「リンドウの花を君に」IF編

□愛を信じられたなら(前編)
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《夢主がヒルメスと一緒に行動していたら》
・「愛」シリーズver.夢主の懐妊話。
・そんなにシリアスではありません。むしろハピエン。
・夢主とヒルメスが普通に恋人(狂愛的ではない、かも)
・前後編(前編はサームのみ登場。ヒルメスは後編に登場)


* * *


 人を信じるということは、とても勇気がいる。
 その人を深く愛していればいるほど、勇気がいることだ。
 それでも、その人を心から信じられたなら、きっと未来は拓かれる。
 だから、強く信じたいと思った。心から愛する、あの人を。


 体が重い。
 日暮れに赤く染まるパルスの城下町をひとり歩いていたアイラは、坂道を登ってきたわけでもないのに息苦しさを覚えて立ち止まった。
 左手を土壁について寄りかかりながら、視界が回るような不快感に目を閉じて耐える。
 ここ数日は、熱っぽさが慢性的に続いていて、食事もあまり取れていなかったことを思い出す。最初は生活環境の急激な変化が原因だろうと気にも止めていなかったが、どうにも治まる気配は見えない。
 それどころか、むしろ悪化している気がすると、アイラは思った。
 こうも特定の症状が続くと、療師の性からか嫌な予感しかしない。下腹部の張り、月のものはいつ来たか、という所まで考えて一気に血の気が引いていく。
 その可能性がないわけではないと、頭の片隅には置いていた。
 けれどそれはどこか現実味がなく、もちろん今まで経験したこともないから、深くは考えなかったのだ。
「ありえないわけじゃないもの・・・」
 その結果に直結する行為はしているのだから。
 最初は無理やりに近いものであったけれど、それ以後は一応同意のもとだった。もう何度かそうして交わっていた。十分に考えられることだった。
 もし本当に、自分の予感が当たっていたら。
 真っ青な顔色したアイラは、震える手でお腹辺りを撫でながら、喉を引きつらせるように息を飲む。
「・・・ヒルメス様は、」
 ―――どう、思われるだろうか。
 どう伝えればいいだろう。もし拒絶されたら、どうすればいいのだろう。
 それに今のエクバターナはルシタニアの占領下だ。安全な保証はない。
「こんな、大変なときに・・・私は、」
 胃からせり上がって来る不快なものを感じて、その場にうずくまる。口元に手を当てて喘ぐものの、何も吐き出せず余計に気持ち悪さが増すだけだ。
 そうして、今朝は朝から何も食べられてないことを思い出す。
 もうすぐ完全に日が落ちてしまう。
 早く王宮へ戻らなければならないことは分かっているが、冷や汗が出てきてますます体調は悪化する一方だ。壁の脇にしゃがみ込んだまま、立ち上がることもできない。
 その時だった。
「おい、こんなところに女がいるぞ」
 ルシタニア訛りのパルス語と共に、兵装をした二人の男が現れる。
 男たちは下心がありありと浮かんだ濁った目で、舐めまわすようにアイラを見た。
「ほんとだ。パルスの女なら、どうしたって構わないよな? 野蛮な異教徒なんだから」
 野蛮なのは貴方たちの方だと、心では思いながらも、今はまともに相手をすることすら難しい。
 この状況をどうするべきかと、咄嗟に周囲を見渡して、男たちの背後に見知った顔を見止めてほっと息をつく。
 アイラ自身が手当をして、瀕死の重傷から順調に回復した万騎長サームの姿が、そこにはあった。
 いつものように厳格そうな表情したサームは、ルシタニアの男たちに囲まれているアイラの姿を見つけるや否や、目にも止まらぬ速さで剣を抜刀してそれを一閃させる。
 瞬く間に男たちは喘鳴を上げる暇も与えられず、首を落とされてその場に崩れた。
 無論のことながら、ルシタニアの下っ端兵などパルスが誇る万騎長の前では敵にもならない。
「無事か、アイラ」
「・・・サーム、殿」
 なんとかそれだけは答えたものの、もう意識を保っていることも辛かった。
 うずくまったまま様子がおかしいアイラに怪訝そうな目を向けたサームは、次の瞬間、頭を振って崩れかけたその体を反射的に抱きとめる。
「アイラ! どうした、」
「大丈夫、です・・・」
「大丈夫なわけがあるか。真っ青だぞ」
 背中と肩を支えられた体勢のまま、ぐったりと倒れ込んだアイラは、無意識にお腹に手を当てていた。
 けれど体調の悪さよりも、精神的な疲労の方が酷い。
「おい、アイラ!」
 こわい。おそろしくてたまらない。あの人に伝えることも、先のことへの不安も、すべてが鉛のように重くのしかかってくるように思えた。
 滅多に見せない取り乱したサームの顔がぼやけたと思った瞬間、意識が暗転した。

 額に冷たいものが置かれる気配がして、深く沈んでいた意識がゆっくりと浮上していく。
 重い目蓋を、ゆっくりと押し上げると、固い面持ちをしたサームが視界に写り込んできた。
 そう言えば祖父に連れられて来た王宮の中庭で、昼寝をしていた自分をよく見つけに来てくれたのは、この人だったと思い出す。
 優しくゆすり起こされて、眠い目をこする幼い自分を見ては、仕方なさそうにため息をついて抱き上げてくれた。
 幼な心に、父親が生きていたらサームのような人だったのだろうかと感じたことを覚えている。
 どうして今、そんな昔のことを思い出したのかは分からない。けれどなぜか、とても安心すると思った。
「目覚めたか、アイラ。気分はどうだ」
 夢心地が取れないまま、小さく頷く。
 サームの言葉を口の中で反芻しながら、意識を失う前のことを徐々に思い出して、アイラは再び血の気が引いていくのを感じた。
「わ、たし・・・私、どうして」
 みっともないほど声が震える。
 勢いに任せて寝かされていた寝台から起き上がろうとしたアイラは、目眩を起こして米神を抑えると小さくうめき声を上げた。
「無理をするな。まだ休んでいろ」
 サームの声音がどこか固い。恐る恐る顔を見上げれば、わずかに焦燥をにじませた目と合って、知られてしまっているのだと悟った。
 その時の自分はよっぽど泣きそうな顔をしていたらしい。サームは戸惑いながらも、無骨な手で不器用にアイラの頭を撫でる。
 くしゃりと髪を解されて、その昔と変わらない優しい手に、余計に泣き出しそうになった。
「・・・お前は、気づいていたのか?」
 来た、とアイラは固唾を飲む。
「いや、話したくなければかまわない」
 話し合うべき相手は俺ではないからな、とサームは控えめに続けた。
 アイラは力なく首を振る。
「気づいていたのかもしれない、です・・・でも、たぶん怖くて・・・目をそらして気づかないふりをしていました。療師、失格ですね・・・」
「・・・・・・」
 こわい。心細い、不安で胸の中がいっぱいだった。
 それでもきっと自分は身ごもっていることを知って嬉しいのだと、アイラは思った。
 ずっと慕い続けて、何を犠牲にしてもそばにいたいと願った人の子どもだから。だから、拒絶されたらどうしようかとこんなにも恐れているのだ。
 サームは何かを悟ったように、嗚咽を堪えて涙を流すアイラを見守っていた。
「どうしよう、どうすれば、いいの・・・」
 呆然と呟いたアイラは涙で濡れた顔を両手で覆って、情けない、無責任だと自分を責めた。
 身ごもるという覚悟もないのに、あの人の愛を感じて、確かめて、得るためだけに必死になっていた。
 療師として、命の重みは痛いほどにわきまえていたつもりだった。それなのに。
「もし・・・もし、ヒルメス様に拒絶されたら、私は――」
「アイラ。それはお前ひとりで勝手に結論を出す問題ではないだろう」
 少しだけ叱るような表情をしたサームは、諭すように静かに言い聞かせる。
 涙に濡れていても澄んだ色をしている翡翠色の瞳が、怖々といったようにサームを見上げた。
「素直に申し上げればいい。お前が黙っていてはヒルメス殿下は知らないまま、どうすることもできんぞ」
「ですが・・・」
「お前が不安でどうしようもない思いなのは分かる。だが、腹の子の父親にも責任がある問題だろう。それにヒルメス殿下は不甲斐ないお方ではないと、俺は思うが」
 ヒルメスは今、王都を離れペシャワールに向っているのだ。だから、今しばらく心を落ち着けるいとまはある。だから、その間にゆっくりと考えてみればいいと、サームはアイラに言い聞かせた。
 瀕死の重傷を負ったサームを救ったのは療師として立派に成長したアイラだ。
 目覚めたサームは、傍らで看病をしていたアイラから、ルシタニアや銀仮面卿の――ヒルメス殿下のことを聞かされた。
 怪我が治り、起き上がれるようになってからは、ヒルメス殿下のそばにいるアイラを何度も見かけた。アイラがそばにいるときだけ、銀仮面卿の冴々と殺気立った気配が和らぐことに、サームは気づいていた。
 ずっと昔に、同じように寄り添う二人を見たことがある。微笑を浮かべるヒルメス殿下と、その隣で満面の笑みをしている幼い少女の姿だ。
 十六年という長い時間が二人を引き離したが、それでも互いに想い合い続けていたのだと、サームは知った。
 それを知ったからこそ、自分自身もヒルメス殿下に跪く覚悟ができたのだ。
 最後にもう一度、亜麻色の髪をくしゃりと撫で付けたサームは、腰掛けていた椅子から立ち上がる。
「信じてみろ、アイラ。お前を想われている、ヒルメス殿下の御心を」
 その言葉にはっとしたアイラは、そして、ぎゅっと唇を引き結んで深く頷いた。
 まだ目立たない、それでも確かに命が宿るお腹を、抱きしめるように両腕で包み込む。
 この小さな命を精一杯愛し、守り抜きたいと、そう強く思った。


愛を信じられたなら(前編)



【あとがき】
 初めてのことに不安でいっぱいな夢主と、それを慰めるサーム(父親)の話です(笑)
 ヒルメス夢なのに、ヒルメス出てないってどういうこと!?と思われた方、すみません。後編はヒルメス出ます。ヒルメスしか出ません。
 話が変わりますが、筆者はサームが大好きです。カーラーンも好きだけど、サームの方が好きです(そんなのどうでもいいって?(笑))
 多分、カーラーン(ザンデはもってのほか)よりもサームの方が冷静にヒルメス殿下を見極めている気がします。
 カーラーンやザンデは盲目的にヒルメスを主君と仰ぎ、忠誠を誓っていますが、サームはヒルメスの犯した罪を認識した上でそれでもそばに仕えようと決めました。だから、サームはほんとすごい人だと思います。(サーム好きが増えますように!)
 夢主もそんな真面目でしっかり者のサームを父親のように慕い、頼りに思っているだろうなーって思ったので、今回大役に抜擢しました。
 うーん。もし夢主がヒルメスに子供なんているか!って言われたとしても、サームなら養ってくれそうです。夢主を妻に迎えて、その子供も自分の子同然に育ててくれそう。(本気)
 もちろん、うちのヒルメスはそんなに甲斐性なしではありませんが!!
 後編ではちゃんとヒルメスが受け入れてくれるはずですが!!!
 ちょっと熱く語り過ぎました。お目汚しでした。すみません。
 では、また後編で。


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