おとなりさん。

□3杯目
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どうやら、机に突っ伏して眠ってしまったらしい。
お隣の宮地さんの家で散々飲んだ後、自力で戻って来れたのか、いつもと変わらない部屋の風景が広がっている。あくびをしながらリビングに入ると、ソファーに高尾が転がっていた。
「……ん」
「起きろ」
「……んぎゃっ」
シャツの間から見える横っ腹をつねると、高尾は悲鳴をあげて体を起こした。
「何すんだよ、赤司」
「人の家のソファーで勝手に寝てるお前が悪い」
「俺は悪かねーよ、赤司が泊まっていけっつったんじゃん」
「はぁ?」
「覚えてねーのかよ?酒慣れしてねーな」
立ち上がった高尾はキッチンに向かい、勝手に冷蔵庫を開け、勝手に牛乳を出し、勝手に飲んだ。「赤司もいる?」なんてここが我が家であるかのように言ってくるから、精一杯の憎しみを込めて「いらない」と返事した。
×××
『んでさー、そこの果物がすごい美味しくてさ、誰が作ってんだろうなーって思って、調べてみたのね。そしたらね、木吉だった』
電話の向こうでだるそうに話す敦は、富山の方にある有名なパティシエ養成の専門学校に通っている。摘み食いばっかして退学にならないか心配だったが、どうやら杞憂だったようだ。
『でもねー、美味いか
らやっぱそこの果物使ってる』
「そうか。敦は今、どの辺なんだ?」
『どの辺って?』
「学生の中での成績だったり……、かな」
『あ、うん。トップだよ』
お菓子好きが良い方向に向かったみたいだ。敦の夢は何だと聞くと、お菓子をいっぱい作りたいと答えた。子供みたいだが、分かりやすくて良いと思う。
『んじゃ、また電話するねー』
「ああ。たまには東京に来い」
『うん。じゃあねー』
無機質な機械音が等間隔に聞こえるまで、僕はスマホを耳に当てていた。
いつの間にか、最寄り駅まで歩いてしまったようだ。
ふと目にしたカフェに引かれて、何となく入店する。小腹が空いていた訳でもないし、何か飲みたい気分でもない。“Gateau Lait”。造語かな。
店内の半分ほどの席は埋まっていた。カウンター席の角に座ると、目の前にいた店員がメニューを差し出してきた。ごつごつしている手は男性のものかと思い、顔を上げると、
「赤司」
「……宮地さん」
「んなじろじろ見んなよ、刺すぞ」
ワイシャツに黒いズボン、焦げ茶色の腰巻きエプロン姿の宮地さんは、黄金かかった茶髪を右手ですいた。
「バイトですか」
「いや、手伝ってるだけ」
「……ブルーマウンテン、ぬ
るいので」
「突っ込まねぇのな」
壁一面を利用した棚の一番上から、宮地さんはコーヒー豆をすくって挽き始めた。よく考えると、店員は宮地さんしかいない。厨房があるみたいなので、そこにいるのだろうか。それにしても、コーヒーミルにしろエスプレッソマシンにしろ、表記されている社名はどれも一流メーカーの名前ばかりだ。
よほどのコーヒー好きなのか、それとも何か別に理由が……。
「あいよー、ぬるいの。お前、猫舌なんだな」
「アイスを飲むほどの天気じゃないんで」
「猫舌なんだな」
「はい」
一口、二口啜った所で、厨房に行った宮地さんが誰かを連れて戻ってきた。
「ほら、姉貴」
「あ、赤司君」
思わずコーヒーをこぼしかけた。
「杏奈さん」
「コーヒー、美味しい?」
軽くウェーブのかかった髪を二つに束ねた杏奈さんは、僕が「はい」と答えると、嬉しそうにこう言った。
「ここね、私の店なの」

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