SHORT**
□報われない化物の話
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私は、ただ。
私はただどうしようもなく愛おしかっただけなのだ。
初恋は何百年前になるのだろうか。
そもそも自分という存在がいつ生まれたのかも忘れてしまったのだが、その初恋の相手というのは明確に覚えている。
その男はどこにでもいる人間だった。
その胸の中の野心を除いては。
彼は私を見て、綺麗だと言ってくれた。
それが嬉しかったのだ。
それまでの人間は私を見て利用しようとしかしなかったのだから。
彼は私を触ろうとはしなかった。
いつも少し離れた場所で、優しい眼差しをこちらに向けていただけだった。
最初こそそれで良かったのだが、段々それだけでは足りなくなってしまった。
彼の温もりに触れて見たくなってしまったのだ。
だから、彼の友人が私の柄を手に持った時に私は躊躇いなくその友人を支配した。
全ては彼に触れるためだ。
この、私の冷たく硬い身体と、あの人の暖かく柔らかい身体とを触れ合わせるために。
彼はもう目の前だった。
その日の彼は、何故か震えていて、私の持ち主に説得か何かの言葉を懸命につづっているようだった。
顔を歪ませて自分の友人が手にしている私を見ている。
なんだ、嫉妬でもしているのかしら。
違うのよ、私が好きなのは貴方だけだから。
動くための身体を持っていない私の代わりに、彼の友人である私の持ち主が私の身体を振り上げる。
ああ、やっと貴方と触れ合える。
そのまま、私は貴方の肩口にキスをした。
私に身体があったならば、私を握るこの無粋な男は要らないのだが、そうも言っていられない。
貴方の、赤い血汁が飛び散る。
私の身体を赤く染める。
暖かい肉が私にまとわりつく。
ああ、ああ!貴方の全てが愛おしい。
絶叫する声も素敵ね。初めて聞いたわ、そんな声。
ねえ、もっと聞かせて?
貴方の全てを愛してる。その血汁も。ああ、これは硬骨ね。ここは軟骨かしら。いいわ、素敵。愛してる。貴方のその声も愛してるわ。体温も愛してる。愛してる。愛してるのよ?ねえ、聞こえるわよね?やっと、やっと貴方に伝えられる。聞いてね、愛してる。分かる?愛してるのよ。愛してる。愛してるんだから。愛して愛して愛して愛して愛してああ、どうしましょう、こんなのじゃ伝えられない!愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる……!
「な、なんだよ……やめろ、やめてくれえええぇぇえっ!」
私は首を傾げる思いで、彼の腕を刺したまま話し掛けた。
なんで?
なんで泣くのかしら?
私はただ貴方を愛してるだけなのよ。
でもね、できれば貴方の愛も欲しいの。
「え……?なんだ、この声……」
愛してるの、貴方の血も骨も声も、その胸の中の野心も。
愛してるだけなの、愛してるのよ。
貴方を、誰よりも。
「……この、刀が俺に話し掛けてるっていうのか」
私がなんだろうとどうでもいいのよ。愛してるから。
ただ、時々人間みたいな身体があればって思うことはあるの。
愛してるから。それも、愛してるからなのよ。
「俺を?……刀が?まさか蔵之介を操ったのもあんたか?」
……違うのよ、私は貴方と触れ合えればそれで良かったのよ。
この男に興味は無いの。
貴方を愛してるから。ねえ、嫌よ、拒絶なんてしないで。愛してるの。
「そうか……まさかあんたがこんなに乙女だとは思わなかったなあ。
蔵之介は無傷なんだから気にするな。しかし……あんたが操っていた蔵之介は強いな」
彼は私に血だらけの笑顔を見せた。
……優しいのね。本当は貴方ともっと身体を合わせたいのだけど、私を強いと言ってくれるのなら、私の柄を握ればいい。
貴方の夢の下克上の手助けをしたいの。
貴方の為なら、利用されても構わないわ。
だって、愛してるんだもの。
こうして、私は彼の身体の中に入って一つになった。
これでいつでも愛が呟ける。
でも、もう彼には触れられないのだ。
だから――彼が望む全ての人を、私は『愛した』。
みんなみんな、私の愛を聞くと廃人になってしまった。
誰も、誰も私の愛を受け入れてくれないのだ。
私の愛を聞いても笑っていられたのは彼だけだった。
私はそんな彼をより一層愛した。
彼も私を愛した。私の力を。それでもいい。
「君の愛してるって声は、綺麗だからね」
私の想いに反応して彼は呟く。
「俺はいつまでも聞いてられるな。君のその声は歌みたいだから。美麗で人を惑わす罪の歌だ」
罪の歌だなんて、変なことを言うのね。
私は貴方にただ一生懸命愛を伝えてるだけだもの。
「その強い想いは罪でもあるのさ。そうだね、君の名前は罪歌だ。どう?素敵だろう」
罪歌……罪歌ね。貴方から貰った名前だったらなんだって愛おしいわ。
ありがとう、愛してる。
「俺は罪歌を愛することはやっぱり難しい。君は刀だからね、どうしても。ただ、好きだよ」
それでもいいの。嫌いでもなんでもいいのよ。私は貴方を愛してる。それだけだもの。
むしろ私を愛して切腹なんてされても嫌だわ。貴方と触れ合えるのは嬉しいのだけれど、ね。
「ああ、俺にはやらなきゃいけないことがあるからな。この腐った世の中を変えるんだよ。そのために死ぬのは怖くないが――罪歌のことが少し心配だな」
私の心配なんてしなくていいのよ。刀の心配をする人間なんておかしいでしょう?
「そうだなあ。まあ、君の声を好きでいてくれる奴は、俺の他にもたくさんいるさ」
彼のあの声は今でも思い出す。
けれど、彼以外に私の愛を受け入れてくれる人間は居なかった。
彼が死んで、私は一人になって、彼が忌々しげに思っていた江戸時代というものが終わった。
それからというもの、何十年か、あるいは百年以上私は一人だった。
好き
好きよ
愛おしい
全てが、ね
人間の全てが
まだ足りないわ
もっと、もっとよ
あの血汁が愛おしい
あの筋肉が愛おしい
あの硬骨が愛おしい
あの軟骨が愛おしい
あの心臓が愛おしい
あの絶叫が愛おしい
人間がとにかく愛おしい。狂おしい。懐かしい。愛したい。
人間が好き。すごく好き。人間に触りたい。彼?ああ、いいの、彼じゃなくても。彼はもういないのだから。彼みたいな人間がとにかく愛おしい。欲しい。身体を血で赤く染めたい。愛してる。人間を愛してる。愛してる。愛してる愛してる愛してる誰よりも愛してる触れたいの愛してる愛してる受け入れてよ愛してる愛してる愛してる愛してる愛してるどこが好きかって?愛してる愛してるその柔らかい肉を愛してる愛してる愛してる全てを愛してる愛してる愛してる愛してる叫び声は私の愛が伝わった印だから愛してる愛してる愛してる愛してる心臓はもちろん愛してる愛してる愛してる私にはない体温も愛してる愛してる愛してる愛してるの愛してるのよ愛してる愛してる愛してるまだ伝わらないの愛が愛が愛が愛してる愛してる愛してる愛してる
愛してる愛してる愛してる愛し
てる愛してる愛してる愛し
てるのねえ愛してる
愛してるここに
いるよ愛し
て愛し
愛
愛
愛
愛
その想いは煮詰まって、煮詰まって。
何倍も強い想いになった。人間を狂い殺す程に。
それでも私を手にする人間は現れた。
色々あった。異国の刀と戦ったりもした。
化物の魂も斬らせられた。
私の取り引きに莫大なお金が動くのも見た。
――彼はもう、この煮詰まった想いを綺麗だとは言ってくれないだろう。
子の作り方も憶えた。
自分が歳を取るとも思えなかったが、それは彼がいる頃には出来なかったことで。
私と人間との間に生まれた愛の結晶が、都合良く使われているのも多く見た。
別にだからなんだというわけでもないが、時々痛感させられるのだ。
私はただの武器であると。
デュラハンのように、姿が人間と似ている様なら話は違ったかもしれないが、良くも悪くも私は刀だった。
化物どころか、生命だとも思われない。
否、生命ではないのかもしれない。
ならなぜ私には自我があるのだ。
……いや、いい。
そんなことはどうでもいい。
私に自我があるおかげで私は人間を愛せるのだ。
どれだけ一方的であるとしても。
ある女の持ち主はその私の愛を完全に支配した。
そうして、私を奴隷のように扱った。
その持ち主は私の愛すべき人間ですらなかった。
半怪の化物が私を下僕にして私の想いをただ武器に使っている。
それでも私はひたすらに彼女の望む人を愛した。
私は人間を愛することしか出来ないのだ。
彼女は私の身体を二つに分けて、もう一つの私を小さな古物商に売り払った。
その意味で彼女には感謝している。
これで私は二倍の速度で人間を愛することができるようになったのだから。
古物商の女が何故私を欲したのかは分からない。
だが、彼女は私の声を聞いてくれた。
溢れる愛を完全に受け入れてくれたのだった。
久しぶりに分かり合えそうな人間だった。
私は彼女を愛した。愛した。愛した愛した愛した。
前の持ち主と逆のことが気が付けば起きていた。
私が彼女を支配するようになっていたのだ。
一旦彼女が私を呼べば、私は自分の意思で人間を愛した。
ただ一人、そんな私の懸命な愛を伝えた右目を握り潰す者がいて、随分ショックだったりもしたのだが――。
彼女とは、最初の彼以来にうまくやっていけた人間だと思っていた。
それなのに彼女は自分の夫を斬ったその返す剣で切腹をしたのだ。
私が愛していた彼女が愛していた男の肉がまとわりついたと思ったら、彼女自身の柔らかな腹に潜り込んでいた。
ああ、愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる!
懸命に伝えたその言葉を聞きながら、彼女は絶命した。
静かになった部屋の中で、惚けた少女を見つけた。
お願い。このままだと私はまた一人になってしまうの。それは嫌。まだまだ人間を愛したいの。さあ、私の柄を取って!
言葉に出来たらそう言っていただろうが、私には口がない。
それでも彼女は私を手に取った。
その、小さな手のひらで!
愛してる愛してる愛してる愛してる!その体温も愛してる愛してる貴女の全てを愛すわ愛す愛す愛してるの愛してる愛してるもう一人じゃないわね愛してる愛してる愛してるお互いに愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる……
その少女――園原杏里は、今まで会ったどの人間とも違う受け入れ方をした。
私を好きでいてくれた男とも、化物の魂を斬ることしか考えていなかった男とも、奴隷とした女とも、私に全てを見せた女とも違う。
園原杏里は、私に寄生すると言い出したのだ。
彼女は私を抑えつけようとも、私に曝け出そうともしなかった。
私の言葉を聞こうともしなかった。
ずっと心の反対側で聞き流しているだけで。
自分の身を守るのに私を使うことも無かった。
園原杏里。
貴女のことは愛せないけれど、嫌いじゃないわ。
それから段々、彼女の中にも変化が生まれてくるのだが――それはまた、別のお話。