おそ松さん

□今日だけ…
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十四松の想い人が田舎に帰り、早数日が過ぎる。

あの日泣く彼女に笑って別れを告げ、兄弟達が待つおでん屋へと戻った十四松の顔は酷くボロボロで、止まることを知らない涙のせいで瞼はパンパンに赤く腫れ、鼻先も真っ赤に染まり、泣きながら帰ってきたのか声もいつもより掠れていた。
そんな五男の姿に誰もが優しく『おかえり十四松(兄さん)』と告げ、長男はその場で泣き崩れる十四松を抱き締めて泣き止むまでの間、頭を何度も何度も撫でてあげていた。

久しぶりに六子の中で一番気が弱く泣き虫な十四松を見た気がするのだ。

互いに想い合っていたと言えど振られて失恋してしまったことに変わりはない。だから兄弟誰もが完全に立ち直るまで暫くは時間が掛かるかも知れないと思い込んでいた。

けれど翌日。

「一松兄さーん!ねぇ!朝の素振りに付き合ってよ!」

「え…!?」

いつもの十四松に戻っていた。あの日の出来事などまるで始めからなかったような明るい笑顔で。これには一松も度肝を抜かれ、声が思わず上擦り、あからさまに動揺した。
これはいつも通りに対応するべきかと迷ったが、バットを握る十四松の手が微かに震えていることに気付き、一松も、その場にいた兄弟達も静かに息を飲んだ。

兄弟達に心配を掛けさせまいと十四松は無理して空元気を出している。まだ心の傷は全然癒えてない癖に、何故無理して笑うのかと思ったが、それが十四松なりの優しさなんだと誰しもが理解出来ているから何も言い出すことが出来ず、せめて十四松の望み通り、こちらもいつも通りに接してやらないと駄目だと思い、一松は『分かった』と立ち上がり、縄を持って十四松と外に出た。

けれど素振りに付き合っている時、一緒に朝食を取っている時、野球をしている時、十四松のいつものはっちゃけた元気は当然なく、遠くに行ってしまった彼女のことを思い馳せているのか常に上の空で、時々何かの衝動で泣きそうになり、でも慌てて涙を拭き『えへへ。野球楽しいね一松兄さん!』と無理矢理笑顔を作る十四松の表情はなんとも痛々しく、兄として何もしてやれない自分に歯痒さを感じた一松は『そうだな』と頷き気まずく笑うしかなかった。

しかしそれが数日続くとなると一松の精神は段々と削れていき、十四松のいない所でちゃぶ台に顔を埋め、ぐったりすることが多くなった。心配になったおそ松達は一松に声を掛ける。

「一松ぅ…大丈夫かぁ?」

「もう嫌だ。今の十四松の笑顔を見るのが辛い…。落ち込んでいる弟に何もしてやれない自分が情けなくてもう死んじゃいたい」

「そこまで追い詰めていたのか!?って待て待て一松!!」

「待って早まらないで一松兄さぁん!!」

十四松の素振り練習に付き合う際にいつも使用している縄を取り出し、自ら首を巻いて自殺に図ろうとする一松を、チョロ松とトド松が必死に止めた。知ってはいたけど普段からどんだけ五男が可愛くて仕方ないんだこの四男は!

「まぁ一松の言うことも分かるけどなぁ。最近の十四松、明らかに無理してんもんなぁ」

三人のやり取りを眺めながら苦笑した長男はどうしたもんかねっとため息をつく。
一松だけではない。他の兄弟達も今の十四松はとても放っておけず、『無理はするなよ』『辛かったらいつでも言ってね』と声を掛けたりはしているのだが十四松は決まって『俺は大丈夫だよ。心配してくれてありがとう』って笑うだけ。あの日以来、泣き虫の十四松が出てくることはなかった。

「十四松もさぁ、お兄ちゃん達に泣きついてくれたら、もっとこう甘やかしてやれるのに!」

「仕方ないだろ。十四松は十四松なりに俺達に気を遣ってくれているんだよ…」

「気を遣う必要なんかないのにね。僕達兄弟なのに…」

「……」

「そ、それはそうだけど…」

いつも明るい笑顔で場を和ませてくれる松野家五男が不在なだけでこのお通夜みたいな沈黙とした重い空気。チョロ松ももうどうすればいいんだよと困り果て、痛む頭を押さえていた時、皆の様子をただひたすら傍観していたカラ松が不意に沈黙を破った。

「なぁ兄貴」

「ん?どうしたカラ松」

「今日一日、俺が十四松の相手して良いか?」

「はぁ?クソ松が?」

「ちょっとクソ松兄さん。本気〜?」

約一名は不満げに、もう一名は不安そうに"クソ松"呼びを継続させて訪ねていたので、チョロ松はうっかりスルーしそうになったが、数秒後すぐに気付いたのか慌てて『お前らいい加減普通に呼んでやれよ!!』と二人にツッコんだ。

「俺は別に良いけど、カラ松大丈夫か〜?」

正直言って今の十四松は扱い難いし、いつもの倍以上に気も遣う。一番仲の良い一松でさえダウンする程だ。だから普段あまり一緒にいないカラ松が十四松に上手く対応出来るのかと問い掛けた時、カラ松は柔らかく微笑み、肩を竦めた。

「どうだろうな。十四松を元気付けてやることは出来ないかも知れない」

「おいおい」

「だが血を分け合った大切な兄弟だ。何もしないよりかは、何かしてやった方がずっとマシだと思わないか?」

珍しく正論を告げるカラ松に一同はぽかんとし、長男だけはカラ松らしい意見だと思い、プッと笑う。

「そりゃそうだな」

「だろ?」

「んじゃ今日一日、十四松を頼むわ」 

「任せてくれ」

そうと決まればカラ松がすぐさま立ち上がり、麩を開け、庭で『あいっ!あいっ!』と掛け声を上げながら素振りをする十四松に声を掛けた。

「なぁ十四松」

「あ、カラ松兄さん!なーに?」

「今日は俺と一緒に野球しないか?久々にお前と遊びたくなったんだ」

「わーい!いいよー!!」

両手を広げ喜ぶ五男の姿に次男は『じゃあ行くか!』と穏やかに微笑み、十四松の肩を組み、彼がいつも練習する際に行っている川原へと向かうことにした。


◆◇◆◇


「はぁっ…、はぁっ…!十四松っ…、お前相変わらず足が速いなぁ」

「そうかな!?でもカラ松兄さんもすっごく速いよ!!」

「いやお前には負けるよ」

高校を卒業して以来かも知れない。こんなに全力で走り込みをしたのは。
学生時代に比べたら随分体力が落ちてしまったカラ松は息を切らし、バクバクと心拍数が高なる心臓を押さえながら、草むらに座り込む。いくら体力に自信あるからといって運動不足を完全に嘗めていた。たまには十四松に付き合って運動するのもありだなと思い、失った水分をスポーツ飲料で補っていた時だった。

「……」

「!」

急に喋らなくなった十四松がボートに乗って会話を楽しむカップルの姿をぼんやりと切なげに眺めていた。

――あ…。

そう言えば兄弟皆でデートの尾行をしていた時、十四松とあの彼女もボートに乗っていた。あんなに楽しげに笑い合いながら。
ここに来るのは明らかに不正解だった。これでは十四松の心の傷を抉っているようなものだ。遅くながらもそれに気付いたカラ松はもっと早く気付いておくべきだったと己を責め、十四松の手首を掴んで立ち上がった。

「十四松!」

「…あ、なーに?カラ松兄さん!」

「今日はバッティングセンターで打たないか?」

「バッティングセンター?でも俺お金持ってないよ?」

「あはは!それくらい俺が出してやる。今月はちょっと余裕があるからな!」

まぁ、全て親の金なんだがな、と心の中で付け足すと、十四松は一瞬間を置いてからこくんと頷いた。

「…うん、分かった!じゃあそうしよ!」

「ああ」

わっせわっせわっせ!と元気よく走る十四松の姿に一瞬ホッと胸を撫でおろしかけたが、安堵してはいけないとすぐに首を左右に振る。さっきにぱーと大口を開けて笑う十四松の表情が微かに引きつっていた。
あれが今朝皆が言っていた無理して笑う十四松の笑顔なんだろう。確かに見ているだけでも痛々しく、目を逸らしたくなる。だって口元を笑って見せても目がはっきりと"寂しい"、"悲しい"、"もう一度あの子に会いたい"、"彼女が愛しくて堪らない"と語っているのだから。

――本当に彼女のことが好きだったんだな。

弟の純粋で真剣な恋心を垣間見てしまったカラ松は、誰彼かわまわず遠くからアピールをして逆ナン待ちをし、無駄に格好付けてしまう自分とは大違いだなと思う。十四松のように誰かを真剣に思って、必死に追い掛けるような恋を、カラ松は一度もしたことがない。

「カラ松にーさーん!!早く行こうよー!!」

「ああすまない!今行く」

ぶんぶんと手を大きく振って自分を呼ぶ十四松の大きな声でハッと我に返ったカラ松は、慌てて彼の元に駆け寄った。
そして十四松と共に向かった場所は通学付近にあるこじんまりとした小さなバッティングセンターだった。ここは学生をターゲットに運営しているので値段も良心的で有り難い。それに一昔前に稼働されていたシューティングゲームもあるので、暇潰しには最適だろう。

「よーし!たくさん打つぞー!」

やる気満々の十四松は鼻息を荒くしながら左奥の打席に入り、速度調整をいきなり140kまで上げ、『わっせーい!』という掛け声と共にボールを高く打ち上げた。これには他の客(多分中学生くらい)も驚いたように十四松に目線をやり、後ろから眺めていたカラ松は流石俺の弟だと鼻高々になる。
そして暫くの間ホームランを打ち続ける十四松の背中を見つめていたカラ松はこれで少しは気が晴れてくれると嬉しいんだがと思った。分かっている。失恋の傷がそう簡単に癒えるものではないと。しかもお互い両想いであったのなら尚更だ。
まぁ、両想いだったという確証は何処にもないのだが、それでもカラ松は彼女も十四松と同じ想いを抱いていたと思っている。だって弟を見つめていた彼女の頬が仄かに赤く、瞳にははっきり十四松に対する恋情が露にされていたのだ。あれを恋する女性と言わず何と呼ぶ。

――二人がいつか再会する日が来れば良いのにな…。

可能性は低いと分かりながらもそう願わずにはいられない。

いつか十四松の恋が成就出来るよう祈りながらカラ松は、『カラ松兄さんもやろうよー!』と声を掛けて誘ってくれる五男に優しく微笑み、『ああ』と言って打席に入る。
それから暫くの間は二人で打ち合いを楽しみ、お昼になればファーストフード店で適当に昼食を取り、その後は十四松が行きたいと言っていたスポーツ店に連れて行き、色んなバットやグローブを見ては語り合い、それが終われば近所の公園でキャッチボールをし、久々に思いきり遊び倒した。
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