fan fiction

□台風LOVER
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パタパタと廊下を歩く音がする。


(……違う)


雲雀は読んでいた報告書から顔をあげ、またすぐに視線をおとした。
あれは違う。
歩くリズムも、スリッパが床を叩く音も。
おそらく、午後の授業を中止して帰したはずの生徒が居残っていないか、教師が見回りをしているのだろう。
納得して、おとした視線で文字を拾おうとするものの。
なにが書いてあるのかはわかるのに、その意味が脳まで伝わってこない。


(苛々する……)


処理しなければいけない仕事は、いくらでもあるのだ。
けれど、今日は朝からなにひとつ捗っていなかった。
それというのも。


「ヒバリ! アメ! ヒバリ!」


黄色い小鳥が、くるくると部屋のなかを飛びまわる。
強い風がひっきりなしに窓を叩いているのも、まったく気にならないらしかった。


「雨じゃなくて、台風」
「タイフー!」
「危ないから、君も外に出たら駄目だよ」
「アブナイ! ヒバリ! アブナイ!」
「僕は平気なんだけどね……」


平気じゃないのは、飛行機なのである。
朝からもう何度も調べているものの、空港の運行状況はまったく好転する様子がなかった。
メールも電話もないということは、おそらく予定していた飛行機に乗ったのだろう。
しかし。
着陸できなければどうしようもない。
これも朝から何度めになるのかわからない溜め息をついて、椅子ごと背後にある窓を振りかえる。
ごうごうと唸る風と、窓硝子を洗うように打ちつける雨。
見事なくらいの、嵐だった。
そうはいっても。


「──たかが台風ごときで」


毒づいてみても事態は変わらないのだが。
人間としての性能がどれほど高度であろうと、雲雀も天候までは変えられないのだから。


『さすがのヒバリも、台風は咬み殺せねえか』


朝がた顔を見せた、スーツにボルサリーノ姿の赤ん坊が、意味ありげに笑った。


「……赤ん坊の、あの訳知り顔だけはムカつく」
「ヒバリ、ムカツク?」
「ときどきね」


いつのまにか執務机のうえに降りて雲雀を見あげる小鳥の姿に、ほんのわずか苛立ちが消える。


「──まあ、知ってはいるんだろうけど」


自分と、かつての教え子であるという男の関係も。
ここしばらく雲雀が天気予報に戦々恐々としていたことも。
なにより、今朝の自分はさぞや凶悪な顔をしていたことだろう。
あの赤ん坊が、様子を見にくるくらいには。


「しかたないじゃないか」


しかたがないなんて、とても自分の言葉とは思えない。
けれど。


「ただでさえ、今回はケチがついてるのに」


いつものことなら、雲雀も台風くらいでは動じなかったはずだ。
恋人──ディーノの来日など、もう珍しいものではなくなって、久しい。
ただ、今回は話が違うのだ。
なにしろ、今日までディーノの仕事の都合で二度、予定が延期されているのだから。
もともと遠く離れた外国で暮らす人間だし、忙しいことも知っている。
だから、会えないのが当たり前で、それをつらいと思ったことはない。
ときどき、淋しいと感じはしても。
でも、違うのだ。
会えないのが当たり前だから会えないのと、会えるはずだったのに会えないのとでは。
まして。
一度ならともかく、たてつづけに二度だ。
それでも、自分よりよほど落ちこんでいる声を聞いてしまえば、責めることもできない。
それに、そういうときの連絡はメールではなくて、ちゃんと電話でしてくれる。
思いやってくれているのが、伝わってくる。
だから。
雲雀には言えなかった。
会いたい、とも。
早く来て、とも。
そうして、言葉を呑みこんで。
次の約束を待って。
やっと。
今日こそ会えると思っていたら。
よりによって、台風である。
それも、今年最大級。
そのうえ、関東直撃。
しかし、直撃と予測される台風が関東を避けていくのはよくあること。
今回もそうだろうと高を括っていたのは、なにも雲雀だけではないはずだ。
それなのに。
台風はコースを変えるどころか、やおらスピードをおとして関東圏に長居を決めこんだのである。
本当ならとうに暴風域を抜けているはずだったのだ。
ディーノが乗る予定の飛行機も、無事着いているはずで。
そして、いまごろは恋人の腕のなかにいたはずなのに。


「やっぱり、今日は無理なのかもしれないね」
「ヒバリ?」


心配そうに自分を見つめる小鳥の頭をそっと撫でてやった。
そのとき。
バタバタと廊下を走る音が聞こえてきた。
そのリズムと、スリッパが床を叩く音。
間違いない。
間違えるはずがない。
雲雀が思わず立ちあがるのと同時に、音高く引き戸が開いた。
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