「リンドウの花を君に」IF編

□5
1ページ/1ページ

《もしもヒルメスが銀仮面卿にならなかったら》
・IF編「幸」シリーズ軸。本編とは無関係
・マルヤムで再会したばかりのヒルメスと夢主の話の第5話(次話で完結予定)
・今回は師と夢主、師とヒルメス、それぞれの会話です
・若干きわどい話もしてます


* * *


「で? その後、王子とはどうなんだ」
「……」
 歳の甲斐なく野次馬に徹する師の様子に、アイラは呆れて溜息をつく。
「……師のことが時々分からなくなります」
「あ? 何言ってんだ。そんなもん今更だろう。俺の全てを理解しようなんざ、百年早い」
「そうですね」
 マルヤムでの拠点となっている商人の宿屋の一室で、師と弟子が向かい合っている。
 それぞれの手元には乾燥させて粉末状にした何種類もの薬草が並び、不毛な話をしながらも二人の手元は狂うことなく適格に分量を量り、薬草同士を調合していく。
 調合した粉末薬を一回分ずつ小分けにまとめて、袋に宛名と薬名を書き込めば、この日の仕事は終わりである。
 二人ともほぼ同時に作業し終え、療師団員に配達を頼み終えると、アイラは立ち上がり一服するために茶器を二つ手に取った。
「ヒルメス様でしたら、師の薬も効いて傷痕の痛みもだいぶ良くなってきたようです」
「アイラよ、まあそりゃ療師としては患者の経過を聞くのは大事だ。だが、今のは違うことを聞いたんだが」
「……別段、何もありませんが」
 目を泳がせながら何もないと言われても信じる者はいないだろう。師は頬を赤らめて狼狽えている弟子の様子を含み笑うと、やれやれと首を振った。
 師の視線が居た堪れないアイラは自身で注いだ緑茶に手を伸ばす。思いのほか茶器が熱くてびくりと手を引っ込めると、その動揺ぶりに師はまた笑った。
「お前はどうせ、王子の前でもそうやって一々赤くなってんのか」
「べ、別に…そんなことは。もう、ほっといて下さい」
 普段は凛として、そこらの娘よりも聡明で、多少のことには動じないこの弟子が、ここまでの反応するのは、師としては見ていて楽しいものだ。
 そして師が何より驚いたのは、自身が思うよりもずっとヒルメスの心が前向きになりつつあるということだ。
 それだけ互いが互いにとって、有意義な関係であるということだろう。
「お前のことだから、異性に慣れてなくて遠慮ばかりしているんだろう」
「……どうして分かるんですか」
「伊達に歳は食ってないからな。にしても、やっぱりか。あれだろ? 接し方が分からないとか、距離感がつかめないとかで悩んでるんだろう」
「……はい」
 師には隠しても無駄だと早々に諦めたアイラは、今度こそ茶器を手に取って濃い目に注いだ緑茶を一口すすった。
 ヒルメスと再会してすぐは、ただ再会できたことが嬉しくて気が回らなかったのだが、いざ想いを通じ合わせて冷静になってみれば、当たり前だが、ヒルメスは昔の彼ではないことに気付いたのだ。
 それは性格などの意味ではなく、外見や体格といった外的な意味の話である。
 療師の修行と仕事一本でやってきたアイラにとって、身近にいる異性と言えば療師団の先輩や同僚しかいないのだ。増して恋人などいた試しがないから、何もかもが手探りの状態だった。
 ここで幼馴染の二人が挙げられないのは、幼い頃から一緒に居すぎてアイラの中で二人が“大人の男”であるという認識が欠落しているせいである。
 加えて言えば、男社会の中で生きるアイラに女性としての嗜みなどを教えたのは師の妻で、彼女はアイラを娘のように思い、女性として強く育てが、彼女自身も世間にうとかったため、恋の駆け引きやの異性との付き合い方やの言ったことはあまり教えなかったらしい。
 師もそれに関しては、己の妻は市中と離れた場所で育ち自由な恋愛も許されない境遇で育ったのだからそれは止む負えないことだと思っている。
 思ってはいるのだが、だからといってアイラに何も教えておかなかったことは失敗だったなと師はしみじみと思うのだった。
「アイラよ、お前、王子に何か言われたか? 例えばそうだな、“そう言う意味で”積極的なこととかだ」
 師の問いに一昨日のヒルメスとの会話を思い出したアイラは羞恥心に狼狽する。
『お前が案じずとも、お前の望みはじきに叶えてやろう』
『文字通り、大人の女にしてやろう』
 耳元で囁かれた低い声を思い出すだけで体が熱くなった。
 ヒルメスの繊細に整った面立ちを間近にすると心臓が早鐘を打つ。
その何もかもがアイラにとっては未経験のことだった。
「やっぱりその、男の人はそういうことが、その……」
「まあ健全な男なら、いたって正当な欲求だろうな」
 明け透けに指摘されて、アイラは今度こそ沈黙した。
 療師として身につけた知識がある分、アイラは余計に戸惑っていた。これなら何も知らない町娘たちの方がましではと思うほどである。
「まあ待て。そう深刻そうな顔をするな。大体、何の心構えも出来ていないような女に手を出すような軽い男なら止めておけ。あの王子はお前の嫌がることはしないのだろう?」
もししていたらぶっ殺す、と師は心の内で物騒なことを半ば本気で考える。
「はい…。でも私が、その、変に意識してしまうと言いますか、」
「お前は免疫がないからな。十数年ぶりに会って、記憶の少年と違い過ぎて戸惑う気持ちもわかる。それが好いている者であるなら尚更だろう」
 十数年ぶりに会って、というのは王子の側にしても同じことである。
 だから互いに戸惑いはあるだろうが、経験と性差から見て、一方的にアイラが距離をはかりかねているように見えてしまっても仕方ない。
「気持ちに体がついていかんか」
 他の異性など目にも入らないほど、十年以上もの長い間、たった一人の男のために生きてきたこの娘は、羨むくらいに一途で純真で、仮にも父親としては放っておけない。
「その気持ちをそのまま王子に話してみろ」
「――っ、そんなこと」
「王子はお前に敬語もやめろというほどだ。対等な付き合いがしたいと望んでいるんじゃないのか」
「でも、」
「お前はヒルメスという男が王子だからという理由で好きなのか?」
「いいえ! ヒルメス様だから――っ!」
 勢いに任せて否定してから、自分が何を口走ったのかに気付いて、気恥ずかしさにアイラは慌てた。
 少々虐めすぎたかと苦笑して息をついた師はおもむろに手を伸ばして、亜麻色の髪をくしゃりと撫でる。
 素っ気ないように見えて、その手はどこまでも優しく温かい。昔からこうやって撫でられるたび、涙が出そうになった。
「分かってる。お前が今まで誰のために頑張ってきたのか、俺や療師団の奴らが一番近くで見てきたんだ」
「師……」
「アイラ、想う者に対して臆病になるのは嫌われることを恐れるからだ。だが、恐れてばかりでは前には進めん。少しずつでいい、お前だけが努力する必要もない。ゆっくり、互いに歩み寄って行けばいいんだ」
 大人しく頭を撫でられるアイラの俯いた横顔を見ながら、師は眩しいものを見るように目を細めた。


 欠けることを知らない満天の月の光が、静寂に包まれた白亜の離宮を仄かに照らし出す。
 パルスの王子を匿まうその離宮の奥庭に敷かれた厚い絨毯上に男二人が思い思いに座している。
 周囲には酒瓶がいくらかと瑠璃ガラスの杯が二つ。肴は一方が港町ギランから取り寄せた魚の干物と、マルヤムの乾酪である。
 男二人では宴会のように盛り上がるわけではなく、かと言って湿っぽい空気でもなく、二人は静かに杯を傾けていた。
 歳の頃は四十ほどであろうか、年長の男が酒の合間に自身の娘の話をよく話すのをもう一方の二十歳半ばの青年が仏頂面で聞いている。
「――だそうだ。いや、我が娘は恐ろしく男に免疫がなくてな。顔を真っ赤にしながら話すアイラを見ていると、今まで世事のことを教えて来なかった自分が悔やまれてな」
「………」
「それともあれか。何も知らん無垢な娘に一から教えていく方が貴殿の好みだったか?」
「……ふんっ。くだらん世迷言を」
「おお、図星か? ――まあそう言う次第だから、真綿に包めとは言わんが十二分に丁重に扱ってやってくれ」
「言われずとも」
 一切の迷いなく若い男は断言する。普段は眼帯に覆われている素顔を晒したその男は、王宮を追われてもなお貴公子然とした鋭利な美貌をしている。
 酒を入れても冴えわたる眼光を真正面から受けても臆することなく、壮年の男は剛毅に笑い、杯を勢いよくあおった。
「であれば、俺の役目は終わりかな。後は貴殿に任せよう――ヒルメス殿」
 そう言えばこの男に名を呼ばれるのは初めてであったと、ヒルメスは曖昧に思いだす。
 この男が只者でないことは初見で分かった。ただの療師と呼ぶには英明すぎ、殺気すら漸うと笑い飛ばす。
 アイラもこの男には全幅の信頼を寄せている。とはいえ、アイラとこの男の関係は見ていて不快なものではなかった。
「年端もゆかぬ娘が親元を離れ、一人で俺を尋ねてきて療師になりたいと言った時から、アイラは一度も弱音を吐かなかった。ただひとつ、胸に秘めた想いを支えにして今まで走り続けてきた。すべて、貴殿のためだ」
 目線の高さに持ち上げた杯を通して互いに視線を交わし合う。
 男冥利に尽きるだろう、と師は口端を上げながらも全く笑っていない目をして言った。それから、ふと月を写した杯に視線を落として呟く。
「……大事な娘だ。泣かせたら承知せんからな」
 相手の気拍に、ヒルメスは無意識に背筋を伸ばす。そうして挑発に乗るように悠々と口元に笑みを乗せる。
「ああ。一度手に入れたものを手放す趣味はないのでな」
「二言はないな? 破れば我らエルアザール療師団一同、貴殿の敵となるだろう」
 それから男たちは一言も交わすことなく、互いに注ぎ合った杯を空にした。



【あとがき】
 今回は前後の話の繋ぎ部分です。想いが通じ合った二人と師との会話。
 いつの間にか義父と娘婿な立場の師とヒルメスが書いていて楽しかったです(笑)
 酒の肴はもちろん夢主のこと(笑)

 裏設定的には、
 ・ヒルメスは師の前では素を出す。師は他人から本音を聞き出すのが得意。
 ・いつもは飄々としている師だが、本気を出すとめっぽう強い。ありとあらゆる手段で娘の敵を排除しそう。

 という感じで、次回、最終話になりそうです(あくまでも予定)。
 夢主とヒルメスがギランで結婚生活を送るに至った経緯を明らかにしたいです。
 次回もお楽しみに。


[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ