fan fiction

□恋と仕事としかめっ面
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携帯電話のフリップを開く。
明るくなった液晶画面にあらわれたのは、しかめっ面の恋人。
しかめっ面でも、世界一可愛い。
手のひらにおさまってしまう、小さな画像ひとつでディーノを幸せにせずにはおかない、大切な恋人である。
たとえ、しかめっ面であっても。


(ケータイ向けると睨むからなあ……)


もちろん、怒っているのではなく、照れているのだとわかってはいるけれど。
もし怒っているのなら、この携帯電話はとっくに天に召されているはずだから。


『一枚だけでいいから』
『勝手にすれば』
『ちょ、恭弥! 横向くなって! 笑えとは言わないから、せめてこっち見てくれよ』
『命令しないで』
『お。その顔、可愛い』
『……馬鹿じゃないの』


だいたいにおいて、写真を撮るときはそんなふうなので、保存されている画像はおおむねしかめっ面だ。
けれど、それですらほかの誰にも与えられない、自分だけの特権だと思えば、嬉しくないはずはない。


(いっそ、俺の目にビデオでもついてりゃいいのに)


そうすれば、どんなときでも、どんな表情でも、あまさず録画しておくのに。


(まあ、確実に咬み殺されるだろうけどな)


「ボース。現実逃避してないで、いい加減仕事してくれ」
「わかってるよ。あー! 恭弥に会いてえ!!」


部屋のなかに、右腕であるロマーリオしかいないのをいいことに、叫んでやる。


「煮詰まってんなあ」
「だって、もう一か月以上会ってないんだぜ……だっつうのに、この山いつになったらなくなんだよ! そのうち遭難するっての!」


処理しても処理しても、執務机に築かれた書類の山はなくならない。
それどころか、山の数が増えているのは何故なのか。


「そりゃ、あんたがさっきみたいに叫んで、しょっちゅう日本へ行くせいだろうよ」
「俺は日本でだって、仕事してるじゃねえか」


できるものなら一日二十四時間、恋人と一緒にいたいけれど、相手はまだ学生で日中は学校がある。
その時間で、ディーノは本国にいるときと同じか、それ以上の仕事をこなしているのだ。


「……いますぐ恭弥の顔見ないと死ぬ」
「あんた、ナターレの前に一度行くつもりなんだろ? さっさと片付けないと、これから忙しくなるばっかりだぜ」
「わかってるんだけどさあ……」


仕事は嫌いじゃない。
というより、むしろ好きだ。
やりがいも感じているし、純粋に面白いと思っている。
実際、以前のディーノは相当な仕事中毒だったのだが。


「恋ってのは、人を変えるんだなあ」


いみじくも、ディーノが思っていたことをロマーリオがしみじみと呟いた。


本当に、その通りだ。
恋は人を変える。
少なくとも、いま部下たちのなかで、ディーノを仕事中毒だと言うものはいないだろう。
恋愛中毒だと、溜息をつくものはいたとしても。
いずれにせよ。


「恭弥会いたさが勝って、やる気がおきねえ」
「おいおい。勘弁してくれよ、ボス」


書類の山脈とパソコンのあいだにあるわずかな隙間に突っ伏して、もう一度携帯電話を開こうとした、そのとき。
手のなかの小さな機械が、いきなり鳴りだして、すぐに止まった。


「えっ!?」
「どうした?」
「恭弥からメールが来た!」
「そりゃあ、珍しいこともある。槍でも降るんじゃねえのか」
「それ、笑えねえよ……なんかあったのか?」


電話をかけるのもメールを送るのも、いつもディーノからだ。
こんなふうに、むこうから来ることなどほとんどない。
なにか緊急事態でもおこったのかと、慌てて受信したメールを呼びだす。


──あなた、ちゃんと仕事してるの?


読んだ瞬間、思わず椅子ごと転びそうになった。
それを、なんとか持ちこたえて体勢を立てなおし、部屋中をきょろきょろと見回す。


「なにやってんだ、ボス?」
「ロマーリオ。おまえ、恭弥になんかタレこんだりしてねえよな?」
「俺が、恭弥の連絡先を知ってるわけがないだろうよ」
「だよな……」


それにしては、タイミングがよすぎる。


「あんた、読みやすいんだよ」
「ああ?」
「そんなんじゃ、ファミリーのボスとしてはまだまだだな、坊ちゃん」


メールを見せたわけでもないのに、状況を察したらしいロマーリオが、肩をすくめてみせる。


「悪かったな」


事実なのでろくな反論もできず、顔をしかめたディーノの手の中で再び携帯電話が鳴った。


──きちんと仕事して、それから戦いにきなよ。


会いたくても会いたいと言わない、淋しくても淋しいと言えない、意地っ張りな恋人からのせいいっぱいのメッセージ。
この短い文章を送ってくるだけでも、相当迷っただろうに。
でも。
たぶん、会いたさが勝ったのだ。


「恭弥……」


同じときに、同じように会いたいと思っくれたのか。
時差と距離とに隔てられた、遠い国で。


──できるだけ早く行く。待っててな。愛してるよ。


猛烈な速さでボタンを押して文章を書きあげ、送信する。


「待ってろ、恭弥。本当に、すぐ行くからな!」


しかめっ面の恋人に宣言して、そっと携帯を閉じる。
本当ならキスのひとつもしたいくらいだが、それは実物に会うまでとっておくことにした。


「……完全に尻に敷かれてるな、あんた」
「ほっとけ」
「なんにせよ、助かったぜ恭弥」


東の方向に呟いて。
ロマーリオは、ディーノの執務机の上にさらなる山脈を築きあげたのだった。


「……おい、ロマーリオ」
「ボスなら、遭難する前に恭弥に会いに行けるぜ」
「ああ、もう! わかったよ! やりゃあいいんだろ、やりゃあ。そのかわり、なるべく早く日本に行く段取りつけてくれ」
「はいよ」


頷いて、ロマーリオが部屋を出ていく。
一人になった執務室で、改めて書類の山を眺めた。
正直、溜息しかでてこない光景だ。
しかし。


「よし。やるか」


ぱちんと頬を叩いて気合を入れると、一番手前の山から切り崩しにかかった。
はるか遠い国で待っていてくれる、恋人に会うために。
世界一しかめっ面の可愛い、恋人に。



ディーノが日本行の飛行機に乗ったのは、その二日後のことだった。








end

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