…would,

□第十一章
1ページ/3ページ


新宿 某マンション

out side

「遅かったわね。で、例のものは……どうしたの?その顔」


左目を真っ青に腫らした臨也の顔を見て、波江は思わず双眸を見開いた。

ハードパンチャーとの試合を終えたボクサーのように、片目の瞼が大きく腫れ、その周囲には青あざが色濃く広がっている。

「……ちょっと、いいパンチを食らってね。気絶はしなかったんだけど……なんか暫く立てなかったとこを、ロシア語で散々説教されまくったよ。
まったく、なにが『説教するつもりはない』だよ……。完璧に説教だったじゃんか」
「なに?ロシア語ってどういう事……?あの静雄って奴と喧嘩した時でも、こんな青あざ作った事って無かったんじゃない?」

唐突に静雄の名前が出てきて、臨也は自虐的に笑う。
そして、その最高に苛立つ人間と比較しているように――呻くように拳を分析した。

「力ならシズちゃんがもちろん上だけど……駄目だ、ありゃ、なんかの格闘技を相当やっている奴のパンチだ。
反応はできたけど避けられなかった。……クハハ、こりゃ、ロシアンマフィアの一員だとか元傭兵だって噂もマジなのかもね」
「大丈夫?脳出血とかしてないでしょうね?」

波江が珍しく臨也を心配するような言葉を向けるが、臨也の耳には届いていない。

「くそ……罪歌を出し抜いて、自分が特別な存在かもしれないなんていい気になった直後にこれだ」

ただ、久しぶりに味わった直接的な『痛み』を感じながら――尚も臨也は、楽しくて仕方がなかった。

鏡を見て瞳孔などをチェックし、とりあえず脳出血の症状などがないか確認すると――臨也は嬉しそうに笑いながら、波江に向かって問いかける。

「なあ……ひとつ聞いていいか?」
「なによ」
「法螺田に帝人君の情報を流したのって……君だろ?」
「どうかしらね。仮にそうだとしても、どうせ見越してたんでしょう?」

表情ひとつ変えずに答える波江に苦笑して、臨也は天井を仰いで楽しげに語り出す。
「まったく、君や波江さんのように、俺の予想通りに動いてくれる人もいれば……サイモンやシズちゃんみたいに、俺の予想を覆す人間もいる。
だからこそ、俺は人間を愛して愛して愛してやまない……ああ、そうさ。だからきっと、こんなクソッタレな仕事を続けていられるんだろうねぇ。……ヘドが出るぐらい楽しいよ」

ほんの僅か。

紡がれた言葉の中に、ほんの僅かな本音が混じっていた。

だが、波江は臨也の感情の吐露を真正面から聞きながらも――

「何度も何度も言うけど……」

やはりいつもと変わらない冷徹な声で、臨也という人間を否定した。

「人間の方は、多分貴方の事が大嫌いよ」



しかしその言葉は、カラコロとした臨也の笑い声に反論される。

「ふうん。波江さんは酷いよねえ、あんなに慕ってくれてる美琴をまさか人外扱いするなんてさ」
「……揚げ足を取るのも上手ね、政治家にでもなればいいんじゃない?」
「それこそ俺に政治を治めろと!いやあ、いいんじゃない?賛成するよ」
「付き合ってらんない。その点では美琴は尊敬するわ」

まだ笑みの残る顔で、ロフトを上がる秘書を一瞥し、臨也は森厳と去り際に交わした会話を思い出した。


♂♀


「しかし君は……呆れるほどに卑怯な男だな」

靴を履きながら――淡々とした超えで森厳が告げる。

「しかし……昨日の今日で、色々と君の過去を調べさせてはもらったが……二年前の抗争の一件も、すべては裏で君が糸を引いていたのだろう?」
「なんのことですかね」

余裕の笑みを浮かべたままの臨也をふりかえり、森厳はガスマスクの奥でニイ、と笑う。

「君を信奉している女の子を少年達に差し向けたりしたあげくに……聞いた話では、その少女の一人が重傷を負う事で事件が収束したそうだが……」

そこで一旦息を止め、皮肉げな声を交えて一つの推測を指摘する。

「私は、それすらも君の指示ではないかと考えている。自ら深い傷を負うかもしれない指示に従う女子がいるのかどうかは不明だがね」

一瞬の沈黙。
臨也は敢えてその問いには答えずに、少女の境遇についてを微笑み混じりで語り出す。

「沙樹達は……あれは、可哀想な子達ですよ。それだけに愛おしい。
沙樹を含め、あの子達は家族や恋人に強い虐待を強いられていた子達でね。それはもう、想像以上に凄まじい……」

哀れみと恍惚の入り混じった複雑な表情で続きの言葉を紡いでいく。

「それでも、その家族のことを嫌いになることもできない子達なんですよ。だからこそ――操るのは簡単でしたよ。
彼女達が抱いている信仰のようなものをこちらにシフトさせた、それだけですから。仮に私が死を望めば、迷いながら最後には死んでくれるような……」
「ふむ。軽く言うね。宗旨替えさせるのは簡単なのではないかと勘違いしそうになる」

そこで、臨也は急に口調を変え、一つの単語を口にした。

「リャナンシー……って、知ってますか」

臨也の言葉に、森厳は少し驚いたように目を開く。

「……」
「?」
「いや、なんでもない。リャナンシーとは、アイルランドやスコットランドで伝承として語られる妖精だろう?気に入った男を取り殺すという」
「そう、男を誘惑し、男が愛を拒めば――男が振り向くまで、けなげな奴隷であり続ける女の妖精……。沙樹達は、そんな存在ですよ」

その言葉に森厳は少し納得した。
確かに、臨也が今語ったような少女達に、本当に惚れてしまえば――才能を授けてくれるかどうかはともかく、不幸になる確率の方が遥かに高いだろうと。

「だけど、今はもう……沙樹は、紀田くんの虜になってしまった。だから……紀田くんは伝承にある詩人の如く、命を削られるのでしょう。これまでも、これからも」

「だが、詩人にとって、命を取られた事は不幸だったのだろうかね?」
「いいえ」

はっきりと、臨也は首を横に振ってみせた。

「彼女がもたらす不幸は、周りから見たら不幸でしょうが……男本人から見れば、そんなことはないものですよ」
「ほう……まるで自分の事のようだが、心当たりでも?」
「まあ……俺も、リャナンシーに取り憑かれた男の一人ですから。
自らが望んだんですけどね」


 
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ