fan fiction

□幸福論
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「あなた、幸せ?」


そう聞いたら、ディーノは一瞬固まって、そして、笑った。


「ああ。幸せだよ」
「いまも?」
「もちろん」
「仕事が終わったから?」
「それもある」


ディーノに急な仕事がはいったので、読みかけの文庫本を手に雲雀が寝室に移動した。
それが、一時間前。
ベッドの上、いくつも重ねたクッションにもたれて本を読んでいた雲雀の横に、仕事を終えたディーノが並んで、雑誌──おそらくイタリアの経済誌──を読みはじめた。
それが、十五分前。
その、あまりにものんびりとした姿に、ふと問いかけてみた。
それが、いま。


「ねえ。それじゃあ、あなたの幸せってなに?」
「そうだなあ……」


ナイトテーブルに雑誌を置きながら、ディーノが視線を空に投げた。
こうして、時折脈絡もなく投げつける問いに、いつだって真剣につきあってくれる。


「そんなに、考えこむようなこと?」
「いや、全然」


言いながら、手を伸ばしてくる。
雲雀は、もそもそと移動して広げられた腕の中におさまった。
背中からすっぽりと抱きしめられて、腰に回された手に力がこもる。


「……ディーノ?」
「いままさに、幸せを実感してる」
「ふうん」
「つれない態度も、可愛くて好きだぜ……あのな? さっきみたいに、俺が仕事してると恭弥は本読んだりして待っててくれるだろ?」
「べつに、待ってるわけじゃないけど」
「俺が行っても、おまえ全然警戒とかしないよな」
「……あなたの部屋で、あなたを警戒してどうするの」
「そうだけど、その心を許してくれちゃってる感じが、俺にとっては最高に幸せなんだよ」


笑いながら、ぎゅっと抱きしめられる。
頬と頬が触れて、ほんのりと暖かい。


「あなたの認識には、いろいろ誤解があるね」
「いいんだよ。思いこみも幸せのうちだ」
「……なんだか、あなたが可哀想になってきたんだけど」
「なんでだよ。今日も一日、かなり幸せだったぜ?」
「さっきの話以外で?」
「そ。まず、朝起きたら隣で恭弥が寝てただろ? で、二人で朝飯食って、学校まで一緒に行って。そうだ。恭弥が風紀の仕事してる間に、こっちの仕事もうまくいったんだぜ。そのあと、並中戻って恭弥と戦っただろ。おまえ、また強くなったな。それから、帰りに商店街で買った鯛焼きが美味かった。やっぱ疲れたときは甘いものだよなあ。あと、夕飯で食った牡蠣フライも美味かったし。牡蛎をフライにするなんて、日本人の感性には驚くぜ。急ぎの仕事が入ったのは予想外だったけど、まあ、早く片付いた。でもって、いまは恭弥が大人しく腕の中にいる。非の打ちどころがない一日じゃねえ?」


まったく淀みなく滔々と語られるディーノの幸せに、雲雀は一言も口を挟む隙がなかった。
けれど。


「……そんなことでいいの?」
「ん?」
「だって、そんなのいつもしてることと変わらないじゃない」
「そうだな。でもさ、恭弥。いつも通りのことが幸せって、すごいと思わねえ?」
「え?」
「そりゃあ、一生のうちに何度もないような大きな幸せに較べたら、ささやかすぎるかもしれないけどな」
「あなたは、そういう幸せがいいの?」
「俺は、そうだな。そう思うようになった」
「前は違ったってこと?」
「ああ……前は、俺の幸せはファミリーの奴らと町のみんなが幸せであること。それだけだって、キャバッローネを継いでからずっと、そう思ってた」
「うん」


雲雀は、ディーノの左手の甲を撫でた。
そこに印された、証である刺青を。


「けど、責任とか義務で押しつけられる幸せなんて、あいつらだっていい迷惑だったよな」
「どうして? あなたの立場なら当然考えることでしょ?」
「だけどさ」


さっきの立て板に水状態はどうしたのか。
急に歯切れが悪くなったディーノを、振りかえる。


「それに、町の人たちのことはわからないけど、少なくとも部下の人たちは、迷惑だとは思ってなかったはずだよ」
「そうか?」
「うん」


驚いたような、けれど、どこか安心したような顔で笑うのに、頷きをかえした。
部下たちのことだってよく知っているわけではないけれど、彼らこそが、真実ボスの幸せを願っていることはくらいはわかる。
同じ気持ちだから、わかる。


「きょうやあ」
「な、ちょっと、なに?」


いきなり、ただでさえ強めだった拘束がさらに強くなった。
かと思うと、情けない声で名前を呼ばれ、肩を額を押しつけるように突っ伏された。


「恭弥って、マジで俺のこと幸せにする天才だな」
「……人としての性能が違うからでしょ」
「そっか」
「わかったなら、離しなよ」
「恭弥、大好き」
「ディーノ」
「すっげえ愛してる」
「だったら、人の話聞いて」
「なあ……恭弥は幸せ?」


くぐもった声が、おずおずと問いかけてくる。


「……へなちょこ」
「え! なんで!?」


がばりと、ディーノが勢いよく身を起こした。
やれやれだ。


「──僕は、もともと幸せだの不幸せだの、どうでもよかったんだよ。それなのに、毎日毎日実感しなきゃいけないのは、誰のせいだと思ってるの」


仕事中は尖る雰囲気が、隣にいるときは柔らかくなる。
そんな姿を見せられる気持ちがわからないとは、言わせない。


「えーと……俺?」
「僕が今日、朝からいままで一緒にいたのは誰?」
「俺」
「僕には、責任も義務もちゃんと果たしてもらうからね」
「果たす果たす。いくらでも、果たす」


せっかくゆるんだ拘束が、また強くなった。
ぎゅうぎゅうと、しがみつくように抱きしめられる。
ディーノは嬉しそうに笑って、頬にキスしてきた。
子供のように単純な年上の恋人に呆れながら、でも、拘束する腕を痛いとも苦しいとも思わない。
それどころか、絶対に離すまいとする力が嬉しくて、愛しいのだ。
どうしようもないほどに。
それが幸せだと、雲雀はもう知っている。
この男のせいで、知ってしまった。
だから。


「あなたなんか、幸せにしかしてあげないよ」


いつもの、ささやかなそれでいいと言うのなら、なおさら。


「恭弥?」
「それが僕の責任と義務らしいから、しかたないね」
「……マジで?」
「ただし、あなたが責任や義務はいらないんだったら、話はべつだけ、ど?」


言いおわらないうちに、視界がぐるりと回転した。
背中にあたる感触が、ふわふわとした弾力のあるものに変わり、目の前に腹がたつほど整った顔があった。


「恭弥、俺のこと幸せにしてくれるんだ?」


至近距離で、囁かれる。
もうすでに、幸せそうな顔をしているくせに。


「だから、あなたが嫌なら」
「全然嫌じゃねえ」
「だったら、大人しく幸せになっていればいいよ」
「……男前だな、恭弥」
「どこかのへなちょことは、違うからね」
「ひでえ。なあ?」
「なに?」
「できれば、このまま大人しくない幸せを追及したいかなあ、と」


ちゅっと音たててキスをされ、瞬きほどの間をおいて、意味を理解した。
同時に、顔に血が昇っていくのを実感する。


「……好きにすれば」


ふい、と顔をそむければ、くすくすと笑いを含んだ吐息が、頬に触れた。


「こればっかりは、二人で一緒に責任と義務をまっとうしないと駄目じゃねえ?」
「そうやって、すぐ自分に都合よく使うんだから」
「幸せになることには貪欲だと言ってくれ」
「あなた、言ってることが違ってない?」
「違ってねえよ。これだって、いつもと変わらない幸せだろ」


のしかかる身体の重みは、たしかにもう馴染みきったもので。
懐柔するように触れてくる唇の卑怯な甘さも、いつも通りで。


「ディー、ノ……」


耳に届く自分の声が、簡単に震えてしまうのも、悔しいけれどいつものことで。


「俺のこと幸せにしてくれて、ありがとな」
「ばか」


精一杯の悪態も、口移しに奪われてあっさりとけていき。


「愛してるよ、恭弥」


もうなにかを答える余裕などなくて、必死にのばした腕でディーノの背中に爪をたてる。
けれど。
一矢報いたかどうか確かめるすべもないまま。
ただ、朦朧とした意識の片隅でひとつだけ。
明日もまた、いつもと同じように幸せな一日になると。
それだけを確信して。
雲雀は、ディーノが容赦なく与えてくる大人しくない幸せに巻きこまれ、溺れていった。



end

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