「リンドウの花を君に」

□18
1ページ/1ページ


 凍てついた氷に覆われたカーヴェリー河の畔にて、パルス遠征軍とシンドゥラ軍は相対した。真雪がちらつく月のない新月の夜のことであった。
 数で勝る自軍に甘んじたラジェンドラに対し、パルスの知将ナルサスは「天の時」、「地の利」、「人の和」を以ってこれを制する。
 かくして首尾よく勝利を収めた遠征軍は、シンドゥラ国の第二王子ラジェンドラを捕虜としてペシャワール城に帰還を果たしたのである。
「いや、参った、参った。見事にしてやられたわ」
 ペシャワール城の広間に敷かれた絨毯に座らされ、荒縄で手と体を縛られたラジェンドラがこの後に及んで飄々とのたまう。
 捕虜となった王子の視線の先、上座に座るのはパルスの王子そのひとである。
 戦で一番の功績を上げたアルフリードを労ったパルスの王子アルスラーンは、殺伐とした空気が漂う中でも普段と変わらない様子で微笑んだ。
「ラジェンドラ殿、私はパルスの王太子アルスラーンと申します。いささか乱暴でしたがお話したいことがあって、このようにご招待いたしました」
「パルスでは縄で縛って引っ立てることを招待と言うのか」
 ラジェンドラの返答はいたって強気である。この状況下を思えば空元気という気もしないでもない。
 しかし無言で剣を抜いたダリューンを見て、身をもってその剛勇を知るラジェンドラはさすがにたじろぐ。
 ダリューンの剣が一閃される。剣先は寸分の狂いもなく荒縄を断ち切り、王子の拘束を解いた。
「これで対等にお話しできるかと思います」
「……まあいいだろう。聞いてやらんこともない」
 パルスの王子の丁寧な言葉端に、ラジェンドラは内心で嫌な胸騒ぎを覚えた。


 こうして「珍客」を迎えたペシャワール城では宴を催すことになり、慌ただしくその支度がなされる。
 広間にてアルスラーンとラジェンドラが「謁見」している間、自室に待機していたアイラが遠征軍から戻った者たちの顔を見ることができたのは、その宴の席のときだ。
「ダリューン、ナルサス。お帰りなさい。怪我はない?」
「ああ、アイラか。無論、万事滞りない」
「あのヘラヘラした王子に後手を取るほど弱くはないぞ」
 仲間たちに怪我がないことにほっとしたアイラは軽く言葉を交わし合う。
 特にダリューンとナルサスと顔を合わせることに少しばかり緊張していたアイラだったが、肩透かしを食らうほど二人は普段通りだった。
「アイラこそ随分と顔色がよくなった」
「だが、あまり無理をしてはならぬぞ。このダリューンが肝を冷やすからな」
「おいナルサス!なぜ俺なんだ!」
「おや、違うのか?」
「違わんが!っておい!」
 一通りのやり取りを済ませた二人がアイラの体調を気遣うそぶりを見せる。
 そうなると逆に申し訳ない気持ちになって恐縮するアイラを、年上の幼馴染たちは相変わらずだと言って笑い飛ばした。
 そして、アルスラーンの警護のために一足先に去っていくダリューンの背中を黙って見つめていたアイラに、ひとつ小さく息をついたナルサスがそっと囁く。
「なにも気負う必要などないぞ、アイラ。誰もお前を責めたりしないし、誰もお前をうとんじたりはしない」
「ナルサス……でも、ダリューンは…」
 ダリューンの伯父バフリーズは、銀仮面卿に弑されている。アイラが気がかりに思っているのはそのことだった。
 もしダリューンがアイラに対して遺憾に思っていることがあるのなら、胸の内に秘められるよりも言葉にして責められたほうがまだ有り難い。
 どちらにしても自身は傷つくだろうが、ダリューンがひとり傷ついているのかと思うとアイラの心も居た堪れなかった。
「お前の覚悟も気持ちも、俺たちは分かっている。ダリューンもだ。あれは銀仮面卿のことは憎んでいたとしても、お前のことは以前と何ら変わらずに思っているさ。俺が隠遁生活を送っていた間も、ダリューンはお前の近くにいたのだから、あれは俺以上にお前のことをよく見ている」
 ナルサスは戦前に打ち明けさせた友の本音を思い出しながらも、そう言った。もちろん嘘はついていない。
 ダリューンがアイラを思っている気持ちと、アイラがダリューンを思っている気持ちに決定的な差はあろうとも、幼馴染としてともに育った彼らの絆が崩れることはこの先も絶対にないと、ナルサスは思っている。
「……ありがとう、ナルサス」
 友の気づかいにお礼を言いつつも、アイラはじっとダリューンの背中を見つめ続ける。
 ダリューンもナルサスも嘘は言っていないかもしれないけれど、それだけが本心だとも思えなかった。
 それでもアイラはそれ以上口に出さず、二人の気づかいを深く心に受け止めた。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ