神隠しの森で

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「最近、誰かに呼ばれてる気がするんだ」


三枝高嶺がふと口をすべらせたのは、そろそろ酔いが回りはじめていたからだろう。
今日はいつもよりペースが早い。
なにより、もともと強くもないのだ。


「呼ばれてるって、名前をってこと?」


里芋ときのこの和風グラタンなるものを取りわけながら、須藤義美が微妙な顔をする。


「そう。呼ばれた気がしてあたりを見まわしても誰もいないってことが、何回かあったんだよ」
「……空耳?」
「サンキュ……やっぱり、そうかなあ」


小皿を受けとりながら、高嶺自身、微妙な顔になってしまう。


「ストーカーじゃないですか?」
「はい?」


どうせ口をすべらせただけだし、空耳ということで話を終わりにしてしまおうと思っていた高嶺は、小皿を手にしたままテーブル越しに座る安西沙英を見やった。


「ストーカーですよ、きっと。先輩の美貌に目がくらんだ小心者が、物陰に隠れて先輩を呼んでるんです」


顔の前まで持ちあげたジョッキの横から、ひょいと顔を覗かせる。
なまじなアイドルより可愛い顔で、なかなかに可愛い仕草ではあるが、性格の黒さを知っているとなんとも思わないのだから不思議なものだ。


「まさか」
「ありえるわね」


高嶺と義美の声が重なる。
否定と肯定が。


「ありえないって。だいたいなんだよ、オレの美貌って。意味わかんなくて、つっこめなかったんですけど」
「……この子はねえ、もうちょっと自覚してくれるといいのにねえ」
「なんにも手を加えなくて、これですもんねえ。罪作りですよねえ」
「ご近所の噂するおばちゃんか!」


頬に手を当て、ちらちら高嶺を見ながら話しこんでいる風の二人へはきっちりとツッコミをいれ、高嶺は深々と溜息をつく。
自分がそれなりだという自覚はしている。
しかし、それは美貌などというご大層なものではない。
たしかに、母親に似たので女顔ではあるだろう。
そして、その母親は客観的に見て美人だと思うので、自分も小綺麗な顔をしてはいるのだろう。
それが、高嶺自身の認識であり、評価だった。


「まあ、男の人は自分の見た目に無頓着くらいのほうがいいですけどね。最近、ナルっちいのが多くて」
「まったくよ。手鏡見ながら前髪いじってる子とか見ると、ハリセンが欲しくなるわ」
「清潔感があって、自然体なのがいちばんです。そういう意味じゃ、高嶺先輩って貴重な天然の綺麗系男子なんですよねえ」
「……帰っていいかな」
「きゃあ! 駄目よ!」
「先輩、落ち着いて。料理もまだきますし」


いつまでも続きそうな会話に、立ちあがるふりをすると、思いのほか慌てた様子で引きとめられる。
もともと本気で帰るつもりだったわけではないし、素直に座りなおすと、あからさまにほっとされた。


「でも、実際問題、ストーカーなんていつどこで発生するかわからないのよ」


義美の日本人形を彷彿とさせる端正な顔が、嫌悪に歪む。
口調が口調なのでそちらの組合の人かと誤解されやすいが、義美はごくノーマルな日本男児だ。


「発生って……身に覚えないから」
「身に覚えがなくても発生するのが、ストーカーです」
「そうそう」
「話をしたこともないような奴が、勝手につきまとうこともあるんですよ。わたしの高校の時の友達なんですけど、コンビニのレジで前に会計してた男が小銭ぶちまけちゃったんですって。仕方ないから拾ってあげたらしいんですけど、なにをどう勘違いしたのか、次の日からその男が彼女に付きまとうようになって」
「マジで?」
「マジで。彼女としてはさっさと会計すませてほしかっただけだったんですけどね」
「うわあ……その男、痛すぎ」
「でしょ? まあ、気の弱い男だったみたいで、彼女の父親に一喝されてそれきりだったって話です」
「あら。こじれなくてよかったじゃない」
「そうなんですよ。いまどき、下手したら一家惨殺で大事件ですからね」


しみじみ、いったふうに義美と沙英が頷きあう。
ただ、さりげなく通りがかった店員に追加注文をしながらでは、いまひとつ真剣みに欠けるけれども。


「そういうわけだから」
「どういうわけだよ」
「先輩も気をつけたほうがいいです」
「いまの話を聞いて、なにを気をつけろって?」


だいたい、空耳の話はどこにいったんだ。
べつに深刻な悩みというわけではないから、話が流れてしまうのはかまわないが、何故その先がストーカー話なのかが解せない。


「……わかってないわねえ」
「わたしたちが高嶺先輩に見た目についての自覚を促し、ストーカーに対する警告を発しているのは何故だと思ってるんです?」
「え? なりゆきだったんじゃないの?」
「もう! 違うわよ」
「先輩、飼ってるでしょ。ストーカー予備軍」


二人がちらりと顔を見あわせ、それから高嶺の背後を見あげて溜め息をつく。
同時に、頭上から声が降ってきた。


「誰がストーカー予備軍だよ」


それは、けして空耳ではない。
聞き覚えのありすぎる声。
この声なら、どんな騒音のなかでも聞きわけることができるだろう。
けれど、いまは。
いまは、いちばん聞きたくない声だった。


「早かったわね」
「そりゃあ、まあ。気づかれて逃げられないうちにと思いまして」
「ちょっと。それがストーカーの発言じゃなくてなんだっていうのよ」
「人聞きの悪いこと言うな。俺はただ必死なだけだって」


義美と沙英が、彼と話をしている。
ふつうに。
高嶺は、振りかえることすらできないというのに。


「……なんで?」
「ごめんなさい、高嶺先輩。わたしが多岐川に頼まれて」
「その沙英ちゃんに相談されて、私がセッティングしたの。ごめんなさい」


二人がそろって手をあわせながら、頭をさげた。


「頼みって……」
「俺が、高嶺先輩に捨てられそうだから助けてくれって、言ったんです」
「……諒」


名前が自然に口をついた。
まるで久しぶりに話す外国の言葉のように、違和感がある。
ようやくの想いで斜め後ろを振りあおげば、二か月前となにも変わらない姿がそこにあった。


「そろそろ座っていいですか? 店員さんが困ってるし」


いちばん困惑しているのは高嶺なのに。
それに気づかないわけもないのに。
ビールとウーロンハイのグラスが載ったトレイを持って立ち尽くしている店員を示して。
多岐川 諒は、悪びれることなく微笑んだ。







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