彼女は何を望む

□魔法の言葉
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「っはぁ、はぁ!」

_一週間後。

姉ちゃんの言った"魔法の言葉"という意味が理解できた。




あの日から一週間が経った文字通りの"一週間後"の朝にオレはどこか期待して起きた。

それもそうだ。
もちろんあの姉が発する言葉は大半が冗談のようなものだけど、今回ばかりは本気だと思ったんだから。

理由は分からないけど、強いていうなら姉ちゃんとオレは他の兄弟よりも遺伝子が似てるからかもしれない。

とにかく、朝起きたらなにかが起きてるんじゃないかと思った。もしくは姉ちゃんが何かしてるんじゃないかと思った。

でも、期待は外れた。

朝起きてもいつもの風景だった。なにも変わらなかった。

…少し落胆した。でも、まだ"一週間後"は始まったばかりだと気持ちを改める。


朝食の席に着いて少しだけ違和感を覚える。

ミルキが部屋に籠ってるのはいつものことだけど、親父やジイちゃんが居ないのは珍しい。

いや、居ないことはよくあるけど、どっちか片方は大抵居るし…というか姉ちゃんも居ない。そのせいか執事も少ない。

「…カルト。親父たちは?」

向かい合ってオレと同様に朝食を取っているカルトに尋ねる。おふくろに聞いても良かったが、また何かにつけてめんどくさくなりそうだったから止めた。

「たしか、」
「親父たちは仕事だよキルア」
「!っ…イルミ」
「兄さん、だろ」

その聞きなれた嫌な声に思わず顔をしかめる。オレは今カルトに話しかけたんだよ、とでも言いたかった。でも、言えるわけもなくぐっと抑える。

「といってもゼノじいちゃんはもうそろそろ帰って来る筈だけど」
「…そうかよ」

人が居ないからもしかして、と思ったのだが"こいつ"は居るらしい。

…それだけで"一週間後"は何も特別では無かったんだ、と思った。落胆した。

「あ、オレも今日仕事だから」
「え?」

思わず口に出てしまった。

だって、え?

「ん?なに」
「あ、いや、いってらっしゃい」
「!…………うん、いってくるよ」

イルミの言った言葉がうまく処理できなかった。

仕事?
…だとするなら、ほんとに今日あいつは家にいないことになる。


"一週間後"


姉ちゃんの声がもう一度甦ってきた。
親父とジイちゃんが居なくてイルミの野郎も居ない…それにいつもより執事も少ない。姉ちゃんが居ないのが気がかりだけど、もしかすると…本当の本当に…。

どくん、と心臓が鳴る。これは、期待の興奮だった。

ぼーっとイルミの出ていった先を見ていたままだった視線を元に戻す。

「カルト?」
「!あ、いえ…」

カルトの驚いた顔を疑問に思って呼べば、直ぐに視線を反らされる。

どこかギクシャクした感じだったが今のオレには問題にはならなかった。



そして、今。

おふくろとミルキを刺してオレは家を飛び出ていた。

恐怖はない。オレは未知なる感覚に胸を高鳴らせていた。だからこそ、山を降りて試しの門を開けた時には既に息が上がっていた。

追っては居ない。

何故だか知らないけど、やっぱり今日は人が少ない。

「っはぁ……はぁ」

ゆっくりと深呼吸する。段々と息が落ち着いてくる。が、鼓動は収まりそうに無い。

オレは抜け出せたんだ。あの家を。殺し屋の生活を。あいつからも。もう、誰も殺さなくていい。あんな思いしなくていいんだ。

_コツ

その足音にびくり、と肩を揺らす。息が止まった。

まさか、誰か帰ってきたんじゃ。

血の気が引いた。多分オレの顔は真っ青だろう。ゆっくりと顔を上げる。そこには姉ちゃんが居た。

「姉、」

呼ぼうとして言葉につまった。

…オレは今、この家を抜けた。
それでを何て言えばいい。いや、そもそも今日がオレにとって特別な日と教えてくれたのは他ならぬ姉ちゃんだ。

そんなに、警戒する必要は、ない。

『キルア。こんなところでどうしたの?』
「あ、あのさ。姉ちゃん」
『うん?』
「オレ」

姉ちゃんの言った通りにしたよ。
オレのやりたいことをやりに行くよ。

そう言おうとしたのに、口は開いたまま動かなくなった。


『キルア、その血どうしたの?』


指が一本も動かせない。瞬きも出来ない。汗が垂れてきてもなにも出来ない。

_コツ コツ

姉ちゃんが近づいてくる。
一歩、一歩…その度にオレの体に何tもの重りがかけられる。その重さにむしろ崩れて潰されてしまいたいのに体はピクリとも動かない。

『それ、誰の血?』

姉ちゃんの手が伸びてきてオレの肩に触れる。その重さに悲鳴をあげそうになる。そしてオレの視線に合わせるように姉ちゃんが膝を曲げる。

姉ちゃんの瞳はオレと同じ色で何度も見ている筈なのに、真っ黒に見えた。

『……誰の血?』

_恐怖

「ご、ごめん…ごめん、なさいっ…」

溢れたのは謝罪。謝らないと自分の中の何かが割れてしまいそうで怖かった。

『……』
「もう、しないからっ、だから」

怒らないで。オレを嫌いにならないで。失望しないで。

姉ちゃんはオレの支えだ。
だから姉ちゃんに怒られるなら家に戻るから。だから嫌いにならないで。
優しくして。いつもの姉ちゃんに戻って。オレがいけなかったから。

自分がボロボロと綻んでいく感覚に襲われた。自己の消失。
ただひたすらに、目の前のこの人に許しを求める。


『………あー、んー、うーーー』


少しの奇声が聞こえ、直ぐに体が包まれる。抱き締め、られた。

「…ごめっなさ」
『あーあーあー、えと、うん。謝らなくていいから。ごめんね。怒ったりしないから。だって私はキルアの味方だもの』
「姉ちゃ…」
『泣かせてごめんなさい』

体が離れその暖かさが失われる。同時にさっきの感覚もどこにも無かった。

『…そんなに泣かないでよ。びっくりする』
「いや、原因は姉ちゃんだろ」
『それにしてもだよ』

姉ちゃんの親指がオレの目尻を拭う。その感覚が心地よかった。……これからしばらく姉ちゃんに会えないと思うと少し寂しくなった。少しだけ。

『さて、行っておいでキルア。あ、後で遊びにいくから』
「遊びにくんな!バレるから!…………行ってきます。…風邪引くなよ、最近髪乾かさないで寝てるだろ」
『うん?大丈夫だよ、バカは風邪引かないから』
「それ自分で言う?」
『ほーら、走って』

いつもの姉ちゃんの笑み。
オレは勢いよく地面を蹴って振り替えることなくその場を去る。

「…あ」

走りながら、自分の手を見てその真っ赤な血をどこかで落とさないと、と思う。確か、どこかに公園があったはずだ。姉ちゃんに連れてってもらったいつかの公園が。そこで落とそう。と目的を決める。

…これからは自分で決めて、自分で出来る。

拳を握りしめて、乾いた血が少しぼろぼろと剥がれた。

「…………」

さっきの変な感覚を思い出す。
あのとき姉ちゃんが何を言ってたのか分からなかった。自分が何を言ったかも覚えてない。というか、あの一瞬の記憶がほぼ曖昧だった。思いだそうとしても、ぼやけて、何も見えない。
でも、なんとなく二度と感じたくないと思った。

姉に拭われた目尻を血のついてない指でなぞる。

なんでオレは泣いてたんだろう。

……さすがに姉ちゃんにしばらく会えないからじゃないだろうし。そこまでオレはシスコンじゃない。

シスコン度ならイルミがぶっちぎりの一位だろうし、二位はカルトか。何かと姉様、姉様言ってるし。

あ、そういえば結局聞けなかった。

どうして"一週間後"が魔法の言葉になるって姉ちゃんは知ってたんだろう。

 

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