×また子受け

□小金梅笹
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暗い、食らい、狂い


深く闇に、墜ちていく





目が覚めた。時刻は午前3時49分。深く、息を吐く。まだ目覚めるには、少々早い。もう一眠りしようかと横になったが、目を瞑れば闇がやってきて、下らないことを考えてしまう。見えすぎる世界が嫌いなくせに、闇に覆われた世界も苦手だ。立ち上がり、机の上のサングラスを手に取る。これが、自分にとって丁度いい世界。

誰かの足音が聞こえる。誰だ──。襖を開くと、武市が歩いていた。気配に気づいた武市が振り返る。はた、と目があった。

「おや、河上さん。おはようございます。
ずいぶんお早いですね。」

煩い。武市の声だけじゃない、いろんな音が耳に、脳に、直接届く。煩い、煩いっ…。
そうだ、ヘッドホン。ヘッドホンはどこに…。あった、枕の横。自然に、不自然に感じさせるな、違和感を与えるな。平静を装って武市に背を向ける。音が流れる。雑音が遠ざかっていく。落ちる、ゆらり、鼓動の音が聞こえなくなる。息ができてきた。再び武市と向かい合い、会話を続ける。

「武市殿こそ、随分早いでござるな」
「ええ、高杉さんの朝食を作らないといけませんから」

適当に話し終えて、武市が去っていく。そのまま襖を閉め、シャワールームへ入り鍵をかける。付けたばかりのヘッドホンとサングラスを外して、服を脱ぐ。この部屋には特別にシャワーが付いている。幹部の部屋にはそれぞれ付いている。他の奴等は確か大浴場のはずだ。どうでもいいが。キュッ、と蛇口を捻ると勢いよく水が放たれる。頭から被ると、何も聞こえなくなる。頬を伝って、首筋を伝って、腕、胸、腰、足、水滴が濡らしていく。呼吸が乱れる。息ができない。薄く目を瞑ると、もう何も感じやしない。ゆるり、闇が落ちてくる。何も、見えない、聞こえない。上を向く、口を開くと水が入り込んできた。吐き出すと、呼吸が整い出す。目を開く、目に映るのは、何か──。キュッ、また蛇口を捻る。水は止まり、ほんの刹那、無音の世界。だがすぐに己の鼓動が響き、空気の動く音がする。はやく、早く音を、…。

「何方でござるか」

ズボンを履くと誰かの気配。敵ではない、が。早くヘッドホンを。早くしてくれ。イライラと気持ちは焦るが、声音にそれを出すことはせず。こんな早朝に、いったい何のご用か。

「また子ッス」

その声を聞いて特に何を考える訳でもなく扉を開く。上半身は何も着ていないため、また子が小さく悲鳴を上げる。何か抗議してくるが、シャワー中に入ってきたのはそっちだ。特に気に止めるでもなく、用件を問う。するとまた子は口ごもりながら、目を合わせようとしない。髪を乾かそうとドライヤーを取り出す。するとまた子はそこで漸く声を発した。

「先輩じゃないみたいッス」
「は?」
「あ、すみません…」
「いや、気に触ってはおらんよ」

いけない。つい苛つきに任せて返事をしてしまった。また子は怒らせたと思ったのか、申し訳無さそうに俯く。怒っていないと伝え、先を諭す。怒ってなどいない、だから早くしてくれ。

「髪立ってないし、ヘッドホンしてないし、サングラスもかけてないし…
河上万斉じゃないみたいッス」
「ドキドキするか?」
「へっ!?」
「先程から随分と旋律が速い」
「な、何言ってるッスか、そんな訳ないでしょ!」
「そう言うわりに顔が赤いぞ?」

覗き込むように見つめるとますます顔を赤くさせる。──嗚呼、綺麗だ。殺しも裏の仕事も、色んなものに手を染めているのに、また子の曲は澄んでいて美しい。青い瞳は闇より光を映す。海のように澄んだ、鼓動と同じ綺麗な。壊したい。どうしても、綺麗なものを見ると激しい破壊衝動に駆られる。細い腕、少し力を込めれば折れるだろう。細い腹部、蹴れば内臓くらい潰せるだろう。細い足、一太刀で斬れるだろう。細い首、噛みついたら食いちぎれそう。細い身体、抱き締めたら粉々に砕けそう。小さな口、塞げば窒息しそう。どんな顔をする?その時、この綺麗な瞳は、鼓動は、どうなる?

「万斉先輩…?」
「─嗚呼、すまぬ。何でもないでござるよ。
それで、結局何の用でござるか?」
「あ、いや、その…」
「何かあったでござるか?」
「いえ、そうじゃないッス
むしろ逆、というか…」
「逆?」
「武市先輩が、万斉先輩が起きてたって言ったから、
もしかしたら万斉先輩に何かあったのかな、って…」 


生意気にすみません、と控えめに謝る。何か?何かとは、何だ。自分はそんなにわかりやすい人間だったろうか。目の前の女に“何か”を悟られてしまうほど。わからない。自分自身がわからない。拙者は、拙者は誰だ。どこにいる。嗤う。どこかで、誰かが。脳内で木霊して、崩していく。何かを。ナニカヲ。ドクドクと、血の流れる音がする。人を斬る音がする。鼓動が響く。また子の綺麗なものに、己の汚れた不協和音。外では雨が降り出している。人の気配も増えだした。大広間の方から雑音が聞こえる。血、鼓動、雨、声、雑音、不協和音──。ぐらり、世界が回る。歪む。眩しい。光が。違う。闇、光など存在しない。闇、闇、暗くどこまでも深く、全てを覆い食らい尽くしていく。やめろ、やめてくれ─。ここは、どこだ…?見えない、ナニモミエナイ。暗い。何もない、聞こえない。違う、聞こえる。混ざり、何一つわからない。気持ちが悪い、吐きそうだ、どこかに、どこかに光は…。


「先輩っ!」


ハッ、と目を開く。何か確認する前に手を伸ばし掴んだ。温かい、あたたかい…。光が見える。小さく、か細く。その光は闇を食らい、全てを包んだ。この音は何だ?整った、落ち着いた、清らかな音。不協和音を静め、柔らかに耳を癒す、美しい声。声?


「万斉先輩…?」


腕の中に鮮やかな金色が見える。光?いや、違う。音の正体は、これだ。ああ、嗚呼、愛おしい、離したくない。やっと見つけた、光──。


「せんぱ…」
「また子。」


すまぬ、どうか暫しこのままで──…









暗い、食らい、狂い


深く闇に、墜ちていく


色んな音にまみれ、汚れ、命を奪いながら


それでも見つけたこの存在は、離さない


幾度も闇を食らい、引き上げてくれる──





求メル
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