「リンドウの花を君に」

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(ダリューン・ナルサスside)

 銀仮面の男が立ち去った後も、その場の空気はピリピリと緊張したままだった。
「ダリューン、今は殺気を抑えろ」
「分かっている」
 本当に分かっているのか、と心の中で返しながら、ナルサス自身も腸が煮えくり返るのを感じていた。
 それを顔に出さないようにしながら、床に倒れたままのアイラの傍に膝をつく。目線をできるだけ反らしながら、脈と外傷の具合をはかって剣呑さをにじませた。
 ダリューンもまたナルサスに習うように反対側に回り込み、毛布の端から見える足首の鬱血痕をみて息を飲んだ。
 必死に抵抗したのだろう、白いやわ肌にはっきりと指の痕が残されている。頬に残る涙のあとも、口端にこびり付いた血糊も、すべてが痛々しかった。
「おい、ナルサス」
「……とりあえず、脈は安定しているが」
「俺たちではどうしようもない。それに迂闊に行動すればルシタニアに気付かれる。まずは一刻も早くアイラと共に王都を出るのが先決だ」
「そうだな……無体を強いたのは、やはり銀仮面だろうか」
「状況から察するに、おそらくは」
 何のためかなど、二人は口にしなかった。欲の捌け口か、服従させるためか。いずれにしろ許されることではないことは事実だ。
 ダリューンとナルサスにとってアイラは幼少期から見知っている間柄だ。異性の友人としては最も近しい者だと言っても過言ではない。
 頭がよく、優しく、人を思いやる心を持っているアイラは、療師になるという夢を自分の力で叶えた。
 そしてきっと王都が陥落したときも怪我人や病人のために盾となって戦っていたのだろう。
 だからこそ、二人は歯がゆい気持ちでいっぱいだった。
「行こう」
 ナルサスが感情を押し殺した声音で手短に言う。身につけていた外套を脱いでアイラの体を隠すように被せる。
 ダリューンが恐ろしく丁寧な動作で抱き上げると、目を閉じたままのアイラがわずかに身じろいだ。
 音にならない吐息が溢れる。うわごとのように何かを呟いて、眦からまたひとつ涙が伝い落ちた。


 アイラを連れたダリューンとナルサスの二人は、馬を限界まで駆けさせて、アルスラーンの潜伏する村の廃墟へと辿りついた。
 だが二人はすぐには村へ入らず、ナルサスのみがアルスラーンに帰陣を知らせに戻り、そしてすぐにファランギースを連れて村の外で待つダリューンの元へと引き返してきた。
「事情は分かった。あとは私に任せられるがよい」
「すまんが頼む」
「お主にも嫌な思いをさせるだろうが、止む負えんのだ」
 ナルサスの弁護にファランギースは絶世の美貌を歪めて首を振る。
「気にする必要はない。若い娘に無体をする輩の、何と下劣なことじゃ」
 ダリューンとナルサスがそろって殺気立つ。押さえ込んでいた憤りが再び暗雲が垂れ込めた。
 しかし三人はそれ以上何も口にしないまま、ファランギースはアイラの体を清め、清潔な布と薬で治療していった。
 そうする間、ダリューンとナルサスは少し離れたところで背を向けていた。ファランギースがアイラを持ち上げて運ぶのは不可能だったし、いつ追手が襲いかかってくるかもしれない。
 手当し終わり、真新しい衣に着替えさせられたアイラを、再びダリューンが抱え上げると、ファランギースは辛うじて聞き取れるくらいの声音で重苦しく呟いた。
「今しばらくは注意が必要じゃな。この娘の心にも、体にも」
 アイラはおそらく中に精を受けているだろう。ファランギースが最も案じているのはそのことだった。
 性的な交わりを行った場合、特に女性はあとに残る。最悪の場合、その結果によってはアイラの心を壊してしまいかねない事態に陥ることも考えられるのだ。
「このことは内密に。殿下にも詳しい事情は説明していない」
 ナルサスが言うのに続けて、ダリューンが苦渋を浮かべる。
「アイラは殿下とも親しかった。怪我をして倒れていた彼女を連れ帰ったと、それだけでお心を傷められるだろう」
「年少の殿下やエラムに告げるには酷すぎる内容だ」
「それにこれは彼女の自尊にも関わる問題。必用に事を広げぬ方が得策じゃ」
 三人は目を合わせて頷きあった。
 

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