fan fiction

□medicine line
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携帯電話は不思議だ。
雲雀は応接室のソファに寝転んで、その小さな機械を目の前にかざしてみた。
手の中に収まってしまうほどのそれが、遠い異国にいる人との間に横たわる、気が遠くなるほどの距離を一瞬で消してくれるのだ。
たとえ 、声と文字だけだとしても。


『テレビ電話の機能ついてるやつに変えねえ?』


恋人には何度もそう言われているが、とうぶん頷く気はない。
小さな画面に映る姿など見たところで、飢餓感がつのるだけだ。
声を聞くだけでも会いたくなって、その気持ちを抑えこむのが大変なのに。
餓えを満たせるのは、実体を持った恋人だけなのだ。
それなのに。
あんなふうに気安く顔を見たがるということは、むこうはそれほど切実ではないということで、それが悔しいというのもある。
知らず眉をひそめたとき、ふいにその素晴らしい機械が愛すべき校歌を歌いはじめた。
身体を起こしながら確認した画面に表示されたのは、恋人の名前。
まったくもって、変にタイミングのいい男だ。


──恭弥?
「もし、ここで別人がでたらどうするの?」
──はい? あー、ええと……たとえば、どんな状況だとそうなるか、教えてもらってもいいか?
「たとえば? 僕が携帯を落として、その拾い主とか、盗んだ犯人とか。僕が事故にでもあって病院か警察の人間とか……浮気相手、とか?」


長い沈黙。
なにしろ国際電話だ。もしかしていきなり切れたのかと不安になりかけたころ、スピーカーの奥から思いきりのいい笑い声が聞こえてきた。
笑わせるつもりなどこれっぽっちもなかった雲雀は、強制的に会話を終了しようと、ボタンを押さえた指に力をこめる。


──待った! 切るなよ、恭弥?
「笑いすぎだよ」
──悪かった。けど、恭弥がいきなりありえないこと並べたてるからさあ……。


完全には笑いがおさまっていないのか、声が震えている。


「どうして、ありえないなんて言いきれるの」
──まず、お前が携帯失くすなんて下手打つはずはない。おまえのものを盗もうとする奴がいるとも思えねえ。事故は、まあ、いろいろあるからな。まったくないとは言えないとしても、その状況から無事に脱けだすのなんて、おまえにとっちゃ、ゴーラ・モスカと戦うより簡単だろ? だから、ない。浮気は……ぷはっ。


そこでまた、笑いの発作が起こったらしい。
パサパサとかすかに聞こえる衣擦れの音から察するに、ベッドの上でのたうちまわっているようだ。


「ディーノ」
──まっ……! ちょ……はは、いや……わるい……。
「あなたね……本当に、するよ?」


声をひそめて言ってやった。
途端に、再びの沈黙。


──そうなったら、そいつは始末して、恭弥はさらってくるな。そんで、この屋敷に閉じこめて二度と誰にも会わせねえ。
「……マフィアのボスらしい答えだね」
──おまえこそ、いきなり物騒なこと言うなよ。
「ありえないのに物騒もなにもないよ。あなたがそう言ったんじゃないか」


浮気などと言う言葉を口にしても、ただ違和感しか感じないというのに。
雲雀にとって、ディーノは唯一の特別な例外であって、ほかの誰かなど存在しないから。


──それとこれとは話が別だって。そもそも、なんだったんだよ、さっきの? あれか? またリボーンの入れ知恵か?
「赤ん坊は関係ないよ。ただ、ちょっと退屈だからあなたで遊んでみようと思っただけ」


あなたのことを考えていたからだ。しかも、ちょっと腹をたてていたせい、とはとても言えない。
けれども。


──そっか……。


一瞬にして、ディーノの声から笑いの欠片が消えた。
失言を悟っても、もう遅い。


「退屈なのは、風紀委員の仕事が今日は少なかったせいだからね」
──ごめんな、恭弥。
「あなたが謝る意味がわからない」
──わからないなら、それでいいよ。
「だいたい、あなたがこんな時間に電話をかけてくるから」


イタリアはいま、真夜中をすぎたところ。
おそらくはいままで仕事をしていて、これから寝るのだろう。
疲れているなら、こんなふうに電話などしてこないで、はやく寝ればいいのに。
どうせ、夜が遅かったからといって、朝のんびり寝坊できるわけではないのだろうから。


──恭弥の声聞くと、疲れが取れるんだよ。寝つきもよくなるし、やる気もでる。俺にとって恭弥は万能薬だからな。
「……馬鹿じゃないの」
──いや、マジでさ……。


まるで言ったことを証明してみせたかのように、ディーノが欠伸を噛み殺した気配が伝わってきた。


「もう寝なよ」
──んー……あのな?
「なに?」
──再来週あたり、行けそうだから。
「忙しいなら、無理して来なくていいよ」
──駄目。そろそろ俺が限界なの。だから、テレビ電話にしようぜ?
「なにが、だからなの?」
──だってさあ、声だけだと、どうしても姿を想像するだろ? 表情とか、姿勢とかな。そうすると、余計恭弥に会いたくなるんだよ。だったら、姿も見れたほうが抑えが利くような気がしねえ?
「しないよ。馬鹿だね」


驚いているのを悟られないように、切って捨てる。
まさか、ディーノがそんなふうに思っているとは思わなかった。
姿を見たいディーノと見たくない自分と、結局は同じ気持ちなのかと、雲雀は少しだけ溜飲をさげる。
自分ばかりが、いつもいつも会いたいわけではないのだと、わかったから。


──また、説得失敗か。
「残念だったね」
──ちぇっ……なあ?
「なに?」
──マジで、すげえ会いてえよ。
「そう」
──だから、待っててな?
「……うん」


しょうことなしに、頷く。
言われなくても、待っている。
いつだって。


──愛してるよ、恭弥
「うん……ねえ? 本当に、そろそろ寝たほうがいいよ」
──ああ。そうだな。そうする。ありがとな、恭弥。
「礼を言われる意味もわからない」
──恭弥は優しいな。
「寝言は寝て言え」
──はいはい。おやすみ、恭弥。
「……おやすみ」


躊躇することを恐れるように、迷いなく通話が切れた。
雲雀は、スピーカー越しにもう笑い声も欠伸の気配も届かないことを確認してから、フリップを閉じる。
すぐ傍にいたはずの恋人は、一瞬で彼方へと隔てられてしまった。


「……来たら、一緒に新しい携帯を見にいってあげてもいい」


だから、早く来なよ。
本人にはけして言えない、言わない言葉を囁きかけて。
雲雀は、一仕事終えいまはひっそりと沈黙する小さな機械を、指でそっと撫でる。
いまの言葉もまた見えない線を辿り、長い距離を越えて、そろそろ眠りに落ちるだろうディーノの、その手元にある携帯に届くよう。
そして。
恋人が快適に目覚める薬となるよう、願いながら。






end

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