「リンドウの花を君に」IF編

□1
1ページ/1ページ

《もしもヒルメスが銀仮面卿にならなかったら》
・IF編「幸」シリーズ軸。本編とは無関係
・マルヤムで再会したばかりのヒルメスと夢主の話。
・続きます(中編くらいの長さを予定)
・今回は夢主と師の会話(師については短編「雛鳥の旅立ち」で登場していますが、末尾のあとがきでも一応軽く記載します)



* * *


 離れていた時間は、もう取り戻せないけれど。
 貴方と私を分け隔てていた時間の壁はとても重く高いものだけど。
 それでも。
 ずっと乞い続けた貴方にもう一度出会えたことが、何よりも尊い幸せだと思うから。
 だから貴方の背負う痛みも苦しみも、すべて私に分けてほしいと願うのです。
 ヒルメス様、これからはずっとそばに居させてください。


 火事で負った顔の火傷の傷は、消えないまま今も顔の右半分を無残に覆っている。
 再会したばかりの頃の、ヒルメスはその傷を人に見られることを厭い、顔を隠し、人と会うこともあまり望まなかった。
 一日中、一人きりで書物や物思いにふけって、人通りの少ない裏庭で一心に剣をふるう。単調で悲しいくらい、孤独に生きるその目に、私は写っていない。
「ヒルメス様は、私のことを厭っておられるのでしょうか……」
 よそよそしい態度や、避けられている気がするのはきっと気のせいではないだろうと、マルヤムに駐留する師の手伝いで薬草を選別しながら、少女の面影を少しだけ残した容姿のアイラは小さく溜息をついた。
 向かいで薬草をすりつぶしていた師が難しい顔でちらりとアイラを見る。そうして、ややあってから重い口を開いた。
「さあな。本人にしか分からんものは多い。だからこれは憶測だが、あれはお前を避けているんじゃなくて、お前との接し方が分からんと言ったところに見える」
 仮にも一国の王族を“あれ”と称するのは師くらいのものだとアイラは苦笑する。
 師は王族、貴族、豪商といった権力に無頓着で、人をみな平等に扱う。
 もしかすり傷を負った王族と重傷を負った奴隷が、それぞれ目の前に倒れていたとしたら、ほとんどの療師は王族を優先させて奴隷には見向きもしない。使い捨て、という言葉で奴隷の命をぼろ雑巾のように見捨てる国と人間は、限りなく多い。
 残るわずか少数の人間の一人が、今アイラの目の前にいる師だった。
 今回、国を追われたヒルメス王子の治療をしたのも、利益や利潤のためではなく、単に治療を必要としていたからという理由による。師には身分という概念がまったくない。
 権力に屈せず、ただひたすらに弱者を救済する。
 それが師の掲げる理。その理のもと、訪れたマルヤムで偶然にもヒルメス王子と再会したのだった。
「接し方……私が、何か無礼を働いたのでしょうか」
 眉根を寄せて唸る弟子に、父親ほども歳の離れた師が呆れて嘆息する。男を知らないどころか、男と付き合ったこともないだろう、娘っ子に説いても詮無いことかもしれないが余りにも鈍感すぎる。
「傷もまだ癒え切らないどころか、今まで辛い思いを一人で耐えて来られたのだもの。他人に対して心を開かれないのも無理はないのかも……」
 まあそれも一理あるだろうが。少なくとも、ヒルメス王子がアイラを敬遠する理由はそうではない。
「そう言うことじゃないと思うんだがな……」
 どこで教育を間違ったか、と師はすりつぶし終えた薬草に少量のお湯を足しながら、遠い目をした。
 師自身、十に満たない頃からアイラを知っているが、彼女はここ数年ですっかり大人の女性に変わった。
 まだ言動や面影にうっすらと少女らしさが見え隠れするもの、パルスの慣習に習えばもう十分に結婚適齢期と言えた。
 ヒルメス王子はアイラよりも四つ年上の立派な大人の男。ずっと会えない間に幼い少女から大人の女性に変貌したアイラを前にして動揺する気持ちは同じ男だからよくわかる。
 増して、アイラは贔屓目なしに見ても、間違いなく美人の部類に入る。亜麻色の艶やかな髪と透き通る翡翠色の瞳。それだけでなく、ふつうの町娘にはない雰囲気と聡明さを併せ持つ。
 まあ、自分の最愛の奥方には及ばないが。
 それはさておき。むしろ、師としては何に対しても閉鎖的で心を閉ざしていた王子が、アイラに再会してから少しずつ見せるようになった心情の変化を好機ととらえている。
 このまま、暗い感情を明るいものに反転できれば、あの王子にも新たな未来が拓けるだろう。
「逆にお前は戸惑わないのか。王子を前にして」
 からかうような口調で師がそう言えば、途端に弟子は顔を赤くして、当てもなく目線を彷徨わせた。
 なんだ、その恋する乙女のような反応は。師は内心必死に笑いをかみ殺した。まあ表現的には何ら間違っていないが。
 ふつうの娘が色恋に色めき立つ年頃に、療師になるために必死に書物を読みふけっていたこの娘が、そう言うことに疎いのは知っている。
 だがその反面、ことあるごとに胸にかけた青い石のペンダントを眺めながら、遠い目をしていた娘も知っている。まだ年端もいかない娘には似つかわしくない、そばにいない失った誰かを想うその瞳を、師だけが知っていた。
「今のお前と同じじゃないのか、あの王子も」
「でも、ヒルメス様に限って、そのようなことは……」
「お前は根本的に男を誤解しているな。それかあれか?“ヒルメス様だけは特別なのー。私の王子様だから特別なのー”とか思ってる口か?」
「……怒りますよ?」
 悪びれる様子もなく、師はくつくつと喉を鳴らして肩をすくめる。
 弟子の場合、知識はあるが、経験はない。といったところだろう。いざ心に想う異性を前にして、冷静に客観的にいられるはずもない。
「ほんと、お前ら若いな。見ていてまどろっこしい」
 自分にもそう言う時代があったことを棚に上げて、師は言う。男女の仲というのは至極単純で、想いが一方通行でなければ何の問題もないというのに、ねじれてたちまちややこしくなる。
 王子を見ていても、弟子を見ていても、確かに言えることがある。想いは決して一方通行ではない。
 そして、淡い恋心と愛の間にいるアイラよりも、あの王子の方が深く強いものを持っている。おそらくは戸惑っているのだろう。復讐のためだけに生きてきた心に吹き込んだ新しい風に。
「まあ悩め。一番深いとこの気持ちが変わらなければ、最後には丸く収まるもんだ」
 ずっと見守ってきたこの娘の幸せを、師として、父がわりとして願わずにはいられない。
 それと同時に、そろそろ俺もお役御免かなと思うと、少しほろ苦い気持ちが胸を締め付ける。
 真剣に考え事をする弟子に気付かれないように、師は薄く微笑んだ。



【あとがき】
 久々の更新です。「幸」シリーズで肝心の再会話を書いていないことに気付きました。少し長くなりそうなので、少しずつ更新していきます。
 今回は夢主と療師の師との会話。師について一言で表しますと、港町ギランを拠点に各国で活躍する凄腕の療師と言った所でしょうか。
 夢主の父親世代。既婚者で夢主よりも少し年下の息子が一人います。ちなみに奥さんは絹の国の年下美人妻という設定です(どうでもいい(笑))
 「幸」シリーズはギランでの結婚生活を中心に書いてきましたが、そこに至るまでの二人のもだもだ話(?)をちょっぴり甘酸っぱく青春っぽく書いてみよう思います。
 今はすっかり余裕綽々のヒルメスが、昔はこんなにも純情だったんだよーということを最大限アピールしていきたいです(笑)
 完結までできるだけスムーズに書き進めたいと思っています。最後までお付き合いください。


[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ