碧に染まって
□碧と琥珀
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この家でヒソカと暮らすようになり1ヶ月は経った。
一応、未知なる地で暮らすことに不安もあった私だが、特に問題は起きてない。…嵐の前の静けさとも言うが、そもそもこの家に住むまでが嵐だったとも言える。つまりは嵐の過ぎた静けさだな。
『……………』
…決して上手いことを思った気にはなってない。決して。
ヒソカに関しては、"とりあえず私に従う"、ように動いていたのが、最近は自分の意思もちらほら見える。
以前は買い物を頼むと直ぐ帰ってきたが、最近はどこか寄り道でもしているのか帰ってくるのが遅くなった。…あー、これは喜ぶべきことなのか微妙だが。
皿洗いを私が頼む前に自分からやるようになったし、お風呂掃除も同様。服だって畳んでくれる。……私がヒソカ位の時はそんなに自分から手伝ったりしなかったな…なんて思い出した。
…というか、これは意志が見えてきたと言うよりただ生活に慣れてきたのか。
買い物以外でもヒソカは外出するようになった。勿論、はじめの内は私も同伴だ。常連であるデパートはここからあまり離れていないためまだいいが、その先となると心配である。
ヒソカは賢いしそこら辺の人よりも強いのだろうけど、子供が自分の目の届かない所で連れていかれた経験がある私としては、慎重にならざる終えない。そもそも、追われる身であることも忘れてはいけない。
あの夜の出来事はテレビ(私の知るものと同意)でも、大きく報道された。
やはり私の予想は正しく、流石に様々な会社のトップが同時にいなくなっては、その会社側も隠すことが出来ず闇オークションの全貌は直ぐに暴かれた。
ジャーナリストたちがこんな大きなネタを見逃すわけもなく、新聞(これも私の知るものと同意)やテレビのニュースで大きく取り上げられた。
よって民間にも伝わり、その闇オークションに関わった会社関係は次々と信用を失い、潰れていった。
だからこそ、"犯人"である私は相当恨まれているに違いない。
……今思っても、私はどうしてあの時全員を殺してしまったんだろうか。殺す気など到底なかったのだ。…いや、多少はあったが全員なんて考えはない。出来るとも思わなかった。それに、私は頭の回転には自信がある。殺した後の結果だって見えていた筈なのに。
……………いや、あの場で冷静な判断なんて出来なかったか。ヒソカの気持ちを聞いて感情は高ぶり、"この場でヒソカ以外どうでも良い"と少しでも思ったのは事実だ。
…結果として、全員殺したからこそ私たちの顔を知る者は居ないのだが。
それも1ヶ月経った今では落ち着いた。ニュースにはもう取り上げられていない。街を歩いてもその話題は聞こえない。だが、あの闇オークション関係者……つまるところ"被害者"は一生忘れることは無いだろう。
まぁ何にせよ…ヒソカに放浪癖のようなものが付いてしまったようだ。今まで従って生活していた分、その反動なのかもしれない。
ちゃんと帰ってくる以上、ヒソカの行動に文句はつけていない。…けれど、帰ってくる時間がわからないと夕飯を作る私が困るのだった。
冷めちゃったらもったいないからな。
今日は午後7時には帰ってくるだろうと予想し、現在午後6時頃に私は夕飯の支度をしていた。
一定のリズムで野菜を切る。包丁も毎日使えばそりゃあ慣れる。今なら林檎の皮剥きもスルスルと出来る。二秒くらいで。
と、調子にのった。
『っ…』
ドクン、と指に何かを感じぱっと包丁を離す。
『っうあ!!』
離した包丁がまな板からずり落ち床へと落ちた。…あ、危な。避けなかったら足の甲にぶっ刺さっていた。
『…………一人でなにやってるんだ私は』
静かな家の空気に自分の頭も冷やされる。
…ふぅ。一旦息を吐き床に綺麗に刺さった包丁を抜く。
包丁一本しか買ってないのに…。刃の部分が少し傷ついていた。
包丁を取り敢えず流しに置き、それから問題の左中指を見る。
『…あーあ』
第二関節辺りに血が付着していた。
猫の手は指を切らないようにする切り方だが、中指が出っぱってしまったら意味がない。どうやら第二関節を上からザクリといった具合だな。
指を切るなんて何年ぶりだろう。とりあえず血を拭き取ろうとティッシュに手を伸ばす。
…本当にテレビやら新聞やら冷蔵庫やらオーブンやらティッシュやら…私の知っているものばかりだった。こうなると、ここはパラレルワールドだな。
ティッシュで指を包み込む。血が出るってことはそれなりにザックリいったのだろう。パクパクしている傷口を想像し、痛そうだなぁ…と他人事のように思う。
絆創膏等の簡単な医療品は買ってある。医療品の入っている棚を開け、お目当ての絆創膏を一枚取り出す。
…さて、傷口はどうなってるかな。とパクパクを思い浮かべながらティッシュを外す。
『……あれ』
自分の指を見て思わずそう呟いてしまう位には驚いた。
そこには傷口なんて無かった。
『……………え』
何度目を凝らしても右手で触れてもそこには"自然な"凹凸のない指だった。
……………ちょっと待て。
幻覚?気のせい?そんな訳はない。これで血が出ていなかったらそう思えるが、指には乾いた血がついているし何よりティッシュには赤い血が少量染み込んでいた。それは確かだ。
だから、私が包丁で指を切り血を出したことは事実。私の頭は至って平常、可笑しくなった訳ではない。
可笑しいのは、傷のない私の指。
『…………試してみればいいのか』
一度体験してわからないなら、もう一度同じ事をすれば良い。これでまた傷口が無いようなら私の指が可笑しいと確信が持てる。違うようなら私の頭が可笑しくなっていたんだろう。…それはそれであれだけど。
包丁を右手に持ちそれとなく左指を近づける。そして………………離した。
『…………』
なにこの緊張感…。というか血を出すくらいに包丁で切るって…痛いよな、当たり前だけど。さっきは予想してなかったから痛みは感じなかったけれど、これから傷をつけると理解していると、余計な想像がぐるぐると頭を回ってしまう。
自分の意思で…ましてや包丁で自分の指に傷を付ける経験など、私にはない。
『……………あ』
そうか、別に傷ができればいいのか。なら、包丁でなくても良いじゃないか。今問題なのは、包丁ではなく私の指なのだから。
左の中指に右の人差し指の爪を立てる。やはり、自分の爪なら恐怖や緊張感はない。そして…ガリッと。
ドクン、と一瞬の高鳴りはあったものの直ぐに収まる。本来なら軽く血がにじんでも良いくらいには引っ掻いたのだが……………
『……ない』
傷はなかった。血も出ていない。
……つまり、だ。可笑しいのは私の指で確定だ。
因みに、と思い腕辺りも引っ掻いてみる。
ドクン、と高鳴ったかと思うと収まり、そしてやはり傷は無かった。
つまり、可笑しいのは指だけでなく私の腕もか。
他にも足とか頬とか…試せるだけ試してみるが傷は残らない。
『………』
ここまでくればもう大体理解した。なるほど。私は傷がつかないらしい。
ただ、深く切れば血も出るため正確には傷が全くつかない訳じゃない。けれど、傷が出来てそれが治る過程を目で見ることは出来なかった。だから、感覚的には"傷がつかない"と同じだった。
『……どんどんビックリ人間になっていくなぁ私は』
お腹が空かないことを始め、念という能力…なにもしていないのに筋力や体力の上昇…視力、聴力などの感覚神経の能力向上…異常な気配察知…そして異常な回復力…。
このままの勢いで進化していったら、いつか"人間"の枠組みからポロっと外れそうだ。
もっとも、もう外れているのかもしれないが。
……でもまぁ、取り敢えず傷つかないというのは悪いことじゃない。むしろ傷を負わない、なんて、あらゆる人から羨ましがられるであろうものだ。
というのが取り敢えず私の中で出した結論。傷口が無かったことへの答え。
…しかしもう一つの答えは分からない。
手の甲を引っ掻く。
ドクン、と心臓が鳴る。傷はない。
……傷を付けると必ずこの嫌な鼓動がする。何回試しても必ずするのだ。それも、とても嫌な感覚。鳥肌が立つような悪寒だった。
疑問点があったら解決したいのが私の性分だが、これは難解。何度試しても分からない。
…いっそ、腹に包丁でも刺すか。そこまでやれば何か分かりそうな気もする。刺して血は出るだろうが、結局この異常な回復力で治るわけだし…。いや、でも痛いのはなぁ。それに腹は刺し処を間違ったら致命傷になりかねない。
刺すとしても肩くらいが丁度いいか…。
肩……、肩?
そういえば、私は肩にナイフを刺されたことがあった。
あの時は…はて、どうだったかな。
痛みは…無かった筈だがあの時は感じてる暇が無かったからだろうし…。
まぁ、とにかく試せば良い話しか、と血が垂れて床が汚れると面倒なのでお風呂場にしようと包丁を持つ。
_ガチャ
いざ向かおうと思った時に玄関の扉が開く音がする。…ヒソカ、帰ってきたのか。
仕方ないのでナイフは流しに戻す。そして玄関へ向かう。
『ヒソカ、お帰り…!』
「…………」
私はそこに立っていたヒソカに目を見開く。というのも、彼は傷だらけだったのだ。