fan fiction

□ずるい言葉、ずるくないkiss
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「寒くないか、恭弥?」
「寒くないよ。あなたは? 寒いなら閉めるけど」
「俺は大丈夫。けど、風が冷たくなってきたから、寒くなったら窓閉めろよ?」
「うん」


帰りも、道はすいていた。
それがいつものことなのか、それとも珍しいことなのかは雲雀にはわからない。
わかるのは、このままスムーズにドライブが終わってしまうだろうということだった。


「どうした?」


鈍い鏡と化したフロントガラスに映るディーノが、気づかわしげな視線を送ってくる。


「──どうして、急にドライブなんて言いだしたの?」
「どうしてって言われてもなあ……つまんなかったか?」
「そうじゃないけど。いままでそんなこと言ったことなかったのに、いきなりどういう風の吹きまわしなのかと思って」


目の前で信号が変わった。
このドライブで、はじめての赤信号。
ゆるやかに、フェラーリが停まる。


「恭弥」
「な、……」


名前を呼ばれて、反射的に振り向いた雲雀の唇に、温かくてやわらかなものが触れた。
まばたきをするほどの、わずかな時間。
信号は、まだ変わらない。


「……悪い」
「どう、」


どうして、とすらうまく言えなかった。
固まる雲雀をどう思ったのか、フロントガラスのディーノが自嘲的に見える笑みをうかべた。


「たまには、好きな子とデートっぽいことしてみたいと思ったんだよ……戦うのも面白いけどな」
「す、きな子……」


霧が晴れて視界が明るくなるときのように、言葉の意味が少しずつ、理解できるようになっていく。
キスをされたのだという事実も。
それを待っていたかのように、信号が変わった。
停まったときと同じように、ゆるやかにフェラーリが走りだす。


「……嫌、だったか」
「…………い」
「恭弥?」
「狡い」


そんな聞かれ方をしたら、雲雀は嫌だと言えないのだ。
こんなときでさえ。
そして。
思い知らされてしまう。
ほかの人間なら誰であろうと絶対に許さないことを、ディーノにだけは許してしまうことを。
考えを見透かされることも。
子ども扱いされることも。
腹はたつけれど、嫌ではないのだ。
好きな子だと言われたことも。
キスされたことも。
驚きはしたけれど、嫌ではなかったのだと。


「そうだよな」
「あなた、いままでだってなにも……」
「ああ……必死に隠してた」
「どうして?」
「そんなの、恭弥に嫌われたくないからに決まってるだろ」
「どうして……」


いつかテレビで観た鸚鵡のように、同じ言葉ばかりくりかえしている自分を馬鹿みたいだと思うけれど、それは、正直な雲雀の気持ちでもあった。


「俺は、自分が恭弥にとってちょっとは特別な人間だって、思ってる。自惚れてるって言ったほうがいいか」
「また、家庭教師だからって言うつもり?」
「まあな……実際、おまえは俺の傍でだけはちゃんと眠れるんだろ? それって、かなり特別じゃねえ?」
「……たしかにそうだけど。でも、それはあなたが家庭教師だからじゃないよ」


それなら何故だと聞かれたら、答えようがないけれど。
雲雀自身、探しているのだ。
なにも警戒せず、安心して意識を手放せる心地よさの理由を。
はじめて、ディーノの傍で眠ってしまったときからずっと。
ただ、それがディーノが家庭教師だからではないことは、わかる。
雲雀は、一度としてそれを認めたことはないからだ。


「それならそれでもいいさ。ただ、俺はおまえが安心して眠ってるの見てると幸せっつうか……だから、そういうの壊したくもなかったんだよ。下手に自分の気持ちなんか伝えたら、おまえは俺のこと警戒して、傍で眠るどころじゃなくなると思ったから、言えなかった。それに……」



また、目の前で信号が変わった。
青から、赤へ。
まるで、二人の行く手を阻むように。


「それに?」
「待てるつもりでいたからな」
「待つって、なにを?」
「恭弥が俺を好きになってくれんのを」


ハンドルに両腕をのせて凭れかかると、ディーノは雲雀を振りかえった。
その目は途方にくれているようにも、なにかを確信しているようにも見える。


「……それこそ、自惚れだ」
「そうか?」
「そうだよ」


雲雀が頷くと、ディーノはハンドルから手をおろし、前の信号で停まったときのように、雲雀に身体をよせてきた。


「好きだよ、恭弥」


とっさに身構えた雲雀の額に唇をおとして、離れていく。
同時に、信号が変わった。
赤から、青へ。
まるで、二人を唆すように。


「……狡い」
「いまのは狡くねえだろ?」


不満げなフロントガラスの中のディーノを、睨みつける。
わかっているのだ、狡くて自惚れ屋のこの男は。
雲雀が考えていることなど、なにもかも見透かしている。
雲雀自身が気づかない気持ちまで、すべて。


「あなたなんて、好きじゃない」


いま声にした瞬間の、戸惑いも。


「そっか」
「好きじゃないって、言ったんだよ」
「好きじゃないは、嫌いって意味じゃないだろ」
「え」
「恭弥は、嫌いなら嫌いってはっきり言うはずだぜ。好きじゃないなんて曖昧な言い方しないで。だから、恭弥は俺のことを嫌ってない」
「勝手に決めつけないでくれる?」


やはり、見透かしたようなことを言う。
それならいっそ、といままで大人しくしていた天邪鬼が意地を張ろうとした瞬間。
またも、信号が変わった。


「恭弥」
「なに」
「俺のこと、好きか?」
「き、」


答えは声にならないまま、触れあった唇に奪われてしまう。


「好きだよ、恭弥」
「……ん、……」
「愛してる」


かわりに口移しで与えられる言葉はすぐにふわりと溶けて、拒むことのできないまま、雲雀の唇に、耳に、心に、染みこんでいく。
長くそうされていたと思ったけれど、実際は信号が変わるまでの、短いあいだのことだった。


「──あなた、本当に狡い」
「狡い俺は嫌いか?」


嫌い、と言ってしまえたらどれだけせいせいするだろう。
けれど、その一言はいまディーノに奪われてしまった。
なにより、たとえ声にだして言ったとしても、この男には通用しないだろう。
だから、答えるかわりに、顔をそむけた。
けれど、そこにはフロントガラスと同じように鈍い鏡となったウィンドウがあって。
映っていたのは、拗ねた表情の子供。
それは、天邪鬼の仮面がはずれかけている、雲雀自身の姿だった。


「恭弥」
「うるさい」
「拗ねんなっての。可愛いなあ」
「可愛くない」


はずれかけた仮面では、狡い男には太刀打ちできるわけもなく。


「ほら。そうやってウィンドウなんかに懐いてたら、またキスするぞ」
「……すれば?」


瞬間、順調に走っていたフェラーリが、思いきり対向車線にはみだした。


「うわっ!」


ディーノが大慌てでもとの車道にもどす。
対向車がいなかったからよかったものの、一歩間違えば大惨事である。
だが、とりあえずこれで一矢報いてやった。
天邪鬼は勝てなかったが、負けず嫌いは当然負けなど認めないのである。


「なにやってるの、へなちょこ」
「おまえがあんなこと言うからだろっ」
「あなたがキスするって言ったから、すればって言っただけだよ」
「……嫌じゃないのか?」


嫌が応もないうちにしてきたくせに、いまさらそんなことを言う。
どうやら、狡い男は負けず嫌いに弱いらしい。


「嫌じゃないよ」
「恭弥」
「……あなたのキスは、狡くないから」


フロントガラスに映るディーノが目を瞠る。
その顔に重なるように、少しずつ近づいてくる信号が、赤に変わった。





end
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