fan fiction
□甘い言葉とカテゴリー
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「あなた、意味わかってる?」
応接室に二人きり。
余裕のあるソファにぴったり寄りそって座り、いかにも仲睦まじい雰囲気を醸しだしているというのに。
雲雀の声は思いきり胡散臭げだった。
だからといって、思わず聞いてしまったのはべつに嫌味でも皮肉でもない。
ただ、ふと本気で疑わしくなっただけだ。
この自称家庭教師の、語学力が。
「当たり前だろ」
「じゃあ、どういう意味?」
「ええ?」
「言ってみなよ」
「可愛いってのは、あれだろ。愛らしいとか、大事にしたくなるみたい感じでいいんだろ?」
「……あってる」
「な?」
得意げな笑顔を見たら、なんだか余計にいたたまれなくなった。
「じゃあ……恥ずかしくないの?」
「なんで? つうか、なにが?」
「ああいうこと言うの」
「ああいうこと?」
「だから」
「うん」
いっこうに進展しない会話に焦れて眉間に皺をよせる雲雀とは対照的に、ディーノはだんだんと楽しげになっていく。
その笑顔に微妙な含みを感じて、雲雀はふわふわ揺れる金の髪を一房つかむと思いきりひっぱってやった。
「いてっ!」
「あなた、わかっててわざと言ってるでしょ」
雲雀の辞書に遠慮の文字はない。力任せにぐいぐいひっぱる。
「いてっ! 痛えって、恭弥! わかったわかった! 俺が悪かった!」
本気で顔をしかめるのに満足して、手をはなす。
「ったく。おまえなあ。ちょっとは手加減を覚えろっての」
「あなたが真面目に答えないのが悪い」
「恭弥が変なこと言いだすからだろ」
「僕に言わせれば、変なのは徹頭徹尾あなたのほうだよ」
マフィアのボスが、たとえ仕事絡みとはいえ頻繁に日本にやってくるのは、ともかくとして。
滞在期間中、足繁くこの並中に通ってくるのはいい。
会うたびに抱きしめられるのも、キスをされるのも、だいぶ慣れてきた。
けれど。
『いっつも可愛いけど、久しぶりに会うと一段と可愛いな』
『恭弥の髪って、上等な黒絹なんかよりもっとずっと綺麗だ』
『愛してるよ、恭弥』
雨あられと降ってくる言葉には、どうしても慣れない。
今日だって、雲雀はうっかり砂糖漬けになりそうだったのだ。
「恋人に愛してるって言ったり、可愛いって誉めたりすることのなにが変なんだよ。当たり前のことなんじゃねえ?」
「当たり前じゃないから聞いたんだけど」
「だから、なんでって……ああ! そうか。日本では直接的な表現はあんまりしないんだよな」
ようやく納得がいったとばかりに、ディーノが頷く。
どれほど流暢に日本語を話そうとも、メンタリティまで変わるわけではない。
そういう意味でいえば、彼は至極まっとうなイタリア男だといえた。
しかし。
雲雀にとってそんなことはどうでもいいのだ。
「だいたい僕は男だよ」
「もちろん、知ってるさ」
またも、なにやら含みのある笑みをうかべたディーノの頭めがけて、雲雀がすかさず手をのばす。
しかし、今度は当然予測していたのだろう。
がっちりと手首をつかまれて阻止された。
「マジで痛いんだって」
とっさに握りこんだ拳に、苦笑とともに唇がふれる。
そっと、やわらかく。
「あなたが悪いんだろ」
慌てて囚われた手を奪いかえし、睨みつけてやっても、まったく効果はない。
また、穏やかな表情で苦笑されただけだった。
「なんでもかんでも俺のせいなのか?」
「そうだよ」
「ひでえ。なんでもかんでも可愛い恭弥の責任はどうなるんだよ」
「だから、僕は可愛くなんてないし」
「すっげえ可愛いし」
「綺麗でもないし」
「めちゃくちゃ綺麗だし」
「……」
「ん? 俺が恭弥を愛してんのは否定しないんだな」
安心したと言って笑う男が自分の恋人だと認めるのは、雲雀だってやぶさかではない。
けれど、それを言葉にするかどうかはまったく別次元の話なのである。
「──恋人って言葉も、日常的には使わないと思うけど」
「あー……あれか。カレシとカノジョっていうんだっけ?」
「たぶん」
世の草食動物たちはみな、そんなふうに言っているはずだ。
「徹底してるっていうか、本当に日本人てシャイなんだな」
「イタリア人に較べればね」
「なんでかなあ。恋人は恋人だし。好きな相手には好きだって言いたいだろ、ふつう」
「う」
それは、雲雀にだって理解できる。
言いたい相手がいないわけではないのだから。
けれど。
それを言葉にできるかどうかは、やはり別次元の話なのだ。
「恭弥には、まだちょっと難しいか」
眉をよせる雲雀の頭を、ディーノが撫でる。
「……べつに、難しくなんかない」
とはいえ。
こと恋愛において、雲雀の経験が高くないのは確かだ。
高くないというより、ほぼゼロなのである。
正直、未だに愛だの恋だのといったものを理解しているとはいいづらい。
好きだという一言を声にだせないくらいには。
「あのな? 可愛いとか綺麗だっていうのも同じことでさ、男とか女とか関係なく、好きな相手には言いたいんだよ。恋人に言う可愛いや綺麗は、好きや愛してると同じ意味だから」
「そう、なの?」
「そうなの。それで、誰かを好きだって気持ちは、それだけで貴いんだ。たとえば俺たちみたいに、ちょっとばかりイレギュラーでもな」
「……うん」
「だから、俺は恭弥に好きだって言うのも可愛いって誉めるのも、ぜんぜん恥ずかしくねえよ?」
そう言って笑った顔には、なんの迷いもなくて。
だから。
それは、雲雀にとって最上の解答なのだろう。
「ちゃんと答える気があるとは思わなかったよ」
「そりゃあ、俺は恭弥の家庭教師だからな」
雲雀はいまでも、それを認める気にはならないのだが。
「……恋人じゃ、ないの?」
「恭弥?」
「僕だって……あなたの髪は綺麗だって、思ってないわけじゃない」
子供みたいな笑顔が可愛いと思うし、くやしいけれど、戦っているときにはかっこいいと思ってしまうときもある。
ただ、言わないだけで。
「ああ、もう!!」
「ちょ……っ」
がばりと勢いよく抱きしめられた。
雲雀の身体は、いつだって誂えたようにディーノの腕のなかにすっぽりとおさまってしまう。
逃げだす隙もないくらいに。
「恭弥、可愛い! 本当にマジで可愛い!!」
「もう充分聞いたよ」
「俺は何度でも言いたいの」
今度こそ砂糖漬けになりそうだ。
雲雀は、胸の内で嘆息する。
「──好きだよ、恭弥。愛してる」
解答をもらったからといって、すぐにそれに馴染めるわけもなく。
ストレートに与えられる言葉は、どうしても面映ゆい。
嬉しくないわけではないのだけれど、どうしても。
「日本人、か……」
ディーノの腕のなかで、ちいさく独りごちる。
雲雀は生まれて初めて、望まぬまま自分が属する群れを自覚した。
そして、それにほんのわずかばかりの安堵を覚えつつ。
本日二度目め雨あられに、今度は本当に、溜め息をついた。
end