終わりのセラフ

□calling
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夢を見るのは好きだ。
来ないはずの幸せな未来をたゆたう事が出来る。
触れれば柔らかい頬。
背を抱き締め返す優しい腕。
現実の世界では決して手に入らないそれらも、失われる事なくすべてが存在するのだから。
夢を見ている自覚がないのならば、それらは夢でも幻でもない。

紛う事なき現実であり本物なのだ。


じゃれついてくるチビどものはしゃぐ声と、姉のように思っていた少女の笑顔。
淡い金の髪を靡かせ、飛びつかんばかりに駆け寄って来るミカ。

目を閉じればそれらはいとも容易く鮮やかに蘇る。

数え切れないほどに夢に見るのは、惨殺される家族の最期。

あの時、
ミカの声を無視して、引きずってでも連れ出していたら?
あと数秒早く走れる足があったら?
計画に反対していたら?
ミカが吸血鬼の屋敷に通うのを止めていたら?

頭の中はたくさんのifで埋め尽くされる。

繰り返す惨劇と同じくらい、幸せな夢も繰り返し訪れた。
家族全員で外の世界へ出て、小さな家で身を寄せ合って眠る幸せな夢。
チビ達の巣立ちを見送り、年老いるまでミカと二人で海辺で穏やかに暮らす夢。
吸血鬼なんていない世界で目が覚め、全て夢だったのだと笑い合う夢。

幸せな夢を見れば見るほど、夢から醒めた時の絶望と虚無感に大きく叩きのめされたが、それでも夢を見る事を願わずにはいられなかった。


半身を喪った優一郎は、それほどに孤独だったのだ。





夢の中の自分はまだ小さく、ミカ達と過ごしていた年齢になっている事が多かった。
おそらくいちばん幸せだった頃の時間を無意識に投影しているのだろう。


『バカだなぁ優ちゃんは』
『もう、無茶ばかりしてないで少し休むこと!』
『優ちゃん……大好き』

時に優しく、時に厳しく、時に恋人のように甘く囁く夢の中のミカ。
滅びた世界でたったひとり生きる事を余儀なくされた月日の中で、それはいつしか必要不可欠の安らぎになっていた。


阿朱羅丸を手に入れてからこっち、夢はより一層鮮やかな麻薬となって優一郎を誘った。
―――妄想の具現化。
これも阿朱羅丸の持つ力の影響なのかもしれない。


天地が定まらずふわふわとした形にならない空間に、ぽっかりと扉が現れる。

ああ……。

夢だ。
いつもの、幸せな夢。

もう二度とは還れない過去。

あの扉を開ければミカが笑顔で迎え入れてくれる。
今夜は何を食べようか?どうせカレーが食べたいとか言うんだろ?他愛ない話で笑い合う、いつもと同じ優しくて残酷な夢の入口。









夢を見るのは嫌いだ。

暖かい家族と過ごす至福の夢に、何もかも全て放り出して縋り付いてしまいそうになる。
そのくせ、手を伸ばして捕まえようとすると、泡のように消えてなくなってしまうんだ。


決して手に入らない泡沫ならば、幸せな夢なんか見たくない。


――夢は僕を弱くする。



隙間風が吹く度にガタガタと音を立てる見慣れた扉を押し開けると、幼い弟妹達が我先にと足元に飛び付いて来る。
目線を合わせるように身を屈め、小さな頭を順々に撫でて視線を上げれば、コンロの鍋をかき混ぜていた茜が振り返っておかえりなさいと微笑む。

嬉しそうに。
幸せそうに。
今日が終われば明日が来ると疑う事なく、夢の中の家族達はいつも柔らかく微笑んでいる。
幼な過ぎた自分の傲慢さが原因で命を散らせてしまった家族は、どんなにか僕を恨んでいるだろうに。

(おかえり、ミカ。おっせーよ!)

顔中で笑うお日様みたいなきみは、今、どこで何をしているんだろうか。

僕は「僕」を知っている。

扉の向こうに消えていくきみの背中を見送ったあの時、生き伸びて欲しいと願う気持ちと同じくらい、傍にいて欲しいと願ってしまっていた浅ましい僕を知っている。


強くなりたい。
チカラが欲しい。



―――大切な人を守り抜く為に。






「……え…?」

呼ばれたような気がして、ミカエラは顔を上げた。

「…ここは」

シンプルというよりは簡素な椅子と机と、身体を横たえるのがやっとのサイズの寝台がひとつ。
生活の匂いがまるでしない見覚えのないがらんとした部屋で、ふと違和感に気付く。
いつもよりずっと視点が低いのだ。
確かめるように手足を動かし違和感の正体に気付くと、ミカエラは自身の姿を確認すべく窓辺へと足を向けた。
外は闇が深く景色を眺める事は叶わなかったが、窓硝子にくっきりと浮かび上がる自分の背丈は見知ったそれよりもかなり低い。
どう大きく見積もっても140cmあるかないかだ。

「……僕、子供の姿になってる」

「ミカ!ここにいたのか!」

探したぞ、と何の前触れもなく背後に現れた気配に驚いて振り向くと、自分と同じくらいの目線の高さにある緑柱石の瞳がこちらを見詰め返した。

「ゆ、優ちゃん!?」

まだ幼い面差しに満面の笑みを浮かべ、優一郎は甘えるようにミカエラに飛び着いて来た。

(えええ???)

ミカエラは反射的に両腕を突っ張るようにして身体を離すと、まじまじと目の前の“小さな優一郎”を見詰めた。
百夜孤児院で初めて顔を合わせたあの時より幾分成長しているような気もするが、おそらくまだ10歳になっていないであろう。

幼い自分。
幼い優一郎。
ここはどこで、一体何がどうなっているのか、頭の中は未だかつて無いほどに大混乱だ。

「ミカ?どーかしたのか?来いよ、ほら!」

ミカエラの訝しむような視線をものともせず、顔中でにかっと笑いながら優一郎は小さな手を差し出した。
待ち焦がれていた苦痛からの解放が、すぐ目の前に差し伸べられている。
何かがおかしい。
頭の隅でわかってはいても、そんなものはもうどうでもよかった。夢でも幻でもいい。どうか…どうか今だけでいいから…触れても消えないでいて。

「ーー優ちゃん!」

ミカエラは祈るような気持ちで目の前の小さな手に縋りついた。
「優ちゃん!優ちゃん優ちゃん…優ちゃんっ!!」
「なんだぁ?ミカ、今夜は随分と甘えん坊だなぁ」
照れ臭そうに笑いながらも髪を撫でてくれる掌に、ミカエラは嬉しそうに瞳を細めた。
「あんま遅いから今夜は会えないのかと思ったぜ?」
まるで毎晩会って当然のような口振りに、ミカエラの口元に自然と笑みが浮かぶ。
優ちゃんだ。優ちゃんだ!
ミカエラは手足の指先まで喜びの感情が満ちて行く感覚に身を任せて腕いっぱいに優一郎を抱き締めると、その温もりに頬を擦り寄せた。


「けど…おかしいな、僕、一体いつの間にベッドに入ったんだろう。これって、やっぱり夢…だよね?」

ここ最近ろくに睡眠を取っていなかったのが裏目に出たのかもしれない。
こんなふうに胸が潰れそうに幸福な夢を見てしまえば、目覚めた後の空虚な現実は更に重くのしかかってくる。
だから自分は眠るつもりは無かったのだ。

「うん、これ夢だぞ!」

手を腰に当てて得意気に胸を張る姿に、過去の想い出が重なる。どうやら優ちゃんは夢の中でも優ちゃんらしさ全開のようだ。

「ところで…さ、なんで僕達小さいのかね?」
「なんでってそりゃ…俺は8歳から12歳までのミカしか知らないから…。大きくなっちまったら、ミカはいなくなる。そしたらもうミカには会えないだろ?」

これと言った答えを期待していた訳ではない。が、それに対して返ってきた予想外の言葉にミカエラは瞠目した。

「俺だけが年を重ねてミカの背を追い抜かす。どんなに会いたくても、ミカとは夢の中でしか会えないなら…あの頃の…俺じゃなくちゃだめなんだ」

まるで薄い氷で覆われているような眼差しは、孤独を知る者の瞳だ。絶望と諦めで塗り潰された昏い表情は、幼い子供の風貌にはおよそ似つかわしくない。
ミカエラは優一郎の小さな頭をそっと撫でる。

「…大丈夫。僕もちゃんと16歳になってるし、身長もぐっと伸びたんだよ?きっと今だって僕の方が背が大きいはずだ。この先もずっと、優ちゃんに抜かされるつもりなんてないからね」

「――本当、に…?」
微かに生まれた希望に震える優一郎の小さな両手を取ると、こつんと額同士を合わせる。
「うん、本当の本当。だから安心して?僕は大きくなったきみに、16歳の優ちゃんに…とても会いたいんだ」


―――刹那。

蕾が綻ぶような笑顔を残し、小さな優一郎の身体は光の粒子となって霧散した。




狭い部屋いっぱいに淡い光が満ちる中で、ミカエラは自身の視点が高くなっていくのを感じた。
丸みの残っていた手足がすらりと伸び、薄かった肩はしなやかさを残しながらも鍛錬を積んだそれへと変わっている。

離す事なく繋いだままだった手が、相手からの振動をぴくりと伝えた。


陽向の匂いがする癖の強い黒髪。
意思の強そうなキリッとした眉。
緑柱石の瞳。
ヤンチャさを物語る口元。

ガキ大将だった当時の面影はそのままに、最愛の人がそこに在った。


「やっと…会えたね。はじめまして、16歳の優ちゃん」
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