「リンドウの花を君に」IF編

□幸福の中のある出来事2
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《もしもヒルメスが銀仮面卿にならなかったら》
・「幸福の中のある出来事」の対話?(読んでなくても支障はありません)
・風邪を引いたヒルメスを看病する夢主が不安を口にする話


* * *


 まだ言葉も話せないほどの幼子が川に流されていた。
 引き受けた護衛の仕事の帰りにその現場に居合わせたため、川に飛び込んだ。
 子どもは無事に助けて、親元へと返してやった。
 礼をするという親の言葉を断って、そのまま家まで馬で帰ってきた。
「それで、真冬の川に飛び込んだと・・・」
 淡々と事情を語りながら、至極不本意そうに寝台に横たわるヒルメスの額に、氷水で濡らして固く絞った厚布を置いたアイラは、夫の顔を凝視したまま唖然と絶句した。
 パルスの南に位置する港町ギランでも、冬場、それも夜となるとそれなりに気温は下がる。
 そんな中、川に飛び込んで、しかも長時間濡れたままにしておくなど無謀すぎると、アイラは口に出さずに思った。
 ぶすっと不貞腐れながらも、高熱に頬を赤らめたヒルメスには普段余りある威厳がない。熱によって心なしか目も潤んでいるため、その不機嫌さは駄々をこねる子どものようにも思えて、アイラは思わず口元を緩める。
 すると、その様子を横目で見たヒルメスは、クスクスと笑っている妻を一睨みしてから、仰々しいため息をついて目を閉じた。
 時折咳き込むその横顔はとても苦しげである。一転して笑い顔を引っ込めたアイラは、療師の表情になって、ヒルメスの頬に自分の手の甲をひたりと押し当てた。
「熱が下がるまでは絶対安静よ。まったく貴方はすぐに無茶をするんだから」
 氷水を使ったために冷え切ってしまっているその手に、ヒルメスは眉をひそめる。
 ただでさえ体が冷えやすい妻まで体調を崩してはいけない。
「お前ももう休め」
「もう少し、そばにいるわ」
「お前まで倒れたら洒落にならぬぞ」
「大丈夫よ。私は普段から病人の近くにいるから慣れているし」
 さあゆっくり眠って、と微笑んだアイラは、ヒルメスの頬に寄せていた手を引こうとして熱い手に引き止められた。
「どうしたの、」
 妻の手を掴んだヒルメスが、その白い手を胸元に引き寄せて温めるように自身の手で包み込む。そうして氷のように冷たかった手に熱を分け与えた。
「アイラ」
 ヒルメスは気づいていた。
 ずっと翡翠色の瞳が怯えるように揺れていることに。
 握った手が小さく震えていることに。
 アイラは気丈なふりをしているだけだ。その下手な嘘に気づかないほど、自分は鈍感ではない。
「怖かったか」
 その言葉に、アイラは目を見張って顔を強ばらせ、そしてすぐ、気不味げに視線をそらす。その横顔からは言い逃れするための口実を考えていることなどすぐに分かる。
「アイラ」
 妻以外、他の誰にも聞かせたことのない声で名を呼んでさとせば、アイラは観念したように視線を戻した。
「貴方が怪我をしたり病にかかったりすると、とても不安になるの」
 火傷の治療のために逗留していたマルヤムでアイラと再会して以来、時々、彼女はこうして不安そうに何かに恐れているような目をして自分を見てくることがあった。それは決まって、怪我をしたり、病になったりした時で、それが普通なら笑って済ませられるほど軽いものでも、アイラは極端に恐れているように見えるのだ。
 ずっと不思議に思っていた。重病や重傷の患者は見慣れているはずのアイラが、なぜ、そうも恐れるのか。
「もう一度、貴方と離れ離れになることがあれば、私は――」
 ―――きっと生きていけないだろう。
 怒られることは目に見えているから、口には出さないけれど、そう思った。
 一度失って、ようやく得た幸せをまた奪われるようなことがあれば、そう考えるだけで震えが止まらない。
 離れている間味わい続けた恐怖は、今もアイラの心の中に居座っていた。そして、今も時よりその恐怖を思い出させては、不安に落し入れようとするのだ。
「怖くて、恐ろしくてたまらないの・・・」
「そんなに俺は不甲斐ないか」
 首を横に振ると、いつの間にか体温を取り戻していた手が、ぎゅっと握り締められる。睫毛を震わせたアイラが濡れる眦を拭って、ぬくもりを求めるようにもう一方の手をそこに添える。
「ずっとそばにいて、ヒルメス」
「安心しろ、頼まれても離れてはやらん。お前が不安になった時に慰める役目も、他の誰にも譲る気はない」
 ヒルメスがぬくもりを移した手の甲に熱い唇を押し当てて誓う。
「これだけでは不安か? ならば言葉でも体でも、いくらでも与えてやろう」
 全てお前のものなのだからと、からかうように言ったヒルメスに、アイラは泣き笑いを浮かべる。
「それなら、早く良くなってくれないと」
 アイラは身を乗り出して上気した夫の頬に口付ける。ちゅっと可愛らしい音を立てたそれを、ヒルメスは擽ったそうに受け止めた。



幸福の中のある出来事2




【あとがき】
 風邪を引くヒルメスが見たい一心で書きました。断じて他意はありません(笑)
 なんか最後の方、違う方向に行きそうになりました。ヒルメス、お前病人だろう!ってツッコミ入れながら必死に軌道修正を試みて、うーん失敗してる感が否めません(笑)
 毎度のことながら要点が分かりにくい文章ですみません・・・。小話感覚で軽く読んで頂ければと思います。


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