碧に染まって
□声
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歌声が聞こえた。
綺麗な…声。透き通るような、消えてしまいそうな程、透明な声。
曲は知らなかった。似ているような曲もない。はじめての曲。
言葉も……分からない。
何を言っているのか分からないけど、とても穏やかで、優しくて、オレは導かれるように目を開いた。
先ず見えたのは真っ白なもの、けれど良く見れば花のような絵柄が付いていた。…オレは今寝ているようだから天井だ。
ここがどこかの部屋であることをなんとなく理解する。それから声の聞こえる方を見た。
椅子に膝を抱えて座っているノアが居た。…ノアは窓の外を見ていてオレには気づかない。……まるで絵画みたいな光景に一瞬息を止めた。
歌が止まる。
『………起きたの、?』
ノアの金色の髪が揺れて、振り替える。外の光がノアを包むように照らしていて…本当に神様みたいだった。
「……ノア…、」
『おはよう。クラピカ』
ノアが窓から離れてベッドへと近づいてくる。……そしてすっと、ノアの手がオレの額に当てられる。急なことで反応も出来なかった。
『……うん。もう熱はないね』
「…ねつ…?」
『君は3日3晩寝込んでいたんだよ』
そう、だったんだ。3日……全然わからなかった。オレにとってはさっき…ノアに会ったばかりだったから。
『お腹空いてるでしょう。食べられそうなもの持ってくる』
ノアはオレの頭を軽く撫でると窓を閉めて、寝室を出ていった。
…頭にそっと触れる。
………ほんとに、来てくれるなんて…思ってなかった。
あの時…オレは動転してて…訳がわからなくて…どうしようって思って……そしたらジイサマに言われたことを思い出したから。
_何かあったらノアを頼るといい。
そう言ってジイサマはノアの番号を教えてくれた。
……使うことなんてないと思った。だって、オレはノアと……親しい訳じゃないし……村で一回遊んだくらいだから…。
………ノアはどうしてオレがあそこに居るって分かったんだろう。電話では…名前しか呼んでないのに。…そもそもオレの名前は言ってない。
『おまたせ』
扉が開いてノアが入ってくる。…お盆からは湯気が立ち上っていた。
ベッド横のサイドテーブルに置かれ、同時に上体を起こす。……瞬間、お腹が鳴った。
『はは、そりゃあ3日も寝てれば無理ないか』
「………」
『焦らず食べてね』
お盆の上には白いお皿に白いものが入っていた。…お粥だ。隣には水の入ったコップも置かれている。
おずおずと手を伸ばしてスプーンを取る。…ノアはじっとこちらを見ていた。食べるのを待ってるんだろう。
「…いただき、ます」
少なめに掬って、口に運ぶ。
そして含む。…温かい、塩味の効いた味。無意識に飲み込んでいた。
『………どうかな』
「……おいしい」
『…よかった』
ノアは本当にほっとしたようにそう言った。
おいしい…おいしい。あたた、かくて。
「…っ…ふ……」
込み上げてきたものが抑えられなくて嗚咽を漏らす。溢れてきた涙を必死に服の袖で拭う。
『クラピカ』
拭っていた両手首を掴まれる。思わずびくり、と肩が跳ねた。
『そんなに擦ったら赤くなっちゃうよ………ああ、ほら』
ノアは心配そうにオレの顔を覗き込んで、親指で目をなぞる。…それが心地よくて…気づくと涙は止まっていた。
「…ノア」
『うん?』
「ノアは………どうして来てくれたの…」
『……その答えは3日前に言ったはずだけど、忘れてしまった?』
「ううん…覚えてるけど…そうじゃなくて」
だって、ノアがオレに構う理由なんてない。オレを匿ったって…良いことなんてない。
『…そうだなぁ。…そこまで言うなら、理由は大きく二つある』
「二つ…」
ノアは窓際に置いてあった椅子を持ってきて、ベッドの横に座った。
『一つは長老に頼まれたから』
「!!ジイサマ、に…?」
『うん』
そんなこと知らなかった。…いつの間にそんなこと言ったんだろう。だってノアが村に来たときまだオレは外に出ると決めてなかった。
『もう一つは、君を放っておけないから』
「……なんで」
『私は子供が好きなんだよ。…ああ、決して変な意味ではなくてね』
…そんな風に言われても、オレの気持ちは変わらない。
『……そんな顔をされると悲しくなるのだけど』
「………ごめんなさい」
『いいよ。君との友好度はまだ初級レベルだから。無理もない』
そんなことより、早く食べないと冷めるよ。と言われオレはスプーンをまた真っ白な中に沈めた。
『クラピカ』
食べ終わり、少し時間が経った頃ノアがオレを呼ぶ。
「……なに」
『君は、これからどうしたい』
「どう……」
そう言われてオレは表情を曇らせる。…少しでも我にかえるとみんなのことを思わずにはいられなかった。気を抜けば…また、涙が溢れそうになる。
……これから、なんて考えられなかった。考えたくなかった。だって…これからずっと、何年経ったって、父さんも母さんも……パイロも…
『クラピカ』
「!…ぁ」
強めに呼ばれ、はっと顔をあげる。
……ノアは困ったような顔をしていた。オレと目が合うと、真剣な表情に変わる。
『…クラピカ、君に選んでほしいんだ』
「選ぶ………?」
何のことか分からないので首をかしげる。
『…私は長老に君のことを頼まれた。だからこれから先、最低でも君の安全がとれるまでは世話を焼くつもりでいる。……けれどそれは君の意思じゃないだろう。今の君にとって…私は信用に値する人物ではない。……だから選んでほしい』
私と共に来るか、今まで通り過ごすか。
…オレはそっと目を反らす。
………ノアのことは…正直、よく分からない。悪い人じゃないのは知ってる。……だけどその優しさが怖くもあった。
……本当は…ノアがオレに優しくするのは…眼を、盗るからなんじゃないかって。そう、嫌でも思ってしまった。
でも……だけど………。
これから一人で過ごしていくのを想像して…身が震えた。独り暮らしには慣れたけど、そういう次元じゃない。
だって、あの時はオレには帰る場所があった。……パイロの眼を治すという目的の為なら何だって出来た。だけど……もう……その目的も意味がない。
「…ノアって強いんだよね」
『え…そんなこと誰から聞いたの』
「プラムが言ってた」
『ああ……なるほど』
みんなはただ死んだんじゃない。……殺された。眼を盗られて。……まだ犯人は捕まってない。確かな証拠もない。
_怒りが 湧いてくる。
どうして死ななきゃいけなかった。なにもやってないのに。ただ、暮らしてただけなのに。…ただの眼だけの為に…なんでみんなが、殺されなくちゃいけない。
「…ノア。オレはみんなを殺したやつを許さない」
言うと、ノアの目が細められた。
「絶対に…捕まえて、みんなの眼を取り戻す」
『………』
「………強くなりたい」
殺したやつら全員捕まえられるくらい。みんなの眼を取り戻せるくらい。
強く、強くなりたい。
「だからノア、オレに…戦いかたを教えてください」
オレは頭を下げる。……オレにはもう、頼める人はノアしか居なかった。それに、オレの眼が目的ならとっくに盗ってる筈だ。でもノアはオレを寝かせてくれた、ご飯を食べさせてくれた。
一人じゃないと言ってくれた。
それはただの同情かもしれないけど……でもオレにとっては…大きな意味を持った。
『……クラピカ。顔を上げて』
「………」
言われた通り顔を上げる。
『もちろん、いいよ。元々教える気だったし……最強、とまでいけないけど今よりは強くする』
「!」
頭にぽん、と手が乗せられる。…それだけで何故かまた泣きそうになった。
『君は…頭が良い。きっと直ぐに強くなる。たけど、自分を見失っちゃ駄目だよ。今、君が感じている感情、思い、言葉……それを忘れてはいけない』
ノアの言葉の一つ一つがストンと心に落ちてくる。覚えるように、心に刻む。
『……なんて、偉そうなことを言える立場ではないけどね』
ノアの自嘲するような声が聞こえたあと、ゆっくりと手が頭から退く。
眼があって、ノアが微笑む。
『君が一人立ちするまで、必ず君を守るよ。だからよければ…もう少し私を信じてくれると嬉しい』
ノアはすっと手を前に出した。……それは握手を求める動作だった。
『私はノア。これから宜しくね、クラピカ』
そう微笑んだ彼女の手を、オレはきつく握った。