「リンドウの花を君に」IF編

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《もしもヒルメスが銀仮面卿にならなかったら》
・IF編「幸」シリーズ軸。本編とは無関係
・マルヤムで再会したばかりのヒルメスと夢主の話の第4話
・今回も甘め。ヒルメスが眼帯を外す話


* * *


 想いを通じ合ってから、ひと月が立った。
 あれから特に変わったことはない。強いて言えば、週に一度、薬を届けに離宮に来るアイラを散々甘やかしてから帰すようになったくらいだ。
 アイラは全くと言っていいほど、男に対する免疫がない。少し触れるだけでも肩を震わせて硬くなるのに、それを必死にひた隠そうとするところがまた愛しい。
 必死に背伸びをして、年上の俺に見合う女になろうとしているアイラを見るのは、気分が良かった。
 加えて、唇を奪った後の惚けきったあどけない表情や、抱きしめたときの真っ赤な頬や潤んだ瞳も煽られているようで堪らなく感じるのも、また事実だった。
 つまりは、艶のある大人の女と、花開く手前の蕾のような少女。アイラが見せるそのどちらの表情も、好ましいということだ。


「……さま、ヒルメス様、私の話を聞いておいででしたか?」
 艶のある亜麻色の髪を編み込んで、赤いリボンで一つに束ねているアイラの顔が、気が付けば間近に迫っている。
 怒ったような表情をしていても微塵も煩わしさを感じない愛おしい顔に、眼帯の下で目を細めたヒルメスは、ほんのりと染まった柔らかそうな唇に戯れに口付ける。
 一刹那触れるだけの、甘くとろけるような交わりだ。
「ごまかしても駄目ですよ。ちゃんと聞いていて下さい」
 一瞬しらけた顔をしたアイラは、こほんとわざとらしく咳払いをしてから、つんと口をとがらせて言う。
「お前に見とれていた」
 きっと他の誰かが聞けば口をあんぐり開けて目を剥くような台詞を、ヒルメスは自然と口にした。それも素面で。何の恥じらいもなく、さらりとごくごく自然に。
 これにはアイラも返す言葉がない。むしろ、途端に照れたように頬を赤らめて、口をもごもごとさせている。
 それが愛いのだと心の中で思いながら、長椅子に腰かけたヒルメスはわずかに相好を崩した。
「話とは、薬のことだろう」
「そうです! きちんと毎日お使いになってください。そのためにこうしてお持ちしていますのに」
「面倒だ」
「そう仰られずに。師の薬はよく効きますから。朝晩、傷に塗って頂くように申し上げたはずです」
「ではお前がせよ」
「……え?」
 聞き間違いではないかと、アイラはヒルメスの顔をみる。その目は嘘や冗談を言っているようには見えない。
 これは警戒を解かれたと思ってもよいのだろうか。今までヒルメスは一度だってアイラに顔の傷痕を見せたことがなかったというのに。
「聞こえなかったか」
「……よろしいのですか?」
「お前が嫌なら無理強いはしない」
 女が見て気持ちいいと思うものではないだろうかな、と続けたヒルメスに、アイラは弾かれたように首を横に振る。そう言う意味で言ったのではなかった。
「あの、眼帯を外しても、いいですか……貴方の顔が見たいです」
「別に面白いものなどではないぞ」
「いいえ――素顔が見たいのです、ヒルメス様」
 そろり、とアイラがゆっくりと伸ばした手が、ヒルメスの頬に触れると、ヒルメスは小さく体を震わせる。
 一見、何の表情も浮かんでいないように見える瞳が、アイラにしか分からないほどわずかに揺らいだ。
 後頭部に回した白い指先が、するりと革の眼帯の結び目を解く。互いの吐息が触れ合う近さで、ヒルメスとアイラは向かい合った。
「醜いだろう」
 喉の奥から絞り出したような低い声は、悲しい色を帯びている。
 アイラは無言で首を左右に振ると自らの手で晒したヒルメスの素顔を、そっと両手で包み込んだ。
 大人の男性らしく精悍だと思っていた面立ちは、間近に見ると思いのほか色白く繊細に整っている。海のように深く澄んだ瞳は、美しく一度目を合わすと視線を外すことができない。
 そして、なめらかな肌とは対照的に、焼け爛れた傷痕は無残にも顔の半分を覆っている。 
 アイラは今もヒルメスを苦しめているその傷痕に触れて、胸が引き裂かれる思いがした。
 それでも不思議と醜いとは思わなかった。
 アイラの唇が吸い寄せられるように傷痕に触れると、ヒルメスは息を飲んで細い腰をきつく抱き寄せる。
「アイラ……」
 かすれた声が、耳朶を打った。ヒルメスは自分の顔に触れる熱いものを感じて目を閉じる。
 ぱたりと、アイラの頬から滑り落ちた雫がヒルメスの長衣に染みを作った。
 アイラはただ静かにヒルメスの頭を自分の胸に抱き寄せた。
 誰のどんな慰めの言葉でも、ヒルメスの心の傷は癒せないだろう。
 他人から与えられる言葉はヒルメスの自尊心を傷つけ、傷を深くするだけだ。ヒルメスはそれを望まない。
 だからアイラにできることは、こうしてただ彼を抱きしめてあげることだけだった。


「お前は変わっているな」
 アイラが傷痕に薬を塗り終えた後、眼帯を付け直そうとしたヒルメスの手を止めたアイラは、二人きりのときは素顔のままでいてほしいと言った。
 ヒルメスははじめ、アイラが自分に気を使って無理をしているのではと思ったが、小首を傾げたアイラはむしろ照れくさそうに言ってのけたのだ。
『愛しい方の顔を見ていたいと思うのは、いけませんか?』
 これには流石のヒルメスも絶句して、咳払いをせざるえない。一体何の拷問だと思った。生殺しも甚だしい。アイラの方は自然体だから余計に質が悪い。
 結局のところ、無垢な恋人の笑顔の前に完敗したヒルメスは、赤くなった顔を隠すために無言でアイラを抱きしめたのだった。
「確かに変わっているとはよく言われますね。年頃の娘らしくない、とか。お洒落よりも書物が好きとは物好きだ、とか。……もしかして、ヒルメス様はお洒落な大人の女性の方がお好みですか? やっぱりそうですよね、すみません……私、自分に自信がなくて、」
「そんなことは一言も言っていない」
「え?」
 見当違いなことばかり言う口は塞いでしまえ、とヒルメスは半ば投げやりに思う。実のところ、アイラが必死に背伸びをして大人の女になろうとしていたのはこういう訳だったのか。
「無駄な努力をする暇があるならば、俺のところに来い」
 週に一度では物足りん。何なら、離宮に部屋を用意すると、半分以上本気で言う。
「むだ、って……ひどいです、ヒルメス様。私は貴方に見合う女性になろうと思って必死に、」
「それが見当違いだと言っているのだ。お前はすでに俺に見合う女なのだから、そんな努力はする必要がない」
「………、……っ」
 二呼吸ほどかけて言葉の意味に気付いたアイラは、ばっと勢い良くヒルメスの腕の中から抜け出す。眼帯を外したために表情がわかりやすくなったその顔は、間違いなく悪戯な笑みを浮かべていた。
 この方はなんてずるい言葉を言うのだろう。顔を見られないくらい恥ずかしいのに、涙が出そうなくらい嬉しくてたまらない。
「……ずるい。ヒルメス様、私が頑張って努力しているのを見て楽しんでいらしたのでしょう」
「ふん、まあな。確かに楽しませてもらった。すまし顔のお前からどうやって余裕を奪うか、考えるのは楽しかったしな」
 ヒルメスはアイラを腕の中に閉じ込めたまま、きれいに結われている髪を撫でる。髪を束ねる赤いリボンはヒルメスが普段から好む色だ。
 こういう所が実にあざとい。
「……悪趣味です」
「お前にだけだがな」
 顔の傷痕を見ても顔を背けないお前にだからこその感情だ。
「俺を厭うか?」
「……ずるいです。そんなことは絶対にあり得ないとご存知でしょうに」
「だろうな。そうだな、案じずともお前の望みはじきに叶えてやろう」
 文字通り、大人の女にしてやろうと、ヒルメスはアイラの耳元で低く囁く。
 数拍後、ようやく言葉の意味を理解してまたも顔を赤らめるアイラを見ながら、ヒルメスはもう何年も忘れていた笑い声を久方ぶりにあげた。


 凍っていた心が溶けていく。
 止まっていた時間が動き出す。
『まあ悩め。一番深いとこの気持ちが変わらなければ、最後には丸く収まるもんだ』
 そう言って笑う師の声が聞こえた気がした。



【あとがき】
 (読者様)「もうお前ら、他所でやれ」
 って言われたらどうしようと思いながら書きました(苦笑)
 毎度ながらヒルメスが暴走しております。もうほんと夢主にぞっこんすぎて目も当てられません。
 ちょっとやり過ぎで管理人キモい、とか言われたらどうしようかとオロオロしております(笑)
 眼帯については、夢主が取ってとせがむ話とどちらにしようか迷いましたが、結局ヒルメスが催促する話にしました。
 理由は、この頃の夢主はまだヒルメスのことを「ヒルメス様」として扱っている節があって、遠慮してしまうのではと思ったからです。
 うまくまとめられたかな、と思いますがいかがでしょうか。
 本編のほうでも、ヒルメスが素顔を晒す話を書いていますが、完全に別枠としてお考え下さい。
 あ、ちなみに今回の話の副題は「夢主の可愛さに悶えるヒルメス」でした(笑)
 普段はあまり入れないヒルメスの心情を多めに入れてみました。その結果、ヒルメスが暴走してしまったのですけれど…。
 こんな自粛性のかけらもない文章ばかり書いていて読者様に呆れられないか、不安です(笑)
 楽しんで頂けたなら、幸いですが…。

 余談ですが、アニメアル戦の24話、戦うダリューンとヒルメスがイケメンすぎて悶えました。
 アニメオリジナルの展開ですが、これもありだなと思って、本編にも取り入れたいなとか思っています。
 管理人は荒川版のヒルメスの後ろ髪と唇が好きです。(←どうでもいい)
 加えて、殿下とエステルの一連の流れに泣きました。もう号泣しすぎて辛いです。原作での二人を知っているので余計に泣けました。
 余談でした。


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