シリウス

□いつか夢見た
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 ―6―

井上の部屋を後にし、夜道をたどる。家へと。

まるで水の中を歩いているような、夢の中のような、ぼうっとした感覚で。

あれは何だったのか。

この手に抱いた彼は現実の彼なのか。俺は一体何をしたのか。
さよならと…彼に言った。
あんなにきっぱりと、俺は井上を振った。

井上に…好きだと言われて、抱き寄せられて、もうまるで時が戻ったような気がしたのに。
茂思よりも井上を好きだと、確かに思ったのに。

それなのに、暗いベッドで起き上がったとき俺は、帰らなきゃと思ったんだ。
茂思の元へ。

それで良かったのか。

…茂思…

俺のしたことは確かに茂思への裏切りだろうに、この罪悪感のなさは何だ?

『あんなやつと』

井上の握った拳が小刻みに震えていた。
茂思が井上にどんなひどいことをしたのか、聞く気にはなれなかった。

それが免罪符になるとでも?
井上のために二人して茂思に復讐をしただけだと?

とりとめない物思いにたどる夜道は、茂思の待つ家への道だ。

そうだ。
帰る場所はあそこだけだ。
茂思の家。茂思が待っている。
俺が井上を振って、選んだ茂思だ。

今度は茂思が選ぶ番だ。




「お帰り。遅かったな」

スタンドの明かりだけの薄暗い部屋で、茂思はブランデーを煽っていた。

「茂思…夕飯は?」
「どうにも食欲がわかなくてね」
「何か作ろうか?軽いものでも」
「いいから。君も一杯どうだ?」
「ブランデーは好きじゃない」
「そうだったな…」

グラスをテーブルに置いて、ゆらりと立ち上がり、俺の前に立った茂思はそのまま両腕を広げた。

「お帰り。雪広」
「…ただいま」

その腕に俺を抱きしめて、茂思は「もう帰ってこないと思った」と呟いた。

「何で…?」
「井上加保に会いに行ったんだろう?」
「会いに行った」
「素直だからな、君は…」
「茂思…」

抱きしめられて、心がとけるように安らぐ。
失いたくないと思う。
茂思が俺に優しいから。
茂思が俺を好きで、大事にしてくれるから。

だとしたら、井上は…
茂思は井上を…

「…茂思…」
「うん…?」
「高校のとき井上に何を」

俺は、井上ではなく、茂思の口から聞かなければと思ったんだ。

「…そう言えば、何でも答えると言ったんだっけな」

彼は、俺を腕に抱いたまま、ため息をついて、この世の終わりのような美しい微笑で呟いた。

「俺が君に触れるとき…いつもどんなに君を愛しく思ってるか、君は知らないだろ…」

茂思の指先が頬を撫で、唇に触れ、それから甘いキスになる。

「だけど、少しは感じてくれてるだろ?俺が君を好きだって」
「そんなの…」
「想像してみろよ。その感じがまったくなかったら…?」



2016.08.21
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