陽泉(長編)
□私も一緒に、走ってきていいですか?
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その日の部活は終了し夕食も済ませ、劉偉は劉名無しさんの部屋に来てベッドで寝転んでいた。
その隣に座って日本語の教科書を読んでいた劉名無しさんは、分からない発音に首を傾げる。
「……橋と箸……言えてるアルか?」
「多分言えてると思うアル。後で福井に訊いてみるといいアルよ。」
「うん。……これも難しいアル……。」
眉を寄せてうんうんと唸る妹に兄の劉偉は、どれアルか?と顔を近付けて覗き込む。
劉名無しさんが差した単語は、雨と飴……。どうやら同音異義語が苦手らしい。
「雨は“ あ ”にアクセント、飴は“ め ”にアクセントアル。」
「…何で哥哥は言えるアルか?」
「私は中国の高校で1年間習っていたアル。その代わり、普段の勉強は疎かになって怒られたアルが。」
「……私は習ってなかったアル。いいな……。」
そう呟きながらも劉名無しさんは日本語の教科書を閉じ、化学の教科書とノートを側にある机に広げる。
「…もう学校の宿題するアルか。えらいアルな。」
「予習アル!哥哥は宿題ないアルか?」
「私は自習で終わらせたアル。あとは寝るだけアルよ。」
「…一応言っておくけど、そこ私のベッドアル。」
消灯までには出ていくように言い、劉名無しさんはカリカリとペンを走らせる。
寝転んだままボーッとしていた劉偉は、背中を向けている妹に訊ねた。
「…名無しさん、いつまで日本にいれるアルか?」
「ん〜…最低で半年アルね。日本語試験に受かれば延ばせるアル。」
「……加油(頑張れ)。」
「………え。」
普段は素直じゃない兄が言った言葉が信じられずに、劉名無しさんは思わず振り返る。
すると劉偉は背を向けて寝ており、何となく照れているのだと思っておいた。
「……謝謝(ありがとう)。あと、寝るなら出ていくヨロシ。」
翌日の部活で部員たちは、監督から話を聞かされる。
「来週の土日を使って、スタメンは恒例の合宿を行う。
山の中にある旅館を借りて、みっちり練習するからな。」
『はい!!』
「えー…?面倒だし休んでいい?」
「劉名無しさん、竹刀を貸せ。」
「……はい。」
先程持たされた時は何かと思ったが、なるほどと劉名無しさんは納得する。
紫原を容赦なく殴った後で、監督は話を元に戻した。
「まだ雪が降っているだろうからな。防寒対策は各自でしっかりしておけ。
劉名無しさん、マネージャーのお前も参加してもらうぞ。」
それだけ言うと、監督は外周の指示を出す。
憂鬱な表情で記録表を持っていく劉名無しさんに、福井が訝しげに訊ねた。
「……何で走らねえのに嫌な顔してんだよ?」
「私、寒いの苦手アル…。走った方がいいアルよ。」
その言葉に前を歩いていた劉偉が振り返る。
「代わりに走ってほしいアルね。」
「本当に…ワシも同意見じゃ。」
「ケツアゴリラには聞いてないアル。」
「ひど…っ!!」
落ち込む岡村は気にせず、3人は紫原を引っ張りながら外に出た。