碧に染まって
□警戒
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彼女に弱点があるとしたらその鈍感さだ。と再確認する。
他者の感情や行動には敏感に反応するのに対して、己には異常なほどに鈍感だ。
まるで自己というものが無いかのようにも見える。
彼女の蹴りや腕を受け流し、距離を取る。
「………」
やはり重い。
自身も纏をしているのに関わらず、受けた箇所が痺れる様な感覚を覚えた。
鍛えた訳ではないだろう。彼女、ノアにとって"鍛える"ことが何の意味もない行為であることは知っている。
彼女は成長しない。何を食べても、いくら走っても、体が変化することがない。
唯一変化するとしたら怪我だが、結局一瞬で元に戻る。
念も、変化があるのは扱いの得手不得手であって…いや正確には得て不得手も関係ないが…オーラの量は変わらなかった。その性質も。
しかし、どうだ。
『っと、今のは入ったと思ったんですが』
「いい線いってたのは確かだが甘いわ」
『厳しいなぁ……あと30度上だったか』
小声で分析を始めるノアに静かに息をつく。
蹴りの一つでも入れられるように頑張る、と言った言葉は嘘では無いらしい。確実にこちらを攻めてきていた。
実際、油断も隙もない。
まだノアがワシを警戒しているだけいいが……。
彼女は今まで通りでも、こちらはそうはいかない。
「……」
纏をこれ以上抑えれば、彼女のオーラに呑まれるだろうな。
彼女のオーラは全体的に増加していた。まともに受ければワシとはいえかすり傷ではすまない。
それほどまでのオーラを扱っているにも関わらず、ノアは疲弊しない。
ノアの肉体的疲弊をワシは見たことがない。
「………」
改めて、彼女…ノアは異常だ。
同じ人間ではない。だが思考は人そのもの。
『っ……』
「は、まだまだだな」
『流石です。常々、貴方が敵ではなくて良かったと思います』
「………」
それはこっちの台詞だ。と内心呟く。
そもそも彼女をゾルディックに迎え入れたのはそれが根底にあった。
殺せない以上、無理矢理にでも支配下に置く必要があった。…幸いにも彼女は鈍感だった。
ノアが一度引いたのを見て畳み掛ける。だが、当たるわけはない。……もう少し若ければの。
ノアは器用に上半身をひねり、本来の目的通り距離を取った。
体勢を整える彼女に追い討ちはしない。今入っていった所で袋のネズミになる。そう長年の経験が物語っていた。
「……」
オーラ以外の変化は特にない。記憶が無くなる、とも言ったがその様子もない。強いて言うならいつもは服の下にある十字架が出ていることくらい。
「……その十字架」
『え?』
距離があるからだろう。ワシの呟きが聞き取れなかったのかノアが聞き返してくる。
「………」
『え、…あの?』
一度戦闘体勢を解く。
それからノアへ歩いていく。
『あ、あの…?ゼノさん?』
「不意打ちはせん。そのまま立っていればよい」
『そうは、言っても…ですね』
近づく程に彼女の表情には混乱が強まる。
『あ………の』
「……うむ」
十字架はオーラを帯びていた。
それもノアのものではない。別のオーラ。
それから疑問が浮かぶ。それは以前からあった疑問。
「おぬし操作系だったな」
『は、はい。そうです…というかゼノさんに言われて水見式をしたらそうだった筈ですが』
「もちろん覚えておる」
てっきり具現化系か特質系だと思っていた予想が外れたときは驚いたものだ。まぁ、操作系であったとしても特質系が隣り合っているのには納得したが。
とは言っても、ノアの鎖は具現化させたもので間違いない。あれは実物の鎖ではない。確実に具現化系の能力。…確かに彼女のオーラ量なら二つ離れた具現化系の能力を扱うことも可能だろう。だが、わざわざ使う意味はない。しかし、鎖を使いづらそうにしている訳でもない。
むしろノアは操作系の能力を使ったことがない。
だからなぜ彼女が操作系なのか。…一瞬、水見式を疑ったこともある。だが筋違いというもの。
疑問だった。
「そういえばあまり聞いたことがなかったの。その十字架。どうして着けてるんだ」
いつから、は以前聞いた。彼女曰く"…この世界で自我を持ったときにはつけていた"らしい。つまりは生まれた頃からということ。
勝手に形見か何かだろうと思い込んでいたが。
『どうして…と言われましても。…そもそも外す理由もないですし。というか、普段着けてることを意識したことはないですから』
「ほう。着替えの時でもか」
『ええ。鏡を見たら分かりますけど、鏡を見て着替えるわけではないですから』
ノアに嘘偽りは見られない。
『今もゼノさんに指摘されるまで忘れていましたし……あれ、もしかしてこれも?』
ノアは呟いたあと思考を巡らせる。
「…………」
操作系の多くは愛着や長く使い込んだ道具を主に操作する物体として扱う。
ならこの十字架がその道具…いやしかし、ノア自身の十字架の認識は曖昧。それに十字架を操作している所は見たことがない。
…ただの思い違いか?
「ノア。その十字架、少し貸してくれんか」
『?それは構わないですけど』
ノアに躊躇いはない。十字架に特別な思い入れはないらしい。
ノアは十字架を外すように両手で首に掛かる紐に触れる。
『……あれ』
「どうした」
『いや……』
ノアの表情が難しいものになる。
『………取れなくて』
「冗談、を言ってる訳じゃ無いらしいの…」
『はい…恐れながら』
そう返せばノアは困ったように眉を下げた。
『…なんで取れないんだ?…急に筋肉が…ここで止まる』
ノアは腕を下ろし何度か外そうと試す。だが、紐に触れる瞬間。彼女の動きは停止した。
これは確実に何かある。
「ワシが取っても構わんか?」
『はい。…どうやら私じゃ無理らしいので…。お願いします』
両手を下ろし首を差し出すノア。その表情はなんとも言えない。やりきれなさと諦めだった。
「……」
目に悪いな。
戦闘以外でここまでノアと近づくことはない。
白い肌、細い首、作り物のようだった。
ある程度の距離になってから腕を伸ばす。
『!っ』
_パシ と手を弾かれた。
弾いたのは彼女だ。驚きと疑問と疑惑を抱えてノアを見る。
『触らないで!』
「………、」
異なる部分が一ヶ所。
その瞳。
_青い瞳
『っい゛!?』
"彼女"の腕を掴み、捻り、床へ拘束する。
「……おぬしは…お前は誰だ」
それから折れるギリギリで問い詰める。苦痛を訴えるうめきが聞こえる。
…ノアではない。ノアは痛みを感じない。…なら誰だ。
更に腕を捻る。
『こ…降参です』
「……………」
『あの……ゼノさん?降参…なんですが』
うめきが消えた。同じ声の筈だが別人だった。
折れそうになっているのにも関わらず彼女が顔だけをこちらに向ける。困った顔をしていた。そこに苦悶はない。…色は元に戻っている。
戻った、のか?
だが、油断は出来ない。
「誰だ」
『え?……誰か居るんですか』
「いや…」
いや。…彼女はノアだ。
慎重に腕の拘束を解く。完全に離れてからノアは立ち上がる。