「リンドウの花を君に」

□11
1ページ/1ページ

 東方ペシャワール城砦へと向かうアルスラーン一行にルシタニア兵の追尾の手が迫ろうとしていた。
 全速力で馬を駆けさせるアルスラーンたちに、ルシタニア兵は執拗に追いすがってくる。時折ダリューンが槍で彼らの隊を薙ぎ払い、ギーヴとファランギースが弓矢で牽制してもその数はいっこうに減る気配がなかった。
 それでもパルスの駿馬と馬術がルシタニアのそれを圧倒し、見通しの取りづらい林に到達したとき、ナルサスの提案で三方に分かれてペシャワールを目指すことになった。
 視界の優れない中、各々が道を別れた後、アイラの隣で馬を走らせていたのはナルサスだった。

 ルシタニア兵の執拗な追尾を乗り切るために南に進路を取り、ゾット族の縄張りに入っていたナルサスとアイラは、注意深く周囲の様子を伺った。
「族長ー! あいつです! 妙な銀仮面を被っているのは!」
 岩壁の影からその言葉を聞いたとき、アイラは自分でも分かるくらいに酷く動揺した。肩を震わせて息を呑むアイラの様子を横目に見たナルサスは、瞬時に行動する。
「アイラ、お前はここにいろ。絶対に姿を見せるな」
 その言葉に答える間もなく、ナルサスは単騎で道を抜けていく。しばらくして複数人の怒号と剣の交わる音が聞こえてくるまで、アイラは身動きひとつ取ることができなかった。

 親と仲間を殺されて復讐を誓うゾット族の少女の背中を見ていたアイラは、たまらなくなってそっとその場を離れた。
 見ていられなかった。かけるべき言葉も見つからなかった。これが現実だと痛感させられていた。
 彼女だけではない、銀仮面卿に家族や恋人を奪われた者は多くいる。彼らの悲しみの深さを思えば、悲嘆に似た後ろめたさを感じずにはいられなかった。足元が崩れていく気がして、木の影にずるずるとうずくまる。
「アイラ」
 低い小さな声で呼びかけられてぴくりと肩を震わせた。その声が一瞬だけ、あの方のものに感じられて振り払うように力なく首を振る。
 ナルサスはゆっくりと、黙ったままこちらに目を向けようともしないアイラのそばに腰を下ろした。銀仮面卿に対する反応からも、ここしばらく体調の優れない様子からも、今のアルフリードへの対応からも、ナルサスは確信めいた考えに行き着こうとしていた。だが、それを口に出してしまえば、アイラの心がもたないと思った。
 この場所は敵の目が多く、せめてペシャワール城へ入ってからゆっくりと話を聞くべきだ。ナルサスは思った。
「何も、聞かないの・・・?」
 敬語の抜けたせいで普段より幼く聞こえるその声は、明らかな憔悴を孕んでいた。その声のあまりの弱々しさに眉をひそめながらも、ナルサスは鷹揚に首を横に振る。何か答えれば彼女を追い詰めてしまうだけだろうと、ナルサスはアイラの亜麻色の頭をぽんと小突いた。
「お前はもっと他人に頼ることを覚えろ。俺やダリューンはお前の味方だ」
 昔から三つ年下のこの友人は人一倍頑張り屋で、他人の痛みには敏感なのに、自分のことには鈍感だった。誰かに自分の痛みや悲しみを話すことも滅多にない。そんなアイラを、自分とダリューンは共に二人で見守ってきたのだ。恋慕の情こそ持っていないが、本当の妹のように大切に思ってきた。
 大抵の物事は損得で考え、人から非情と謳われるナルサスにも、長年培ってきた情はないがしろにできないものだった。
「行こう」
 ナルサスがそう言って立ち上がるのに頷き、腰を上げかけたアイラが、小さなうめき声を上げてすぐに地面に膝をつく。倒れこむように上体を傾けたアイラの体を受け止めたナルサスは息をのんで瞠目した。
「ナルサス! 追手が来るよ!」
 切羽詰った高い声音がナルサスの耳につく。現れた少女は、つい先ほどまで涙に暮れていたとは思えないほどに真剣な表情をしていた。
 二頭の馬を引いてきたアルフリードに、ナルサスは素早く返す。
「アルフリード、お前はアイラの馬に乗れ。一気にペシャワールまで駆け抜ける」
「わかったけど・・・その人、大丈夫なの?」
 ナルサスの腕の中で身動きひとつ取れずにぐったりとしているアイラを見て言うアルフリードの言葉に、ナルサスは答えなかった。
 どう見ても、楽観視できるような状況でないと言えた。腕の中で、目を固く閉じたままのアイラが時折苦しそうに身をよじらせる。その細い左手が無意識にお腹を摩る様子を見て、ナルサスはある確信を得た。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ