碧に染まって
□毒される
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『…………』
彼女が眠りについて随分経った。
起きている間は彼女に油断や隙はないのに眠っているときは嫌に無防備だ。
むしろ、寝ている間だけはここから出るよりこうしてボクが監視している牢屋の方が安全なんじゃないかとも思う。
そしてこの時間には決まってあいつが来る。
「やぁ、ヒソカ。彼女は元気かい?」
「………」
元気もなにも、今は寝てるだろ。
と思いながら男を見る。
男は既に彼女を見ていた。…まるで恋人でも見るような目で。
そんなに愛しいならいつもみたいにすればいいのに…。
この男は、自分が気に入った商品は出荷しないで自分で楽しむ奴だった。
…まぁ、ボクは彼女を好いているからいつもみたいにならないのは良いとすれば良いんだけど…。
それでも、触れないで近づかないで、ただ見てるだけなんてこいつらしくない。
「…本当に彼女は美しい…今まで綺麗だと言われてきたものが全て灰のように思えるよ…」
「………」
…大げさだな、と思う。もちろん彼女以上に見た目が綺麗な人間は見たことがないけど…性格を知ってるボクからしたら宝石の方が安全で可愛いげがある。彼女の吐き出す言葉には無駄がないのだから。
「…出すのがもったいないよ」
「……ならいつもみたいにすればいいだろ」
つい口に出してしまった。
瞬間、体に衝撃が走る。殴られた。慣れているとはいえ予想してなかったためによろける。
「ヒソカは何も分かってないな」
男は見下すようにどこか優越感のある目でボクを見下ろす。
「彼女は俺にさえもったいない」
…こいつがもったいないなんて言うとは思わなかった。一応少しは自分のことをわかってるつもりなのか…と思ったがそれは次の言葉で変わった。
「彼女に触れたら彼女の価値が下がってしまうだろう?」
「…下がる?」
「彼女は"観賞用"だよ。…俺も彼女なら観賞用でもアリだが、やはり実用できないとな」
「…………」
…ああ、やっぱりこいつはクズだった。
ギリッ、とボクの歯軋りが鳴った。
こいつがクズなのは今まで通りだ。でも、沸々とした怒りが沸いていた。
「怒ってるのか?」
楽しそうに男が聞いてくる。
ボクは怒っていた。彼女を下賎に扱われたことへの怒りだった。
彼女が観賞用?ふざけるな。むしろ彼女を観賞用にする方がもったいない。
彼女の魅力は知識だ、脳だ、声だ、言葉だ。それはこいつよりも彼女を知っているボクの方が分かってる。
「…ああ、怒ってるよ」
「ほう…お前が答えるなんて珍しいな」
ボクは彼女の毒にそうとうやられているようだ。意識すればするほど…それは根強くなる。
「っ!ぐ」
「…ここで、お前を殺すのもいいかもな」
腹を殴り膝をついた男の首にナイフを当てる。
朝起きて彼女がこいつの死体を見たらどんな反応をするんだろう。ボクの知らない彼女の表情をみられるかもしれないな。
そう思うと、言い様のない感覚が身体中を駆け巡った。
「…っくく、そうか。お前好きになったのかその女を」
こんな状況だというのに男は笑った。
「ま、当たり前と言ったら当たり前だよな」
ナイフを握る手に力を入れる。
「…殺す、ね。お前は俺を殺せるのか?」
「この状況で殺せないほうが難しい」
「…言い方を変えよう。俺を殺して、そのあとはどうする」
「そんなの……!」
_一緒に逃げないかい?ヒソカ_
「………」
「…どうした?俺を殺して"彼女"と逃げるんだろう?……ま、無理だろうけどな」
男がボクの動揺につけこむように言う。それを悟られないように咄嗟に口を開いた。
「無理なことじゃないだろ。お前の手下くらいボク一人でどうにでもできる」
「そうじゃない。…お前は日陰で生まれた、陰でしか生きたことがない。…比べて彼女は光だ、太陽だ」
「…何が言いたい」
「例え彼女と逃げてもお前は耐えられなくなる。…そして自分からまた日陰を選ぶ。また俺のようなところに戻ってくるんだ」
「!っ勝手なこと言っ!!」
「お前がここに居るのもその結果だろう?」
「!」
…………。
何も言い返す言葉が見つからなかった。正にそれが…ボクが彼女と逃げない理由そのものだった。
男がボクのナイフをどかし立ち上がる。
それから殴った腹をさすっていた。
「痛っ…痣になってなければいいけど…。いつもならここでお前を殺すか解雇するとこだが…タイミングが悪い、明日だしな。…ヒソカ、仕事はしっかりしろ。そうすれば解雇にはしないでやる」
「…………」
男が去っていく足音が聞こえる。扉の開閉音も。
ボクは暫く地を見ていた。
…ああ、そうだ。クズの心なんてクズにはお見通しな訳だ。
「…は、ははっ」
毒が覚めた気がした。
ボクは一体何に迷っていたんだろう。
彼女は予定通り明日出荷される。
明日が過ぎればまた、いつもの日常に戻れる。
ボクには選択肢など初めから無かったじゃないか。