「リンドウの花を君に」

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(銀仮面卿side)

 彼の人がその場に居合わせたのは、まったくの偶然だった。
 憎き王妃を探し出すために王宮へと立ち入った銀仮面卿は、中庭の向こうから聞こえてくる女の大声に何となく意識を向けた。
 後で思えばその声が記憶の中の少女に似ている気がしたからかもしれない。無意識の内に吸い寄せられるように、その声がする方へと足を運んでいた。
 そうして遠目に、ルシタニア兵のその奥で、扉の前に立ちふさがった女の顔を見とめた瞬間、銀仮面卿ははっと息を飲んで仮面の下の目を見開いた。
「銀仮面卿どうかされましたか」と背後から部下が声をかけてくるのにも答えず、食い入るようにその女を凝視する。
 亜麻色の艷やかで豊かな髪は首元で一本に結えられ、意志の強そうな翡翠色の瞳は気丈にも男たちを睨みつけている。
 そしてその折れそうなくらいに細い腕には見合わない短剣を、胸の前で構えていた。
 その女の胸元に青い宝石の輝きを見止めて、銀仮面卿は考えるよりも早く動いた。
 黙然と、早足に近寄る。その手にはすでに剣が握られている。
「殺せ!!」
 ルシタニア兵が叫ぶと同時に、銀仮面卿の剣が唸る。
 鋭い剣戟は一撃で兵士の首を地面に落とした。続けざまに返す剣でもう一人を殺める。
 ―――皆殺しにしてやる。
 腸が煮えくり返るような激情の中で、銀仮面卿は咆哮した。
「な、何をなさるのです!? 銀仮面卿!!」
 追いついてきた護衛の言葉には気にも止めず、その場に合わせたルシタニア兵を全て斬り殺す。
 どす黒い血が滴る剣を鞘に収めた銀仮面卿は、血だまりに倒れ意識を失っている女のそばに膝をついた。
 衣服や手が汚れるのも厭わず、そっと女を抱き起こす。
 体のいたるところに傷をおっているものの幸いにして急所はすべて外れていた。
「アイラ……!」
 思わずと言った様子で、銀仮面卿の唇が音をつむいだ。
 と同時に、胸を埋め尽くす想いの丈をぶつけるようにその細い体を掻き抱く。情けない声を漏らさないようにと歯を食いしばった。
 言葉にならない。どれほど長い間、彼女を望み続けただろう。
 始まりは遠い過去のもの。
 しかしその想いは日を追うごとに強くなっていった。少年の恋心はやがて愛へとかわり、来る日も来る日も、王都に残る彼女を想った。
「――我が愛しいアイラ。お前は俺のものだ。もう二度と離さない、絶対に――」
 力なく目蓋が閉じられた青白い頬をそっと指先でなぞる。
 意識のないアイラを左腕に抱いたまま、右手で仮面を外し、銀仮面卿はそっと唇を合わせた。
 溢れる吐息すら逃したくない。無意識に身じろぐアイラを間近に見つめていた銀仮面卿は、震える唇が囁くように動くさまをはっきりと見た。
 ―――ヒルメス、さま……
 歓喜が体の底から湧き上がる。自身の心が強く揺さぶられるのを、銀仮面卿は確かに感じた。
「お前は、今もこの俺を――っ!」

 心が、体が、全てが、彼女を求めて止まなかった。 
 
 

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