真珠の耳飾りの恋人

□恋に餌やり、甘い吐息
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「おはよう。」
「おはよう。」

チュンチュンと雀の囁きが交わされる早朝。
弓月 凛は一人シャンと背筋を伸ばし歩いていた。
キッチリと学ランを着こなし真っ直ぐに前を見て歩く様は美しく、通学路の女生徒や、箒で枯葉を集める女性でさえも羨望の眼差しを送る。
中には男子生徒のものも含まれていて、それはそれは見本を見るかの様な目をして辺りに響き渡る程大きな声で挨拶するので、この弓月 凛という美しい書生は兎に角目立つ。

時は1884年。
明治である。
彼が産まれたのは記念すべき明治の始まり、明治一年。
天皇陛下が京都から東京に移動なされた。
東京産まれの弓月はすこし其れを名誉に思っている。

明治十七年のこの年、急に男子生徒が増えた様な気がするのは気のせいでは無い。まだまだ女性は勉学に疎く、家業を強いられていた。

勿論、女生徒はいるが。
やはり圧倒的に少ないのだ。

そういえば先程、通りがかりの女性に貰った明治製菓のチヨコレイトなのだがー…
牛の血が入っていうのは恐らく虚言であろうが、この前友人等がそう言っていたのがどうしても頭から離れなくて食べれない。

はて、これをどうしよう。


弓月 凛はふと、自分を熱い目で見つめる存在に気が付いた。

澁谷茉莉。

確かそんな名だった気がする。

昨日、自分に好きだと言ってきた娘だ。

煙草屋の娘で、よく売り子として店頭に立っている。
学校の仲間に依ると、毎朝僕におはようと言う為に店の外で待っていたらしい。

記憶が徐々に鮮明に蘇ってくる、あぁ、凄い真っ赤な顔だったな。あの子。
一つに括った長い髪、ぽにぃているというやつだ。
日に灼けた髪色は一際目秀でている。
視線に気が付いていない振りをするのは少し疲れた、ちらりと目線を合わして会釈すればまたあの時を彷彿とさせるような顔色に変化して些か面白い。

「あなたのことが好きです。」

桜の花弁が散り、葉桜となった木を見上げる。
足元には自分の頭より上で華やかに咲いていた日本の象徴が自分の足で踏み潰され、惨めにくすんでいた。

あぁ、昨日そう告白された場所もこんな足元だった。

また、思い出して、クスリと笑みが漏れる。


ーー一僕は、酷い男なのになぁ。


自分が彼女をどの様にしてフったのか、思い出せない。

なんでだろうね。

あぁ、興味が無いからだ。


そう結論付けて、まだボーッとしている澁谷茉莉を尻目に学堂へ急いだ。
強めに踏み付けて歩きながら。
きっと、僕の靴の裏には土色と化した桜色の何かが纏わり付いているだろう。

おいていかないで。

そんな事を言う様に。

処理の使用も無い、チヨコレイトを一欠片口の中に放り込む。

あぁ、この味は僕には向かない様だ。


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