「リンドウの花を君に」IF編

□この命に祝福を、幸せを
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《ヒルメスが銀仮面卿にならなかったら》
・ヒルメスと夢主の子供が登場。
・初めての経験にあたふたするヒルメスパパとそれを見守る夢主の話


* * *


 生まれて数か月の娘を前に、ヒルメスは足をすくませていた。
 百の敵相手にも臆することのない誇り高きパルス有数の剣士が、である。

 ――先ほどまではぐっすり眠っていたというのに、よりにもよって母親が少し席を離れた隙に、火のついたように泣き出すとは。
 ヒルメスは内心の動揺を押し隠して、ゆりかごに手を伸ばしては、ひときわ大きな泣き声に射竦められるようにして留まるということを繰り返していた。
 意を決して、産着の下に手を入れて娘を抱き上げる。妻に言われた通り、据わっていない首を支えてやり、自分の胸に抱え込むようにして抱くとわずかに泣き声が弱まった気がした。
 それでもまだ、母親に似た翡翠色の大きな瞳を潤ませて、頬を真っ赤にさせてぐずっている。
 これ以上のすべを持たないヒルメスは、半ば祈るような気持ちで娘を見守った。
 ヒルメスにとって赤子は未知の存在で、どう扱っていいのかすら分からない。
 片手で事足りるほどしかない軽さと、簡単に壊れてしまいそうな軟弱さが、ヒルメスを恐々とさせるのだ。
 以前、それを妻に話せば、大丈夫だからと優しく微笑まれた。そうは言われても、ヒルメスはどうにも納得できそうにない。
「……どうした?」
 言葉をしゃべることのできない赤子に尋ねるのもおかしな話だが、ヒルメスは途方に暮れて呟いた。
 するとその声に引き寄せられるようにして、腕の中の娘がヒルメスを見上げて、必死にその小さな手を伸ばそうとする。
 はじめ、それが何か分からずに懸案していたヒルメスだったが、ふと片手で抱き直して、空いた右手で苦しそうに見える産着を少しだけ摺り下げてやる。
 そして、伸ばされた小さな手に自分の指先を触れさせると、赤子は先ほどまでとは打って変わって泣き止んで笑顔を見せた。
 ぱっちりとした瞳がヒルメスを見上げる。父親の指をぎゅっと握って、パタパタと手を振る仕草に、強張っていた頬が緩むのを感じた。
「あら? 起きてしまったの?」
 ようやく部屋に戻ってきたアイラが、夫の腕に抱かれて嬉々とする娘を見て言う。
 遅いと苦情を言う心の声がありありと顔に出ている夫の様子に、アイラは微笑ましげに口元をほころばせた。
 そばに寄ってきたアイラが、赤子の柔らかい頬を指の腹でくすぐる。
「お父様に抱き上げられて、姫はすっかりご機嫌ね」
「………」
 からかうような口調を恨めしく思う気持ちと同時に、「父」と呼ばれるこそばゆさにごまかすように咳払いして、ヒルメスは妻に赤子を渡した。
 肩の荷が取れてヒルメスは小さく息を吐く。かなり緊張していたらしい。
 しかしそんな気持ちも、小さな娘を愛しそうに抱く妻を見ていると自然とほぐれていくから不思議だった。
「ふふ。この子、貴方のことが大好きなのね」
「? どうしてわかる」
「だって、泣いていたのに貴方が抱き上げたら泣き止んだのでしょう?」
 そう言って見上げてくる妻を、ヒルメスはなんとも言えない表情で見返した。
「……泣いているのが聞こえてきたのなら、早く戻ってこい」
「あら。だって戻ろうとしたら泣き声が止んだから」
「……」
 絶対に確信犯だろうと心の中で言い返したが、実際は息をつくだけにした。何を言っても、いいように返されることが目に見えていたからだ。
 こと子育てに関しては、自分はまったく妻に叶わない。まるで赤子の言っていることがわかるふうな妻は、泣き止ませることもあっと言う間で、何でも卒なくこなしてしまう。
 普段から妻に頼りっぱなしの自覚はあったから、この場でヒルメスは大きく出られないのだ。

 王宮に居た頃を考えれば、赤子の世話をする経験など一生縁のないものだっただろう。
 通例としてパルス王家に生まれた子は実親ではなく乳母によって育てられる。ヒルメス自身もそうであったし、それでももちろん父のことは慕っていたが、抱き上げられた記憶は正直数えるほどしかない。
 扱い方を知らない自分が、不用意に触れていい存在なのか。壊してしまいそうで恐ろしいと思ってしまうのは、自分だけなのか。そんないろんな思いが胸の中でわだかまりとなっていた。
 娘をあやしながら、アイラは難しい顔をして物思いにふける夫を見つめる。
「大丈夫よ、ヒルメス。この子は私たちが思う以上に強い子なのだから」
 その声にはっとして顔を見返すと、アイラは無言で娘へと視線を投じる。
 促されたヒルメスは赤子に手を伸ばす。その手はまだわずかな戸惑いを含んでいたが、赤子はそんなことはお構いなしと言わんばかりに差し出された手を両手で握りしめた。
 その力の強さに、ヒルメスは息を飲んで瞠目した。
「まだしゃべることはできなくても、いいえ、その分、赤子というのは周りの人の感情に敏感なの。だからもし、私が疲れた顔をしていたらこの子も悲しくなってしまうし、貴方が不安そうな顔をすればこの子も心配になってしまうのよ」
「そう、なのか」
 先ほどの自分は不安そうにしていたのだろうか。自分の指を握る手をそっと撫でる。
 すると小さな娘は目に見えて笑顔を見せた。
「ほら、ね?」
「ああ……」
「だからいっぱい愛してあげてね、ヒルメス。貴方と私の可愛い娘なんだから」
 そう言って赤子と同じ翡翠色の目を柔らかく細める妻につられて笑む。
 胸のつっかかりが取れて、嘘のように気持ちが軽くなると、どうしようもないほど、娘に対する愛しさが募ってくる。
「私たちのところに生まれてきてくれてありがとう」
 赤子に囁きかけたアイラが本当に幸せそうに言うものだから、ヒルメスは思わず二人を抱きしめた。壊してしまわないように柔らかく、それでいて固く抱き寄せる。
 自身の目頭が熱くなるのに、ヒルメスは気付かないふりをした。

 この命に、祝福を。
 心からの、慈しみを。
 ――愛する証として贈りたい。


この命に祝福を、幸せを



【あとがき】
 初の子供ネタを書きました。あたふたする新米パパ。なんだかヒルメスが可愛いです(笑)
 パルス王家の子育て事情は分かりませんが、たぶん自分で子育てすることはないんだろうなって。そんな想像から生まれたお話。
 ぼちぼち子供ネタ解禁で行きたいと思いますので、夢主に似た娘にデレデレで子煩悩なヒルメスが書きたいな〜って考えています。お楽しみに(笑)

 追伸。最近某ドラマで、命が生まれる尊さを改めて考えさせられます。メッセージ性の高いドラマに毎週、感動させられっぱなしです。
 たくさんの困難を乗り越えて生まれてくる命に、心からの「おめでとう」と「ありがとう」を贈りたい。そう強く意識させられるドラマです。
 このお話もそれに影響されてる気がします。



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