終わりのセラフ

□calling
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「……ミカ…?…本当、に?」

深い緑を映した瞳が喜びに揺れ、真っ直ぐにこちらに向けられている。
くすぐったいような照れ臭さと胸に湧き上がる幸福感が、孤独に凍えていたミカエラの心をじんわりと暖めていく。
例え夢の中とはいえお互いに成長した姿でまみえるのは初めての事なのに、目の前の彼は間違いなく自分が求め続けた百夜優一郎その人なのだと、ミカエラには何故か確信が持てた。
理屈ではない、魂の奥の深い深い部分で。

再会をひとしきり喜びあった後、優一郎が真っ先に気にしたのはミカエラとの身長差だった。


「なぁミカぁ。お前、今何cmあんの?」
「うーん…前に計測した時は173だったかな…?」
「げ、まじか…」
「優ちゃんは?」
「……174…」
「は?なにそれ、ありえないんだけど。どうみたって僕のが大きいし」
ミカエラはずいっと一歩距離を詰めると、優一郎の頭の上にぽすんと手を置いて得意気に微笑む。
「るせぇ。これから174cmまで伸びる予定なんだよ!」
「まったく…相変わらず負けず嫌いなんだから」

本当に、まるで時が止まってたみたいに、優一郎はあの頃のまま全然変わっていなかった。
4年前に失われたはずの幸福な日常が今ここにある。


「なぁミカ、立ち話もなんだし座ろうぜ?」
言うが早いか、優一郎はベッドのすぐ脇に置かれていた椅子にどかっと腰を下ろすと、身体を反転させて背もたれを抱え込んだ。
ミカエラも優一郎の視線に促され、向き合うようにベッドへ腰を下ろす。

「ねぇ、優ちゃん。ここって誰の部屋なの?僕全然見覚えないんだけど…」
繰り返し夢に見る景色は、決まって百夜孤児院の家族が集う“家”だったのに。今回の夢は随分と規格外な仕上がりになっているらしい。
「あ?ここは俺の部屋だよ」
「…優ちゃんの?」
写真の1枚も飾られていない殺風景な部屋には、生活の匂いなんてまるでないように感じる。人間達の世界へと逃げ延びた現実の彼も、こんなところで毎日過ごしているんだろうか。
「まぁ、寝る為だけに帰って来る部屋だけどな……ってかさ!」
至近距離でじいっと穴が開きそうな程に見詰められ、ミカエラは思わず視線を泳がせた。かぁっと頬に熱が集まるのが自分でもわかる。
「…な、なに?」
「いや、身長はともかく昔とあんまかわんねぇなと思って」
昔と変わらない無邪気な笑顔を投げて来る優一郎の眩しさから逃げるように、ミカエラは目を伏せた。
「…変わったよ、とても」
そう、とても。
僕は変わってしまった。
きみが知ってる家族だったミカは、もういなくなってしまったんだ。

――ここで、なら。
僕だけしか知らない夢の中のきみになら、すべてを打ち明けても構わないだろうか。
この忌まわしく呪われた身体の、業と渇きを。

しばしの沈黙の後、ミカエラは優一郎の手を取ると自身の口元へと導いた。
薄く開いた唇の柔らかい感触とは対照的な鋭い牙が指先に触れた瞬間、優一郎がぴくりと身体を揺らして瞠目する。
「……な…!?ミカ、お前…」
「あはは、僕、吸血鬼になっちゃった。優ちゃんの大嫌いな…吸血鬼、に…」
上手く笑えてる自信なんてないけれど、哀しい顔はしたくなかった。優しいきみはきっと…あの時の自分の選択を責めてしまうから。

「その牙、ホンモノなのか?」
優一郎はおもむろにミカエラの口内に両手の指を差し入れて左右にぐいっと引っ張ると、目を眇めてまじまじと牙を覗き込んだ。
「ちょ…っ!?優ちゃんってばどこまで想定外に傍若無人なわけ!?」
自分の予想を遥かに超える珍事件に、ミカエラは目を白黒させて指から逃れようと必死に顔を背けた。
「イテッ…!」
「ご、ごめんっ!優ちゃん、牙が!?」
優一郎の人差し指の先に、みるみるうちに血の玉がぷっくりと浮かび上がる。
「謝んなって、俺が勝手にやったんだから……」

―――無意識だった。

まるで甘い花の蜜に誘われる蝶のように、ミカエラは優一郎の手首を掴んで引き寄せると、うっとりとした表情で血の滲む指先を口に含む。

「…これも吸血行為になるのかな?」
熱い口内で愛しむように指先を舐め上げられる感覚に、優一郎はふるりと身体を揺らした。
「ミ…カっ…」
戸惑う声に耳を打たれ、碧玉の瞳から瞬時にして靄が晴れる。
「ご、ごめんっ!」
ミカエラは目に見えて狼狽すると、己の行いを恥じ入るように唇を噛み締めて目を伏せた。
「血を吸うなんて…やっぱり気持ち悪いでしょ?もう僕は…優ちゃんの家族じゃいられない…ね…」

嫌いにならないで
離れていかないで
独りにしないで

声にならない悲鳴が喉の奥で渦巻く。

「ばーか、なんて顔してんだよ」

こつんと額をつつかれる感触に、ミカエラは叱られた子供のような顔で視線を上げた。
「優ちゃん…?」
「そんじゃさ、もし俺が吸血鬼になってたらミカはどうすんの?気色悪いって思う?もう家族じゃないって拒絶するのか?」
「そ…んなことない!優ちゃんは優ちゃんだ!」
優一郎はいたずらっ子のように笑いながら、柔らかい金の髪をくしゃくしゃと乱暴に混ぜる。
「な?お前が俺の立場なら絶対そう言うだろ?ミカはミカだ。例え人間じゃなくたって俺達はずっと家族だよ。茜だってチビどもだって、俺と同じ事を言うに決まってるさ」
「でも…みんな…みんな僕のせいで殺されたのにっ…!!」

そんな風に思ってくれるんだろうか。

あの日。
あの夜。
脱走計画なんて立てていなければと、天国で僕の事を恨んでるかもしれないのに。
「ばっかやろう!怒るぞ!」
優一郎の声が、思考の闇に沈み込もうとするミカエラの意識を引き上げた。

「…なぁ、ミカ。俺達の家族はそんな心の狭いやつらだったか?人の幸せを、家族が幸せになるのを自分の事のように喜べる、あったかくて優しいやつらだろ?まだ小さかったお前が身体張って守って、人の痛みを理解出来るサイッコーの家族に育て上げた…」
労るように、慈しむように、優一郎は両手でミカエラの頬を包み込む。
「あいつらはお前の自慢の家族だろ?俺はその一員になれた事が幸せだし、すげぇ誇らしいって思ってる。だからもっと自信持てよ、百夜ミカエラ!」
偽りのない真っ直ぐな眼差しで紡がれる言の葉が、凍り付いていたミカエラの心を溶かしていく。
――百夜ミカエラ。
それは人間の僕が確かにいた証。人間としてきみと肩を並べて歩き、もがいて、足掻いて、生きた標。
きみが僕をそう呼んでくれるだけでいい。きみが傍にいてくれさえすれば、他にはもう何もいらないんだ。

「…う…んっ……うん…優ちゃん……優ちゃん、優ちゃん…っ……大好き…」
目の淵に次々と湧き上がる熱い雫がミカエラの視界をぼかして奪う。
泣きたくなんて、ないのに。
大好きなきみのお日様みたいな笑顔をもっともっと見たいのに。

溢れる涙を隠す事なくミカエラは泣いた。まるでこの世界に生まれ落ち、身体中を震わせて産声を上げる赤ん坊のように。







優一郎は椅子から立ち上がると、ミカエラの隣に並んですとんと腰を下ろした。
しゃくりあげて上下する肩に腕を回して引き寄せ、涙で貼り付いた髪を指先でそっと払う。
真夏の空を映したような瞳から溢れる涙が長い睫毛に弾かれる度に、幾筋もの雫が白い頬を伝って顎先から床へと落ちて行く。

綺麗、だ。

―――ミカはとても綺麗だ。


くらり、と頭の芯が痺れるような酩酊感に襲われる。酒に酔うのって…こんな気分なんだろうか。
衝動のまま、心の欲するままに、優一郎はミカエラの頬にそっと唇を寄せた。
涙の道を舌先でなぞり、顎先に、頬に、瞼に、時折ちゅっ、と小さく音を立てながら唇で触れる。


本当は、ずっとこうしてミカに触れたかった。


羽毛のような優しい唇が次々と降ってくる甘い刺激に、ミカエラは呼吸を震わせてうっすらと唇を開いた。
「ゆぅ…ちゃん…」

誘われるまま、淡く色付いたそれへと優一郎は唇を落とした。
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