
「おばさん達こう見えて口堅いから男達には黙っておくわ」
「それにしても修造ったら分かりやすい程に態度に出てるわね!本当祥吾くんにベタ惚れなんだから〜」
「あっははは!有紀、それが修造くんの良いところなんだよ。あの子は昔から嘘つけないから」
「まぁ、それもそうね。素直な攻めも嫌いじゃないし」
「だから違うっつってんだろぉ!?聞いてくれよオレの話をぉ!!」
人の話を全く聞かず勝手に妄想を語り合ってはきゃいきゃい騒ぎ、朝食の準備を着々と進める女性陣に向かって必死に否定を続けるが、結局は聞き入れてくれず、拗ねた灰崎はぶすくれながら大きな土鍋で味噌汁を作るのであった。
◇◆◇◆
そして朝食の時間。食欲不振になりがちのこの季節、子供達には食べやすいようにと目玉焼きトーストと、リンゴと桃とミカンをあえたフルーツサラダを作り、大人達には焼き鮭と目玉焼き、味噌汁を作った。
料理中は息子や娘達がまだ夢の中にいるのを良いことに有紀や他の奥様方には散々腐った話を振られ、灰崎のライフは0に近かったが、今は自分の子供達に掛かりっきりの為、平和的に朝食が食べられる。内心で助かったと思いつつも、今度は自分の膝の上でむすー、と頬を膨らませながら抱き着いてくる夏花に困惑し、戸惑いながら見下ろす。
「あれ?夏花ちゃん、今日はご機嫌斜めだね。どうしたの?」
「……」
「夏花どうした?何か怖い夢でも見ちまったか?」
「……」
「なーつか?」
「……」
「あらら」
有紀と虹村と浩二が心配になり声を掛けてみても頬の膨らみが増すだけで無言を貫く。その代わり灰崎に抱き着く力が少しだけ強くなった。
「あー…」
これはもしかしなくても灰崎に原因があるのかも知れない。夏花の機嫌が悪くなる理由なんて大抵灰崎絡みなのだ。
「夏花」
「っ!」
頭をぽんぽんと優しく撫でたら肩がピクリと跳ねた。深く俯く顔を覗き込んだら、じわりと瞳から涙が滲んでいて、すぐに原因が分かった灰崎は苦笑を浮かべ、ぎゅうぎゅうに抱き締め、背中をひたすら撫でる。
「夏花さ、朝起きたらオレがいなくてビックリしたんだろ?」
「…っ、ふ、ぅ…」
「それで淋しくなって剥れていたんだよな?置いてきぼりにしてごめんごめん。気持ち良さげに寝てたからさ、起こしたら可哀想かなって思ったんだよ」
「ふっ、ぇぇぇ…!うぅーっ…、なっちゃん、が、んばって、はやおきするもん…!だ、から、おいてかないで…!おいていっちゃ、やだぁっ…!」
「ん、ごめん。じゃあ明日からは夏花もオレや叔母さん達と一緒に朝ご飯の用意してやろうな?」
「ひっく、ひっく…!う、ん…!するぅ…!」
「よしよし、夏花はいい子だな」
「う、わぁぁんっ」
「「………」」
全て図星だったのか涙腺が一気に決壊し、わんわんと泣き出す夏花の背中をゆっくり叩き、優しくあやしたり、頭を撫で続ける灰崎の姿を呆然と眺めていた虹村と有紀は、互いの顔を見合わせてから、母親(?)の凄さに感服する。
「祥吾くんすごい…。夏花ちゃんマスターか!」
「…流石のオレも夏花の気持ちをすぐに汲み取るのは無理だわ…」
「バカね修造。これは母親にしか出来ない技なのよ」
「おい待て。灰崎は夏花と浩二の母親になった覚えはねぇぞ?」
「…ああ、祥吾はオレの奥さんだから弟達には渡さないって?もう朝から独占欲丸出しとかお熱いこったわね!元々高かった気温がもっと上がってしまうわ」
「ばッ!?ちっげーよ!!誰もそんなこと言ってねぇだろ!?」
「やだぁもうリア充爆発しろー!」
「人の話を聞けよオイ!!」
「………?」
朝から独占欲だのリア充だのあの二人は一体何の話をしているんだろかと首を傾げながらも、鼻をぐすぐす鳴らしながらトーストをはむはむと食べる夏花を優しく見守り、時には口周りをベタベタに汚す浩二の口を布巾で拭いてやった。
もう大体の人達は朝食は済ませたのか、叔父達は新聞を読んだり、テレビを見たりしていて、奥様方はちゃきちゃきと食べ終わった皿の後片付けを開始する。
「ほれ、修造も有紀もはよ食べてしまい。今日は畑の収穫を手伝ってもらわなぁだめだかんなぁ」
「はーい」
「…おう」
「畑の収穫?」
真っ赤になり怒る虹村を更に盛大にからかう有紀を祖母が制止し、有紀は機嫌よく、そして虹村は渋々と朝食をかき込む。
今日の予定をまだ聞いていなかった灰崎は目を丸くするが、虹村の父がすぐに説明してくれた。
「ああ、ウチのお袋、畑を耕しているんだよ。毎年夏になるとキュウリやとうもろこしやトマトがたくさん採れるからね」
「へぇ、それは凄いっすね!」
「だからね!今日はなっちゃんとこうちゃんもおばあちゃんのお手伝いするんだよー!」
「いっぱいとうもろこしとってやるんだからな!」
「そうか。……ってことはあれか?オレも手伝うことになるんすかね?」
虹村達が収穫に行くならば、当然自分も手伝わなければならないだろう。だが祖母は『いんや』とニッコリ笑い。
「修造の嫁さんにそんな力仕事はさせられねぇべ。修の介護だけじゃなく食事の準備も手伝って貰っているのに」
と、言ってきたので灰崎はすぐさま否定する。
「いやおばあちゃん、オレ性別上男だから手伝うよ。嫁でも何でもねぇし」
「でもぉ、これ以上は悪いべぇ」
「いや大丈夫だから!オレ見た目通り体力には自信があるから!」
虹村の嫁扱いを受け、男扱いされていない方がよっぽど居心地が悪い。だからむしろガンガンコキを使ってくれと祖母に頼む灰崎の頭を虹村は手のひらでぽんと置き、『収穫の手伝いはやめとけ』と止められた。
「え?なんでだよ…?」
「お前、意外と肌が弱いだろ?日に焼けると肌が真っ赤になってヒリヒリと痛むと思うからやめとけ。せっかく綺麗な白い肌してんのに焼けたら勿体ねぇぞ?」
「は…!?」
何故肌が弱いことを虹村は知っているんだ!?つか今綺麗とか恥ずかしいことを言った!?と仰天する暇もなく、『あー、それはいけねぇ!昼はゆっくり家で過ごしぃ』と祖母からも強く勧められ、結局断り切れなかった灰崎は、お言葉に甘えて、昼はゆっくり過ごすことした。