「リンドウの花を君に」IF編

□溢れるほどの幸せをお前に
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《もしもヒルメスが銀仮面卿にならなかったら》
・夢主がヒルメスに膝枕する話
・途中、ヒルメス視点あり


* * *


 何十隻もの商船が所狭しと停泊するギランの港町と、遥か彼方まで続いている青い大海を眺めながら、アイラは何度見ても飽きることのない、その美しさにほっとため息をついた。
 高台に立つヒルメスとアイラの家からそう遠くない場所に、その景色を一望できる場所がある。
 森が少し開けたその場所で、風に誘われてほのかに香り立つ草花に囲まれて座るアイラは、亜麻色の髪を揺らしながら穏やかに微笑んだ。
 アイラの膝の上では、目を閉じて小さな寝息を立てているヒルメスが素顔を晒して寝転んでいる。人の来ないこの場所では、ヒルメスもこうして無防備に眠ることができるのだ。
 少しかたくて男らしく、それでいて指を通すとさらりと流れる艶やかな黒髪を愛しげに撫でると、深く寝入っているヒルメスが小さく身じろぎし、膨らんだアイラのお腹にすり寄るように顔を傾ける。
 無意識だろう夫の行動にもアイラの心はあたたかくなった。
 日に日に大きくなっていくお腹を見つめるヒルメスの眼差しが、アイラは愛おしい。
 口数は多くはないが、身重の体をいたわる視線にも、さりげない気遣いにも、ヒルメスの優しさを身近に感じていた。
「愛しているわ、ヒルメス」
 端正な顔にかかった前髪を指先でそっとかき上げながら、アイラは甘く囁いた。
 触り心地のいい黒髪を手の中で弄びながら、心地よい陽気の中でしばらく夫の寝顔を見守っていると、やがてゆっくりとヒルメスの瞼が持ち上がる。
 髪を撫でるアイラの指先の感触に目を細めたヒルメスは、緩慢に上体を起こし、自分の顔を覗き込んでいるアイラの唇を塞いでから、満足げに目を細めた。
 ちゅっと可愛らしい音を立てて合わさったそれに、アイラはパチリと目を瞬かせる。
「ヒルメス?」
 名を呼ばれた本人は口端で笑み、軽々と妻の細腰を抱き寄せると、今度は自分の膝の上にその体を抱え上げた。
 何やら目覚めたばかりの夫君はご機嫌のようだとアイラは心の中で思った。
「深く寝入っていたようだ」
「ええ。気持ちよさそうにぐっすり眠っていたわ」
「起こせばよかろうに……疲れてはいないか?」
 ヒルメスは腕に抱き込んだアイラの頬に触れるだけの口づけを落として、覗き込むようにして顔色を伺う。
「大丈夫よ、ありがとう」
 横抱きに抱えられたアイラは、夫の体に素直に身を預けて微笑んだ。
 亜麻色の髪を大きな手に撫でられる。いつにも増して甘やかなその仕草に、アイラは小首を傾げた。
「何かいい夢でも見ていたの?」
「ん?――ああ。まあな」
「どんな夢を見ていたのか、教えてくれないの?」
 腕の中でくるりと体の向きを返して自身を見上げてくる妻に、ヒルメスは口を閉ざして静かに笑む。
 夢に見ていた情景は、一度諦めてしまったものだった。
 平穏なときを心安らかに、愛する妻と共に歩む夢。もう二度と叶わぬと一度は捨て、憎悪と復讐に生きることを望んだが、運命は自分を再び、愛しい人と巡り逢わせた。
 最初は今の生き方に戸惑いもあった。
―――だが、他ならぬアイラが、俺を光のもとにとどめたのだ。
 ヒルメスの手がそっと命の宿る腹部を撫でる。わずかに躊躇してから、決心したように口を開いた。
―――俺はもう、過去には囚われない。
「子が生まれたら、王都を訪れたい」
 アイラが弾かれたように目を見開き、それから、泣き笑いのような微笑を浮かべる。自分からは聞くことができなかったその言葉を、いつかヒルメス自身が望む日が来ればいいとアイラはひそかに思っていた。
 ヒルメスにとっても、アイラにとっても、王都は故郷だ。生まれた場所を離れがたいと思うのが、人の性。
 けれど、ヒルメスにとって、王都は楽しい思い出ばかりではない。たくさんの悲しみと、別れを経験した場所でもある。
 だから、アイラはマルヤムでヒルメスと再会した後から今日まで、王都という言葉を口にしたことはなかったのだ。
「子に、この国のすべてを見せたいと思う」
「ヒルメス……」
「王都の美しい夕暮れも、お前と出会ったあの庭も、お前の暮らしていた屋敷も……俺が生まれ育った場所も」
 ―――そしていつか、王家の血筋を引くことを話し、その上で子には自由に生きてほしい。俺のように柵に苦しむことなく、自由に。
 喜怒哀楽のすべてが込められたその静かな眼差しを、アイラは正面から受け止めた。
 この答えを出すまでに、どんなに悩み苦しんだことだろう。半端な気持ちでは、口にできない重みがそこにはあった。
 アイラが宿しているのは、他ならぬ王家の血を引く子だ。
 つなぐ未来に、そのことを誇れる子になってほしい。けれど決して、そのことが禍とならないように、自由に生きてほしい。ヒルメスはそう願ってくれている。
「ええ、この子が生まれたら三人で行きましょう。私たちが歩んできた道を、この子には知っていてほしい」
 お腹を撫でる大きな手に自分の手を重ねて、アイラは言う。
「そう思えるようになったのも、お前がいたからだ」
 もしかしたら、自分は今、王宮にいたころよりも幸せなのかもしれない。失った過去は取り戻せず、どんなものであったかも分からないが、きっとそうに違いないとヒルメスは思う。
「――ねえ、ヒルメス」
 伸び上がったアイラの唇が、ヒルメスの唇にそっと触れる。
 火傷の痕が残る顔を温かい両手で包み込まれて、目を合わせて、もう一度ゆっくりと重なり合う。
「私は幸せよ。貴方がそばにいて、子に恵まれて。この先何があっても私は離れないわ、一緒に乗り越えていく」
 辛いことも、苦しいことも、嬉しいことも、楽しいことも、そのすべてがかけがえない宝物になるように。
 そして、共に歩むことを選んでくれた貴方と、幸せになれるように。
「ヒルメス。私は貴方を、――」
「俺の台詞を取るな――アイラ。俺はお前を、お前が与えてくれるものすべてを、愛している」
―――だからこそ、溢れるほどの幸せをお前に与えよう。



溢れるほどの幸せをお前に




【あとがき】
 すっごく時間かかっちゃいました…。ほんとお待たせしました! 
 ヒルメス側の心情描写が書きたいな、と思いついたものの、こいつ何考えてる分かんない。偽物だったらすみませんm(_ _)m
 例のごとく、二人の甘〜い世界かもし出しすぎ(笑) 砂糖吐きそうです(笑)
 実際に夢主たちが王都を訪れるのはアルスラーンが王位を継いでからでしょうねー。
 夢主の子がもし女の子なら、アルスラーンにめっちゃ懐いて、「将来はアルスラーンのお嫁さんになるー!」とか言って、それに撃沈してるヒルメスパパが見たいです(まじめ)
 あ、やばい。めっちゃ書きたい(まじめ)


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