「リンドウの花を君に」IF編

□傷ついた心を癒す幸福
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《もしもヒルメスが銀仮面卿にならなかったら》
・夢主が妊娠中。ヒルメスが感極まる話。


* * *


 清々しい朝の風が寝室に穏やかに吹き込み、天蓋から下ろした薄布を揺らめかせている。
 窓から射し込む淡い光に誘われるように目を覚ましたアイラは、寝台の上にゆっくりと体を起こした。
 今朝は久々に気分が良い。目立つようになった腹部をさすりながらアイラは思う。
 療師の性からか、自身の額に手を当てて熱を測れば、昨日まで残っていた微熱はすっかりと消え去ったようだった。
 散々苦しめられた悪阻もようやく落ち着き、体調も安定し始めたかと、ほっと安堵する。悪阻が酷い間は何かと不自由が多く、ヒルメスにもたくさん心配と迷惑をかけてしまった。けれどこの分なら滞ってしまっていた療師の仕事も再開できそうだった。
 きし、と控えめに寝室の扉を開ける音がしてそちらに目を向ければ、すでに身支度を整えたヒルメスが伺うようにして立っている。ヒルメスは寝台の上に上体を起こしているアイラを見て、ゆっくりと歩み寄って寝台の端に腰を下ろした。
「調子はどうだ」
 ゆるく波打つ柔らかな亜麻色の髪を手ぐしで整えながら、ヒルメスは顔色を見るように自身の顔を近づける。
「今日は調子がいいみたい。吐き気もないし、熱も下がったわ」
 頬を包み込むように撫でながら触れるだけの口付けを交わして、ヒルメスは満足そうに細い肩を抱いた。
「ならば良い」
「心配かけてごめんなさい、ヒルメス」
「心配するのは当然だろう。今日も体調が良くなったからといって無理はしてくれるなよ」
「貴方は私のことを何でもお見通しなのね」
 療師の仕事をしようと思っていたことを告白すると、ヒルメスは渋面を作って予想したと言わんばかりに仰々しくため息を付いた。
 その仕草が出会った頃と少しも変わってなくて、アイラは思わず頬を緩める。
 心配させていることへの謝罪を込めて、首を伸ばして夫の首筋に口付けを落とせば、しっかりとした力で肩を抱き寄せられる。
「お前のことだ、無茶はしないとは思うが」
「ええ、もちろんよ。この子の負担になることはしない。愛しくて大切な、貴方の子だもの」
 そう言ったアイラが微笑みながらお腹を撫でる様子に、ヒルメスもわずかに相好を崩した。
 ヒルメスの大きな手がお腹を撫でる手にそっと重ねられると、アイラは嬉しそうに顔をほころばせる。目を細めたヒルメスは亜麻色の髪に顔をうずめた。
「照れているの? ヒルメス」
「照れてなどいない」
「そう?」
「からかうな」
 口ではそう言いながらも、この身に余る嬉しさを隠しきれないとヒルメスは思った。
 散々苦しんできた心の傷でさえ瞬く間に塞いでいく。
 顔に残る遺恨の傷の痛みすらも、ぬぐい去ってしまう。
 それほどの、幸福。
 最愛の妻とその身に宿る命が、とても眩しく、尊い。何ものにも代えがたい、かけがえのないものだと思った。
 アイラにはきっと自分が口に出さない、この想いのすべてを見通されているだろう。互いのことは分かるのだ。自分がアイラのことを理解できるように。
 だからこそ共にいて幸せだと思えるのだと、いつかアイラが言った。
 分かり合える、分かち合うという幸せを、ヒルメスはアイラから教えられた。
 孤独に生きる道しかないと思っていたあの頃の自分にアイラは光をもたらした。
 それを幸福と言わずに何と呼ぶ。
『ヒルメス』
 名を呼ばれるたび、心が高鳴る。
『愛しているわ』
 愛を囁かれるたび、体が熱くなる。
 それを幸福と言わずに何と呼ぶのか。
 髪にうずめた顔をゆっくりと持ち上げると、アイラの手がヒルメスの目元を滑るようになぞった。自身の頬に濡れた感触を感じてヒルメスははっと目を見張る。
「私の前で感情を殺す必要はないのよ」
「俺は・・・、」
「ヒルメス。痛みも悲しみも、喜びも嬉しさも、すべて私に分けて。貴方が何を感じて、何を思うのか、私はそのすべてを受け入れるから」
 ああ、運命は己を見捨ててなどいなかった。それどころか、無二の至福すら与えたのだとヒルメスは深く思い知る。
「・・・・・・アイラ、愛している」
この想いがどうかお前に伝わるように。
そう、強く願って。


傷ついた心を癒す幸福



【あとがき】
 先だって夢主がヒルメスを起こしにくる話を書いたら逆パターンが書きたくなりました。
 最初はエロ甘い話にするはずでしたが、途中からヒルメスが勝手に動き出しました(笑)  
 結果的は良いお話が書けたと満足していますが、どうでしょうか・・・。
 日頃散々狂気的なヒルメスを推していますが、純愛っぽいのもやっぱり捨てがたいです。
 もうとことんこの二人を甘やかしたくて仕方ありません。
 親心ってやつでしょうか(笑)
 夢主に泣かされるヒルメスの話(笑)、気に入っていただければ嬉しいです。


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