碧に染まって

□気持ち
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不安だった。

こんなにも不安になったのは初めてだった。

ボクの気持ちが伝わってないんじゃないのか、と思った。

…ノアはもう、ボクなんてどうでもよくなったんじゃないか、とも思った。

怖かった。怖いと思った。

ノアに近づきたいのに足が震えていた。

『ヒソカ』

そう呼ばれ、身体がずいっと引っ張られた。不意討ちだったし、こんな状態だ。ボクは何も反応できなかった。

_バン

銃声だ。ボクの後ろから聞こえた。

咄嗟に彼女に当たったんじゃないかと確かめようとするが、それは出来なかったし、する必要もなかった。

ボクはノアに抱き締められていた。

そしてボクは見ていた。

瞬きはしていないのに急に無数の鎖が現れ、ノアの肩越しに見える男たちのそれぞれの心臓と繋がった。

それもここ、だけじゃない。

視界に映る全ての人間。…多分ボクの後ろに居る人間も。

この会場に居るボクとノア、二人を除いた全ての人の心臓に鎖が繋がっていた。

鎖を辿るとノアの背中に行き着いた。けれど、背中から無数の鎖が出てる訳じゃない。

丁度鎖骨と鎖骨の中心あたりから一本の鎖が伸び、途中で枝分かれしていた。まるで蜘蛛の糸みたいだった。


ボクは震えていた。でも恐怖じゃない。

これは、歓喜に近い。



直ぐに、瞬きもしてないのに鎖は消えた。最初から何も無かったかのように。

辺りでドサリ、と人の崩れる音がする。崩れた奴の心臓に傷は無かった。けれど、確かに死んでいた。

凄いものを見ている気分だった。
そこらへんの安いマジックとは違う、人の一生を数秒で見たような、そんなあり得ないものを見ているようだった。

『そっか…そうだね。私もヒソカが好きだよ。さぁ、一緒に逃げようか』

ゾクリ、とノアの呟きに身を震わせる。まるで悪魔のささやきだった。

ノアがすっと離れ、立ち上がる。

『行こう』

そう言うノアは、ここ数日で一番の笑顔だった。それは天使の笑みだった。

余韻に浸っているボクの手を掴み、ノアはステージへと歩き出す。多分、表からだと目立つと思ったんだろう。

無数の死体を眺める。絶景だと思った。

『………』

ノアが舞台の袖を見て止まった。何かあるのだろうか。…それとも生き残りが?

『……』

かと思ったらノアは歩くのを再開した。気のせいだったのかもしれない。

暗い袖に入る。そこにまで死体はあった。無傷で倒れている死体が。

『…、と。流石に聞き付けてるよな』

非常口を開けようとしたノアが言う。別段物音はしない。けれど彼女にはこの向こうに人が居るのが解っているようだった。

『…ヒソカ、後ろに乗って』

ボクはノアの言われた通りに背中に乗った。…おんぶされるなんて初めてだ。けれどその温かさは少し懐かしい気がした。

『ちゃんとつかまっててね』

ノアが勢いよく扉を開ける。一斉に待ち構えていた銃口が向いた、けれど彼女に意味はない。

景色が凄い速さで過ぎ去っていく。その中の銃口も過ぎ去っていった。全て一瞬の出来事だった。

そして止まる。

『…とりあえずは撒いたか。ヒソカ、ここら辺にホテル…泊まれるところとかあったりする?』

ボクは頷く。ここら辺は出荷の度に来るから大体わかっていた。

この道を進んで左にあったはず。そう伝えると、ありがとう、とノアはボクの言った通りに歩き出す。

そこにはホテルがあった。高級でもなく、質素でもない一般的なホテル。

自動ドアを躊躇うことなくノアは入っていく。背中に乗るボクも勿論入ることになる。

『すみません。一室空いてませんか』

受付の女はボクたちを見て明らかに驚いていた。そりゃそうだろう。ノアはこんな格好だし、ボクなんかは血塗れだ。

『それと、お金は生憎と持っていなくて…これでなんとかなりませんか』

ノアは髪に付いていた留め具を外しカウンターに置く。それからピアスも。

留め具やピアスには宝石がふんだんに散りばめられていた。全て本物だろう。全て換金すれば…ここの宿代なんて余裕で払えてしまう筈だ。

受付の女もぎょっとしていた。

『…さっして頂けると助かります』

ノアは独特の威圧のある声で言う。受付の女は一つ頷くと鍵をそっと出した。ノアはありがとう、と言い受けとる。

『…えっと、ヒソカ少し下ろすね』

ノアはボクを下ろす。視界が一気に低くなった。ノアは受付の女に何か言っているようだったが小声で解らなかった。

それからノアはボクの手を掴み歩く。ボクの戸惑いは一切無視だ。

そして205と書かれたプレートの部屋で止まる。そして鍵穴に鍵を差し込み回した。ガチャ、と開く音がする。ノアは扉を開けて入る。ボクも続いて入った。後ろで扉の閉まる音がする。

『ふぅ…やっと落ち着けるね…』

ノアが息を吐いた。ボクはその背中を眺める。

『ヒソカ?』

ノアが振り返った。そして驚いていた。

ノアがボクに近づいてくる。そしてボクの頬を柔らかい親指で拭った。



『…泣いているの?』



ボクは驚いた。なんでボクは泣いてるんだろう。

悲しくも痛くもないのに、涙がポロポロと溢れた。

「…わからない」

解らなかった。このふわふわした、足が地に着いていないような感覚が。わからないのに怖くはないこの感覚が。わからなかった。わからなかった。せっかくノアの側にいるのに、二人だけなのに…ボクは壊れてしまったみたいだ。

『ヒソカ』

ノアがボクの顔を上に向かせる。緑の瞳の中に泣いているボクが見えた。

『ヒソカは正常だよ』

ビクリ、と肩を揺らす。心を読まれたのかと思う言葉だった。

ノアの腕が伸びボクの背中に回った。それから抱き締められる。…また、まただ。ノアの温もりにどうすればいいかわからない。どうすれば正解なのかわからない。

『考える必要はないよ』

…どうして、ノアには分かるんだろう。ボクには全然分からないのに。

『キミが分かりやすすぎるんだよ』
「な、んで…」
『…ヒソカ。ゆっくりでいいんだ。キミはまだ幼いから時間はたくさんある。…理解しようとしなくて良いことだってあるんだ。ただ…感じるだけで良いことだってある』

ノアの声が心地良い。だから、ノアに全てを預けてしまいたくなる。

『言ったでしょう。君の生活は私が保証するって。…約束は守る』

ノアの言葉はボクの脳を揺らした。一種の睡眠薬のような心地よさに酔っているようだった。

『私はヒソカと一緒に逃げてきたんだから…』

ノアがボクの頭を撫でるリズムが余計に睡魔を誘った。ボクを呼ぶ声は子守唄のようだ。…子守唄。

そういえば昔、ボクは子守唄を聞かされていたのを思い出した。それがボクの母親かは知らない。…その時のボクは愛されていたんだろう。……。
…まぁ…なんでもいいけど。

もう…なんでも、いい。

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