「リンドウの花を君に」IF編

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《もしもヒルメスが銀仮面卿にならなかったら》
・IF編「幸」シリーズ軸。本編とは無関係
・マルヤムで再会したばかりのヒルメスと夢主の話の第2話
・今回は夢主とヒルメスsideの心情話


* * *


「逆にお前は戸惑わないのか。王子を前にして」
 師にそう問われて、動揺を隠しきれなかった。頬に熱がたまって、心臓の音がひどくうるさい。
 今までこんなことはなかったのに。
 火照ったままの頬を両手で抑えながら、アイラはマルヤムに駐留する間の仮の住まいの廊下を歩く。
 ここは師の旧知の商人が営む宿屋で、師はここでマルヤムの民衆を治療して回っている。
 師は、各国各地にあるこうした拠点を定期的に巡回しては、現地の同胞療師たちをねぎらい、薬草や治療具の配備状況を見て回る。
 アイラはその手伝いでこの国に来て、そうして奇跡とも言える再会を果たしたのだった。
 廊下の格子窓から外を眺めると、山手に白い建物が見える。マルヤム王室の別荘に当たるその離宮には今、ヒルメス王子が数人の使用人と共にひっそりと暮らしている。
 週に一度、師から託された薬をヒルメス王子に届けることが、このマルヤムにおけるアイラの一番重要な任務だった。
 遠く新緑の中に立つ白亜の離宮を眺め、アイラは眩しいものを見るように目を細める。
「戸惑うに決まっているわ……」
 子供特有の甘さがすっかり抜けた怜悧で精悍な面立ち。すらりと伸びた長い手足に恵まれた体躯。
 考えないようにしても意識してしまう。パルスの王宮で見知っていたあの頃とは何もかも違うのだから。
 たくましく、大人の男の人として成長したヒルメス王子に比べて、自分はどうだろうか。
 今まで年頃の娘がするようなお洒落などには構ったことがなかった。アイラにとってお洒落にかける時間よりも成すべきことがたくさんあったからだ。
「ヒルメス様は、きっと華やかで美しい女性をお好みだわ……私なんかよりも、きっと」
 胸が熱い。今まで感じたことのない、この感情を嫉妬と呼ぶのだろうか。
 恍惚としている頭を切り替えるように頭を振って、アイラは師に託された薬瓶を抱え直した。


* * *
 

 今日はアイラが薬を届けに来る日だと、離宮の一番奥まった部屋の長椅子に寝そべっていたヒルメスはぼんやりと思った。
 小さく息をついたとて誰に聞かれることもない。着崩していた服の開けた胸元を直しながら、ヒルメスは立ち上がる。
 自室にいるときは晒している顔の火傷の痕を無意識になぞると、途端に重く暗い気持ちがわき出してくるようだった。
 アイラに会うことが億劫だと思うようになっていた。
「俺にはもう、何もないのだから」
 生活感のない自室の片隅に置かれた戸棚の上に置かれたそれに、ヒルメスは手を伸ばす。
 鞣した革の眼帯を顔の右半分へと当てて、ヒルメスはひとり自嘲する。
 醜いこの顔を人に見られることは、ヒルメスにとって屈辱以外の何ものでもなかった。

 旅の療師の一団の中に、アイラの姿を見出したとき、そうした負の感情は露と消え、忘れていたはずの気持ちが心を揺さぶった。
 パルスの王宮で見知っていたあの頃、十歳になったばかりのヒルメスにとって、アイラはただ一緒にいてつまらなくない、好ましい相手という存在でしかなかった。
 それが離れてから、少しずつもっと深く、強い何かに変わっていった。
 このマルヤムでアイラに再会してから、その曖昧な感情の名をようやく、ヒルメスは悟った。
 そしてその感情は、すべてを失ったこの身には、持て余してしまうほどの代物だった。
 目を閉じると、美しく成長した最愛の女の姿を鮮明に思い出す。
 身だしなみ程度に整えただけの控え目な化粧も、薬草を扱うためか少し荒れた指先も、アイラの持つ元来の魅力を損なうものではない。
 穢れを知らない美しい翡翠色の瞳に見つめられただけで、体の奥が沸騰したように熱くなる。絹のように軽やかで艶やかな亜麻色の髪に触れてみたいと思ってしまう。
 この歳になれば、それなりに女遊びもしたし、欲に任せて花街で夜を明かしたこともある。
 だが、アイラに対して抱いた感情はそれを軽く凌駕する。その柔肌に触れ、抱きしめて、すべてを奪いたいと思わずにはいられないのだ。
 薬を携えてこの離宮に来るアイラは屈託ない眼差しで、自分を労わるように微笑む。パルスの王宮で共に過ごしたときと何ら変わらない無垢な笑みだ。
 それを壊したくないと思う。けれど、そう思う反面、壊したいとも思う。何も知らないまっさらな体を手に入れたいと思ってしまう。
 反発し合う二つの思いが、ヒルメスの中で渦巻いていた。

 部屋の扉の向こうから離宮の下人が、アイラの到着を告げると、ヒルメスは眼帯の下にすべての動揺を押し隠した。無表情であることが唯一できる防御だった。
 自分の態度がよそよそしいことにアイラは気付いている。だから、いつも控え目に体調はどうかと尋ねて、薬を差し出して、体を大事にといって、すぐに帰っていく。
 気の利いたことの一つも言わない自分に呆れているだろう。それともパルスからお払い箱にされた亡命の王子などと、関わり合いたくないということか。
 他人に対して、自分がどう思われようと気にしたことはない。だが、アイラだけは特別だった。
 おそらく、それはずっと昔から。



【あとがき】
 今回は少し短めです。ヒルメスと夢主の心情話。次回はようやく会えそうです。
 諸所、捏造設定盛りだくさんですが、その辺はさらりと流し読みして頂けると幸いです。
 一応、過去設定等は一貫して書いてるつもりですので、他のお話とかと繋げて読んで頂けると嬉しいです。
 さて、今回のお話ですが、ヒルメスがなんか女々しいです。女々しいというより、夢主を手に入れたいけど、自分の境遇を気にして尻込みしています。
 夢主をほしいと思う反面、復讐を捨てきれない気持ちもあるようです。普段書いているヒルメスより少し若い設定なので、初々しいです。
 一方、夢主もやっぱり初々しいです。まだあんまり、男性との接し方がわかってないです。
 ヒルメスの方はまあそれなりに経験を積んでいますが、夢主は幼い頃からヒルメス一直線なので、まったく無知です。
 まあ、結婚後の話でも、余裕綽々なヒルメスに対してかなり恥ずかしがっていますしね(笑)
 もうしばらく二人の行く先を見守ってやってください。m(_ _)m


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