おとなりさん。

□4杯目
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5月にしては暖かかった日の夜。僕は今日も“Gateau Lait”に来店していた。
「赤司君って、甘いの苦手なの?」杏奈さんは、店で一番苦いという豆を挽きながら言った。「いつも無糖。あと、猫舌?」
「どっちも正解ですね」
砂糖は入れないが、クリームは入れる派だ。「今日はお一人ですか?」
「そうなの。清志が熱出しちゃって。スタッフも雇ってないから、今日は午後だけにしたの」
「いつでも手伝いますよ」
「ありがとう」とにっこり笑った杏奈さんは、マグカップをカウンターにふたつ置いた。一方には砂糖が添えられている。クリームで渦模様が出来ている方を取る。熱くない、ちょうどいい温度だ。
杏奈さんは僕の右隣に座った。
「杏奈さんは、どうしてカフェを始めたんですか?」
「そりゃもちろん、稼ぎ、稼ぎ」
スプーンでコーヒーの渦模様をぼかす。
「ウチは二人暮らしで、清志は大学生でしょ?稼ぐ人がいないから、バイトしてたカフェに就職して、そのまま店を引き継いだの。だから、始めたっていうか?今は私の店なんだけど」
一番苦い豆というだけあって、甘いものが好きじゃない僕でも顔をしかめる。
クリームを小さな容器に入ってる分全て入れた。
「経営も順調だし、この前雑誌にも載ったの。だから、新しい人も来てくれるし、リピーターの方もいる」
「その中の一人が僕、ですかね」
「そうね。だって、ほとんど毎日来てくれるじゃない。……11時だ」
徐に立ち上がった杏奈さんは、エプロンの紐を解いた。「5分待ってて」
×××
マンションまで、二人で歩いた。他愛もない話をしながら、少しでも長くいられるように、ゆっくりと歩いた。
「これ、お土産ね」と、甘さ控えめのガトーショコラを貰った。小さい箱を小さい紙袋に入れ、水平を保って大事に運ぶ。
並んで歩くと、杏奈さんが以外と背が低いことに気付く。兄の宮地(清志)さんが190cmを超えているのに、せいぜい154cmといった所か。僕は高校生の時から少し伸びて176cmだから……。
なんだ、20cm以上も違うではないか。
そういう訳で、並んで歩くと杏奈さんを見下ろすことになる。そうして帰路を進んだのだが、一つだけ気になったことがあった。
「そういえば、親御さんはどちらに?」
「ああ、あいつら?」
「あいつら?」
「あいつらは……、いいの」
彼女は親のことを“あいつら”と呼んだ。僕の質問に答えたような答えてないような、そんな回答だった。
今日は横一つに結んでいた。美しい黒髪。
  ガトーショコラは、引っ越し挨拶のお返しだったのだろうか。
杏奈さんは優しい。それに、綺麗だ。カフェ経営なんて、22歳で立派ではないか。
タイプなんだ。
「赤司君、どうしたの?」
なんでもないですよ、杏奈さん。

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