「リンドウの花を君に」IF編

□まだ見ぬ君に幸あれ(後編)
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《もしもヒルメスが銀仮面卿にならなかったら》
・後編はヒルメスと夢主のターン
・ほんのりRっぽいですが雰囲気だけ


* * *


 波間をたゆたうような、そんな心地良さを全身に感じる。
 触れ合う布ごしに伝わるぬくもりに自然と安らぎを覚えるのは、そのぬくもりが誰のものかを知っているからだ。
 無口で不愛想、怖そうな人だと他人は彼のことを言うけれど、私はそうは思わない。
 口数が少なく言葉にするのが不器用な分、彼の目は雄弁にその心情を語り、私に触れる手のひらはいつも暖かい。
 抱きしめられたところから伝わってくるものは、まぎれもない愛しさ。
 だからこそ、私は彼の――……


 規則的な揺れを感じて、閉じていた瞼をゆっくりと持ち上げる。辺りは暗く、日が落ちてかなりの時間が経っていることに気付く。
 目覚めたばかりの思考はひどく緩慢で、今のこの状況を整理するのに時間を費やしてしまう。
 ぼんやりした意識のなかで自分がヒルメスの両腕に抱えられていることを理解して、頬に当たる柔らかな布の感触のくすぐったさに小さく身じろぐと、背中と膝に回された腕の力がわずかに強まった。
「――ヒル、メス…?」
 返事はない。
 無意識に唇にのせた名前にわずかな違和感がある。
 そう言えば最近、きちんと向き合ってその名前を呼んだ記憶がない。あの夜の会話以来、なんとなく気まずくて避けていたから。
 だから抱きしめられるのも久しぶりのように感じた。そう自覚すると同時に、愛しさがつのる。抱きしめられると安心して心があたたかくなる。
 そう思った途端に触れていなかった分だけそのぬくもりが恋しくなって、横抱きに抱かれた腕の中で手を伸ばして、夜目に浮き上がる白い首筋をたどり眼帯をつけたままの顔にそっと触れる。
 頬をなぞって唇を探り当てると伸びをして自分のそれを重ね合わせる。一瞬だけ触れ合ってすぐに離したが、触れたところの熱さはまぎれもない本物だった。
 自分を抱き上げる腕がぴくりと反応して、頭上でわずかに息をつめる気配を感じる。
 アイラは夢見心地のまま自分が今し方してしまったことに、はっとして慌てて手を引いて俯いた。頬が熱い。
 自分は今酔っているんだと、しどろもどろになりながら心内で言い訳を考えた。
 それからようやく現状を把握すると、余計に居た堪れない気持ちになる。
「あの、ヒルメス……おろして」
 横抱きに抱き上げられた状態のまま、誰もいないとはいえ夜道を歩いているという状況に狼狽えたアイラは、無言のままの夫の顔色を伺いながらおずおずと口を開く。
返事はない。
 怒っているのだろうか。師にお酒に誘われて飲んでいたらいつの間にか寝てしまっていた。
 ヒルメスはいつ迎えに来てくれたのだろう。師と別れた記憶もない。
「わたし、」
「――アイラ」
 もしかして何か失態を犯したのかと尋ねようとしたアイラの言葉を遮って、ヒルメスは重い口を開いた。
 放っておけばどんどん自己嫌悪に陥りそうな妻を見かねてのことである。
 もちろんヒルメスにはアイラを怒る理由はない。強いて言えば、ヒルメスが怒っているのは自分自身に対してのことだ。
 言葉足らずと言われることはこれまでも多々あったが、性分だと我を通してきた。そのつけが今回なのだ。
「すまなかった」
「え?」
「お前に誤解させるようなことをした」
 それだけを口早に告げたヒルメスは腕に抱いたアイラをより一層強く抱きしめると、無言で帰路を急いだ。
 これ以上は、堪えられそうになかった。
 頬に触れた繊細な指先と唇に触れた柔らかさ、外套を通して伝わる熱。加えて、酔ったアイラの素直な想いの露土。
 情欲をかき立てられるのは必然だった。
 ――言葉にするのは得意ではない。ゆえに、形あるものをお前に与えよう。
 そう強く望んでいる自分を知って、ヒルメスは戸惑う。
 アイラの他に自分からこうも強く望んだことは、ものはあっただろうか。


 月明りがいつもと変わらず仄かに照っている。
 帰宅して早々に寝室に連れ込んだ妻は、亜麻色の髪を敷布の上に遊ばせて横になっている。
 ほんのりと頬を赤く染めて、わずかに身を固くしている様子は、いつになっても初々しい。
 時折自分の様子を伺うようにこちらを見上げては、目が合うと途端に背けてしまうのが少しだけ惜しいと思った。
 このままずっと、自分だけを見ていればいいなどと言う稚拙な考えが脳裏をかすめる。
 逃がさないとばかりに柔い体を抑え込む自分の余裕のなさに、自嘲的な笑みが浮かんだ。
 あの夜もこうして寝台にアイラを組み敷いていた。
 子供がほしいと口にしたアイラに、様々なことが脳裏をよぎった。
 遠い出来事を過去のことだと言い切って、血筋に縛られず生きて大事なものを守るだけの覚悟があれば、あるいはあの時すぐにアイラの望みを受け入れていたら、こんな想いをさせることもなかっただろう。
 すぐに返事ができなかったのは自分にそれを望む資格があるか、分からなかったからだ。
 その一瞬の戸惑いがすれ違いを生んだのだとしたら、今度はもう、選択を間違ってはいけない。
 資格は他人に求めるものではないのだから。
 隠せない欲を孕む瞳で寝台に縫い付けたアイラを見下ろして、ヒルメスは奥歯を噛み締めた。
 細い体を挟んで立てた膝に力を込めれば寝台が小さくきしみ、静かな寝室に響いた鈍い音にアイラがびくりと体を震わせる。
「……望んでも、いいのか」
 ぽつり、と無意識に呟いた言葉を、アイラはきちんと聞いていたらしい。組み敷いた眼下で目を見開いたアイラの様子を見て、それを悟る。
 気まずさに口篭もるヒルメスの眼帯を外した素顔を見て、アイラは自分が大切なことを見落としていたことを知る。
 そしてそれと同時に拒絶されていたわけではないことに心から安堵を覚えた。
 ヒルメスの腕の中で、夜のとばりを照らすようにアイラは微笑む。
「ヒルメスも、望んでくれるの?」
 その言葉には不安もなければ、おそれもない。ただ静かに祈るような声音だった。
 アイラの真っ直ぐな視線を、ヒルメスもまたしっかりと受け止めた。
 ――覚悟なら、すでにある。
 アイラの師に言った言葉に偽りはない。そしてアイラもすでに覚悟していたのだ。
 ならば何を迷うことがあろうか。
「お前が望むことを俺が望まぬはずがあるか」
 そう言ってから、少しだけ往生際が悪い返事だったことに気付く。
 何と言うべきか一瞬だけ逡巡して、結局何の飾り気もない言葉を選んだ。
「他ならぬ、お前が望むなら――」
 ヒルメスの顔がゆっくりと近づいてくると、アイラはそっと目を閉じた。
「俺も、ほしい……」


 抱きしめられたところから伝わってくるものは、まぎれもない愛しさ。
 だからこそ、私は彼の――……。
 そう望む気持ちは一方通行じゃない。


まだ見ぬ君に幸あれ(後編)



【あとがき】
 久々に筆を取れたので、飛び切り甘いお話を書こうとして途中で挫折…。
 うーん。いまいち書きたいことが書けなかった上に、ヒルメス様が激しくニセモノ…。
 これ以上お待たせするのも申し訳ないので、一度UPさせて頂きます。
 もしかしたら加筆修正するかもしれませんが、どうぞあたたかい目で見守ってください。m(_ _)m
 内容的にはあれです。夢主とヒルメスに「こどもがほしい」って言ってほしかっただけなんです。それがどうしてこうなった……。
 精進します。駄文ですが、お楽しみ頂ければ幸いです。
 ではまた次作で。


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