碧に染まって
□君を見た
2ページ/2ページ
何とも言えない空気が流れてお互い沈黙する。
けれどこれは嫌な沈黙ではない。
沈黙の中には様々な感情が渦巻いていて、その全てに浸っていた。多分、少年もそうだろう。
『…少年』
「…なに?ノア」
『……いや。本当にクロロ少年なんだ、と思って』
「…もう少年じゃないけどね」
『それは、確かに』
そう言って、お互い吹き出して笑い合う。……ああ、そうだ。私と彼はもう大人と子供じゃない。少年ではないのだ。
『……あの、ね。君と…あの子たちと別れてからずっと…ずっと捜してたんだ。だから…まさか少年の方から来てくれるなんて思ってなかった』
忘れていると、覚えていないと、思っていた。……それほどまでに長い時間が経った。彼の目は私より高い位置にある。彼の手は私より一回り大きい。
「オレもずっと捜してた」
『……忘れてると思ってた』
「忘れる訳ないだろ。…忘れられる訳がない」
ああ……どうしよう。
少年の言葉が嬉しくて胸が一杯になる。
ぎゅっと心臓を上から握った。……硬い感触。手を開いてみれば十字架だった。…いつの間に表に出たんだろう。
『少年』
私は少年に近付いていって両手を広げる。意図が分かったのか少年は静かに目を伏せる。
膝立ちになって私は少年を抱き締める。……大きな頭。それでも指の隙間を通る髪は、艶やかで柔らかだった。
「……ノア」
『なにかな?』
「…………いや、なんでもない」
クロロ少年は何故かため息を吐く。その感情は呆れだった。…何かしただろうか、と振り返るが該当するものはない。思考を切り替えて髪の感触に集中した。
黒い髪にかつての"がさつき"はない。私の指に絡み付くことなく通っていった。その光景が、心を満たしていく。
……ずっと捜していた。星を見上げれば彼を思い出した、町の子供を見れば彼らを想像した、文字を見れば記憶が甦り、本を読めば時間を遡った。
毎日の生活の所々で、私はいつも彼らを見ていた。彼らの現影を見ていたのかもしれない。年月を重ねるごとにその傾向は強くなった。
…知識が増えれば増えるほど、この世界に慣れれば慣れるほど、私は生きる意味を失っていく。
死を失うことは、生を失うことに等しい。
それでも生きているのは彼らが居るからに他ならなかった。
十分彼の髪を堪能して、そっと離れる。……少し髪が崩れてしまった。それを整える。
『…それにしてもよく見つけたね。私は全然、君を見つけられなかったのに』
行動の制限があったにしても、捜している年数は数年じゃない。それに、これでもいろんな場所には行っているつもりだった。情報もしらみつぶしに調べたつもりだった。それなのに私は、あの教会の場所を突き止めることが出来なかった。
「最初に見つけたのはオレじゃない。オレの仲間が見つけてくれた」
『仲間?』
「ああ。……後で紹介するけど幻影旅団っていう組織の仲間」
『幻影旅団…』
生憎と聞いたことはなかった。旅団…ということは旅をする集団なんだろうか。キャラバン、みたいなものだろうか。幻影…現影…どちらにしてもあやふやなもの。…一体どんな組織なんだろう。
仲間、というのだから少年もその組織に所属しているのだろう。
「一応、オレが団長なんだ」
『!え、凄い。団長…なんだから一番偉い…トップってことだよね』
「そうだな。…改めて言われると変な感じがするよ」
驚いた。幻影旅団という組織に入っているだけでなくまさか一番上の人だなんて。……意外だ。少年はどちらかというと二番目に居るタイプだ。私の知る少年はそうだった。
一番上の人間を補佐したりすることが得意なタイプ。自分は一歩引いたところで常に全体を眺めている。陽と陰なら陰だ。…決して一番上の人間が陽と決めつけている訳ではないが、そういうイメージがある。
「そこにはみんなも一緒にいる」
『!』
その言葉で思考を中断する。顔をあげた。
『…そう、そうなんだ』
私の頬は緩んで、胸からは嬉しさが込み上げてくる。……少年と会って、同時に心のどこかで思ったことだった。
子供から大人へと成長する過程で、周りの人間も勿論変化していく。
小学校の頃の親友が、大人になっても親友とは限らない。それは極当たり前のことだ。
でもそうか、みんな…居るのか。
嬉しくない訳がない。その事実だけで心が温かくなる。会いたい、と気持ちが募る。
「ああ。あいつらにも早く会わせてやりたいよ……でも」
『!わ、』
腕を引き寄せられた。バランスを崩してそのまま彼の胸板に頭を打つ。
「今日は…オレの独り占め」
『……』
「ノア?」
思わず私は吹き出していた。クロロ少年の疑問が向けられる。
『っ、…ううん。なんでもないんだ。ただ、嬉しくて』
子供みたいな口調、独占欲。
その全てが愛しい。
私は彼の背中に手を伸ばして撫でる。
『うん。今日1日私は少年のものだ。その代わり、少年も私のものだよ』
擦ってしまうのは癖だった。
『君を甘やかす時間は何年も溜まっているからね。今日1日ではとても消費しきれないけれど…それでも、なん分の1くらいは減らせるくらいたくさん甘やかしてあげよう』
それに、甘やかす、ことを必要としているのは私もだった。
考えることはたくさんある。話すこともたくさん。
でも、今はいい。
ただこの時間を一瞬を…大切にしたい。
大丈夫。ちゃんと腕の中には温もりがあるのだから。
「………」
そう言い聞かせて私はもう一度確かめるように彼の背中を撫でた。