「リンドウの花を君に」IF編

□この場所で愛を誓う
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《ヒルメスと一緒に行動していたら》
・想いを通じ合わせた後のヒルメスと夢主の話。切甘です
・一応、王都奪還後の話ですが詳しくはご想像にお任せします


* * *


 人通りもまばらな王宮の中庭のすみには、ひっそりと佇む大樹がある。
 他の木々に囲われ、建物からは死角になっているため、めったに人を迎えることのないその場所は、アイラとヒルメスが初めて出会った思い出の場所でもあった。
 大きな幹に背中をあずけて腰を下ろし、空を見上げると、幾重にも重なり合って生い茂る葉の間から、きらきらと木漏れ日が降りてくる。照りつけるような暑さではない程よい陽気が心地よい。
 昔はよく、ヒルメスと二人で並んで飽きることなく空を見上げて話をした。途切れることのない自分の話にも、ヒルメスはちゃんと耳を傾けて、時折相づちと微笑を浮かべながら聞いてくれていた。
 祖父との会話や街で知り合った友人のこと、難しい文字が書けるようになったこと、読み終わった本のこと、そんなとり止めない話をたくさん話した。
 空から視線を下ろしてヒルメスの横顔を見つめると、目が合った瞬間に自然と笑みが浮かぶ。楽しくて、嬉しくて、ヒルメスと一緒にいる時間が何よりも幸福だった。
 昔を思い出して目元を細めたアイラは、思えばこうしてこの場所にやってくるのは何年ぶりだろうかと、考える。
 ヒルメスと会えなくなってから、次第に足が遠ざかっていったから、本当に久しぶりだった。
 急に思い出して来てみれば周囲の喧騒から切り取られたこの箱庭は、自分が来ない間もずっと変わらないままそこにあった。
「ここがそのままでよかった……ヒルメス様と幸せな時間を過ごした場所だから、ずっとこのままであってほしいもの」
 この場所には幸福な想い出しかない。
 目を閉じてゆっくりと深く呼吸をしながら耳をすます。
 風にそよぐ木の葉の音や、小鳥たちのさえずり、噴水から流れ出る水の音。そのどれもが懐かしく、あたたかい。
 昔に戻ったような溢れる幸福を覚えて、アイラはまどろみの中に意識を預けた。


 少し中庭を散歩してくると言って部屋を出て行ったきり、アイラが戻らない。慌てた様子でそう報告にきた女官の話に、執務机に向かっていたヒルメスは仮面の下で人知れず目を眇めた。
「中庭は探しに行ったのか?」
「は、はい。お探し致しました」
 無関心とも不機嫌ともとれるヒルメスの声音にびくびくしながら女官が答える。
「中庭のすみにある大樹のそばは?」
「い、いえ、そこまでは探しておりません」
 あんな場所まで入り込むとは思いもしないだろうと思いながら、一応尋ねたヒルメスは案の定といった答えに溜息をつく。それを自分が叱責されたものと思い込んで怯える女官をわずらわしく思いながら、ヒルメスは羽ペンをインク壺の中に押し込んだ。
 恐縮しながらも探してきますと出て行こうとする女官を引き留めて、外套を手に立ち上がる。
 女官に部屋に戻っているように伝えたヒルメスは足早に部屋を後にした。


 アイラの行きそうな場所も取りそうな行動も大方予想することができる。
 中庭へ散歩に行ってなかなか戻ってこないとなると、考えられる理由はひとつしかない。
「……相変わらず、どこででも寝る癖は抜けてないらしいな」
 大のおとなが外で寝ていることに呆れ半分、予想が当たっていたことに対する優越感半分に呟いたヒルメスは、額に手を当てて息をつく。
 数歩の距離を置いて立ったままアイラを見下ろすが眠り姫が起きる様子はない。不用心にもほどがある。
 中庭のあたりは手の内の者たちが警護しているとはいえ、王宮の中にはルシタニア兵が多くいるのだ。万一出くわすことがあれば一大事である。
 そもそも、ふつう年頃の女は外で気軽に寝ないだろうと、ヒルメスは己の常識が通じない相手を睨んだ。
 手を焼くというよりも、こうも己が手の内に収まらない相手はアイラくらいのものだった。しかし同時に、いつ何時も変わらずありのまま、思うままに真っ直ぐに生きるアイラが羨ましく、好ましいとも思うのだ。
 その時点で自分が一生アイラを見捨てられないことは確定している。
 見捨てようと思うどころか、ますます虜になって、手に入れたいと強く思っているのだから、もうこの想いはごまかしようがなかった。
「アイラ……」
 たわむれに名前を呼ぶと、未だ夢の中をさまよう眠り姫が、わずかに微笑んだ気がした。
 都合の良い気のせいかもしれないが、何となくその笑みに満足して、自分をわざわざここまで足労させたことを許してしまう自分がいる。
 足音を立てないように軍靴をそっとすべらせて、眠り姫の傍らに膝をつく。顔にかかる前髪を払ってやれば、起きているときよりも幾分幼く見えるその面立ちが露わになった。
「名を呼んで起きぬお前が悪い」
 身をかがめたヒルメスがアイラのまぶたに口付ける。アイラの頭の上の幹に手をついて細い体の上に覆いかぶさるようにしながら、額や頬、首筋を唇で順に触れていく。
 そして仕上げと言わんばかりに、小さな寝息を立てる唇に音を立てて吸い付けば、ようやく目を覚ましたアイラが身じろぎをしてゆっくりとまぶたを持ち上げた。
「ヒル、メスさま……?」
 現状を理解していないだろうアイラが、ぼんやりとしながらねむけ眼をこすっている。
「持ち上げるぞ」
「え?――きゃっ、」
 ふっとわずかに相好を崩したヒルメスは、アイラの肩を抱き寄せて柳腰を支え、くるりと互いの体を入れ替えさせた。
 今度はヒルメスが幹に背中を預け、自身の膝の上に向かい合うようにしてアイラを乗せる。
 ぺたりと座り込んだまま、瞬きを繰り返したアイラはほんのりと頬を赤く染めて抗議した。
「ヒルメス様、この体勢はちょっと……」
「なんだ、不服か?」
「ここ、外です。誰かに見られたらどうするんですか」
「さっきまでその外で呑気に寝ていたお前がそれを言うのか」
 ヒルメスは、落ち着かない様子で周囲をきょろきょろと見渡しているアイラをからかって言う。
「心配せずとも誰も来ん」
「でも、」
「いいから、黙れ」
 うるさい口は塞いでしまえと、首筋に手を添えて引き寄せて口付ける。咄嗟のことに驚いてわずかに開いた隙間から舌を差し込んで容赦なく口内を犯す。
 先ほどよりも深い口づけに抵抗するアイラを腕の中に閉じ込めて、ヒルメスは満足するまでそこを放さなかった。
 息が苦しくなってきたアイラがヒルメスの肩口をきゅっと握りしめると、名残惜しそうにしながらもヒルメスは口づけを解く。
 肩で荒い息を吐くアイラと違って、ヒルメスはまだまだ余裕と言った表情で、上気した頬と耳元をくすぐった。
「いきなり、ひどいです…」
「お前が言うことを聞かないからだ。それに執務中にわざわざお前を探しに来てやった俺にお礼はないのか」
「それとこれとは別問題です……もう、ヒルメス様。私をからかって楽しいですか?」
 眉根を寄せてむっとした表情でヒルメスを睨むアイラの目が口づけの余韻で未だ潤んでいるのを見とめて、なんとも言い表せない疼きがヒルメスの最奥に湧き上がる。
 からかって楽しいかと聞かれれば、答えは是だ。楽しいに決まっている。
 こんな煽情的な表情で怒っていると言われても、ただ優越感が高まるばかりで罪悪感は起こらない。
 ただしそれを口にすれば、アイラの機嫌を損ねてしまうのは分かり切っているので、苦笑を浮かべるだけにとどめておいた。
 答える代わりにそっと抱き寄せて、宥めるように背中を撫でる。
 極めつけに亜麻色の髪を梳きとかされると、アイラは早々と降参して身をまかせた。
「……ここに来るのは、本当にひさしぶりなんです」
 ヒルメスの襟筋に顔を埋めたアイラが、ぽつりぽつり、と話し始める。
「貴方がいなくなってから、ここに来ることがなくなってしまって」
「ああ」
 ヒルメスはいつもそうしていたように、静かに相づちを打ってその話に耳を傾けた。
「貴方のいないここに来れば、泣いてしまいそうだったから」
「……」
「ここに来ればいつも貴方がいたから。ここには幸せな思い出だけを置いておきたくて。だから、ずっとこの場所を避けていたんです」
 髪を梳く手がとまる。目尻からするりと涙がこぼれ落ちた。
 大きく息を吸い込んで、アイラはゆっくりと身を起こす。
 向かい合うヒルメスが何とも言えない切なそうな顔をしているのをみて、アイラはその頬を両手で包み込んだ。
「やっと来られました。やっと、戻ってくることができたんです」
「アイラ」
 次々と涙がこぼれ落ちていってもアイラは悲しくない。それは幸せだから流す涙なのだと分かっているからだ。
 指先から伝わるぬくもりが本物で、目に映る彼の顔がとても優しいことを知っているから、なにも恐ろしくない。
 喪失の恐怖は今も忘れることはできないけれど、それでもこれからは孤独に怯えることはない。
「これからは何度でも来られますね。二人で、何度でも」
 そう言って涙に濡れた顔で微笑むアイラのことを、ヒルメスは心から愛しいと思う。その翡翠色の瞳に映るのが自分であることにこの上ない幸福を覚える。
 アイラの手がやさしく柔らかく傷痕の残る頬を撫でていく。それだけですべてが救われる気がした。
 どちらともなく、唇が重なり合う。そっと触れるぬくもりに心が満たされていく。
「ヒルメス様、また二人でここに来ましょう。話したいことがたくさんあるんです」
「――ああ、そうだな」
 長い間、誰も踏み入ることのなったこの場所の、止まっていた時間が今、ゆるやかに動き出す。


この場所で愛を誓う



【あとがき】
 自分で書いてて泣きそうになりました(笑)
 中庭での出会い話は拍手小話で書きました。二人にとってはじまりの場所だから、特別なエピソードを書きたかったんです。
 はじまりの場所でもう一度愛を誓い合う二人を書いてみました。
 最初はヒルメスが夢主を探しに来て起こすだけのはずだったのに、書いている途中に少しだけエピソードを追加しました。
 そしたらなんか泣けてきた(笑)。歳をとると涙もろくてやばいです(笑)
 このシリーズはシリアス路線だったはずなのに、いつの間にやら二人の関係が甘くなってますね……なんで?
 本編で辛い話ばかり書いている反動でIF編は砂糖を吐きそうなくらい甘い話を書いてしまいます。
 皆様に楽しんで頂ければ幸いです。 



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