「リンドウの花を君に」IF編
□朝の光にかたわれを幸す
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《ヒルメスが銀仮面卿にならなかったら》
・「夜の帳にかたわれを幸す」の後日談
・抱き潰した夢主に甲斐甲斐しく世話を焼くヒルメスの話
* * *
かたわれの存在を確かめるように、乞うて、乞われて、あふれる想いを口にする。
そうして、夜の帳が辺りを支配する間じゅう、飽くことなく求め合う。
互いを深く感じ合えるその至福の時を、何より愛おしく思いながら――…。
窓枠と寝台の天蓋にかけられた二枚の薄布が、爽やかな朝の風に揺れている。
薄く透き通る布地から朝の光が差し込み、寄り添いながら眠る二人を優しく包み込む。
忍び寄る朝の気配に、先に目を覚ましたのはヒルメスのほうだった。
深い眠りから浮上して首を巡らせる。そうしてまず、自分の腕に収まって眠る愛しい人へと視線を向けると、ずり落ちた掛布の下から白い柔肌が覗いている。
わずかに上下する無防備なその肢体を柔らかい布でくるんでやり、自身の胸に抱き直すと、愛しい人は小さく身じろぎして、やがて居心地よい場所を見つけたのか、再び深い眠りへと落ちていく。
朝に強い妻には珍しく、未だ目覚める気配はないようだ。
……無理もない。昨夜は――いや、明け方まで自分が放さなかったのだから。
疲れの見える華奢な身体に無理を強いたことへの罪悪感もあるが、それでも妻の全てを堪能したという満足感のほうが上回っているのだから、我ながら薄情な夫だと思う。
辛そうにしながらも自分の求めに従順に応えようとするアイラを見ていると、どうにも理性を働かせることができなかった。
――本当に、愛おしい。
いつもは理知的で凛としたアイラが、自分の手の中でのみ、煽情的な乱れた姿を晒す。恥じらいながらも時には自分から男を求める。
それのなんと健気で愛らしいことか。
情事で絡まり乱れた亜麻色の髪をゆっくりと梳いて撫でる。しばらくそうしていたヒルメスが、もうひと眠りしようと妻の髪に顔を埋めて目を閉じるのと同時に、朝の静寂を破り、向かいの子供部屋から幼子の泣き声が上がった。
昨夜アイラが寝かしつけてからはぐっすりと夢の世界へ入り込んでいたが、朝になって目覚め、周りに誰もいないことに驚いて泣き出したのだろう。
娘をあやしに行こうと上体を起こしたヒルメスの隣で、アイラが緩慢に身じろぐ。
深い眠りについていても、娘の泣き声にはちゃんと反応するらしい。
「ん、……」
髪をそっと撫でてやると、ゆっくりと瞼が持ち上がる。昨日散々泣きぬれた目は赤くなり、熱を持っているようだ。
深く息を吐きだしたアイラは、ヒルメスの姿を見つけるとわずかに微笑んで、それから心配げな視線を扉の方へと向けた。
「…ヒルメス――あの子の泣き声が……」
「ああ、俺が様子を見に行く。お前は休んでいろ」
寝台を抜け出し、簡単に身なりを整えたヒルメスがアイラの頬に手を当てて、わずかに眉を顰める。
先ほどまで勝っていた満足感を塗り替えて、罪悪感が沸き起こった。
「顔色が悪い……すまん、」
あまりにも消沈として言うその様子に、驚いたアイラは目を瞬きさせて、ゆっくりと首を左右に振る。
「大丈夫…もう少し休んだから、起きるから」
「……しばし待っていろ。すぐに戻ってくる」
「ん…、あの子をお願いね」
「ああ」
腰を痛めているだろう妻が起きられるはずもないことは分かっていたが、自分に気を使うアイラを尊重してヒルメスもまた口を閉じた。
代わりに今日一日、アイラを手厚く介抱しようと心に決め、ヒルメスは寝室の扉を開けた。
母親の助けを借りることなく無事に娘をなだめ、雇い女性の手を借りつつ着替えや食事やと、あれこれ世話を焼いていく。
機嫌よさげに笑う娘を満足するまで抱き上げて構ってやり、眠そうに目を擦り始めた頃に再び小さな布団の中に戻してやると、寝つきの良い娘はすぐに夢の世界へと誘われていく。
いい加減手慣れてきた仕事を一通りやり終え、後のことを雇いの者に任せると、今度は用意された二人分の朝食を持って寝室へと戻る。
寝ているだろうと思い静かに開けた扉の向こうで、予想に反してアイラは寝台に上体を起こして何やら封書に目を通していた。
「あ、大丈夫そうだった?」
「ああ。今はまた眠っている……起きていても平気か?」
「うーん、たぶん平気よ。誰かさんのせいで腰は立たないけれど」
封書を丁寧にたたんで枕元へと置いたアイラが、唇を立てて軽口を言う。
「お前が催促するからだろう。俺は止めてやろうとした」
「だって、貴方があんまり狼みたいな目をして睨むから」
「……そうか?」
「あら、無自覚なの? もう、私の旦那様は」
「………」
夫の面子にかけて妻の手前ごまかしたが、事実飢えていた自覚はあったから、これ以上余計なことを口走る前に口を閉じる。
朝食をいったん置き、長椅子にかかっていたガウンを拾ってアイラの肩に羽織らせる。さすがに羞恥にかられたのか、自分がいない間に夜着だけはまとったようだ。
「悪かった。無理をさせたことは謝る」
背中から抱き寄せて耳元で囁くと、腕の中でくすりと微笑む気配がした。
アイラはくるりと首を回して夫の頬に口づける。
「大好きよ、ヒルメス」
ヒルメスは甘いその声にくすぐったさを覚えて、口端を少しだけ持ち上げると、妻の体を軽々と寝台から抱き上げた。
「俺もだ」
髪に口づけながらクッションを敷いた長椅子にゆっくりと下ろすと、朝食を載せた盆を膝に置いて自身も座る。
食器を手に取ったヒルメスがシチューをすくって差し出してくると、アイラは思わず固まって、シチューとヒルメスの顔を見比べた。
「あの、ヒルメス?」
「なんだ?」
「私、自分で――」
「昨日はたいそう無理をさせたようだからな。これくらいはして当然だろう」
「いえ、あの――」
「これでは不満か? 膝の上に抱き上げて、口移しするほうが良かったか。そうか、そうしてほしいのか」
「……いただきます」
「ああ」
この際早々と羞恥を捨てて従うのが正解だと、アイラは自分に言い聞かせる。
ヒルメスから見えないように口元をひきつらせたのは、この人ならやりかねないと本気で思ったからだ。現にヒルメスはわずかに落胆した様子を見せた。
行儀の悪さに目をつぶって、差し出されたシチューを飲み込む。
「旨いか」
無言で咀嚼してからアイラは素直に頷いた。ヒルメスは自分の食事もそこそこにあれやこれやと妻に手を焼く。
途中で居た堪れなくなり、やんわりと止めようとすると、ヒルメスは意地の悪い笑みで口移しを実行しようとしたため、アイラは止む無く尽されるままに受け入れた。
食事が終わると再び抱き上げられて寝台に戻される。
今度は櫛を手に取ったヒルメスに、アイラは降参とばかりに肩を竦めた。
時間をかけて絡まりをほどきながら長い髪を梳き、ご丁寧にジャスミンの香油まで塗りこむ夫の完璧さに苦笑を浮かべる。
「私、自分ではここまで時間をかけないわ」
アイラは基本的に手の込んだ化粧やお洒落とは無縁である。職業柄の理由もあるし、何より本人の性格による。
だからと言って大雑把ではないし、きちんと身なりも整えて常に清楚な恰好を心がけているが、自分を着飾ることに必死になる町娘たちとは根本的に相容れない存在だった。
「お前はそのままで美しい」
普段は素面でそんなことを言わない癖に今日はやけに饒舌である。
それが不器用な夫なりの謝罪と機嫌取りの方法だと気付いて、別に怒っていないのにとアイラは内心苦笑した。
「ありがとう。でも貴方が喜んでくれるなら、たまにはお洒落もしてみようかしら」
「俺だけに見せると約束するならば、大いに歓迎するが」
「せっかく着飾るのに外に出ては駄目なの?」
「他の男には見せたくはないな」
変な虫がついては困ると、ヒルメスは某黒い男と胡散臭い笑みの男を思い浮かべながら苦々しく言った。
夫の隣を歩くならそんな心配はいらないのにと、アイラは思う。それに、騎士然と正装したヒルメスもたまには見たい。
「大丈夫よ。私は貴方しか目に入らないから」
真面目くさって斜に答えて、売り言葉に買い言葉を返す可笑しさに微笑み合う。
こうして何でもないことで笑い合い、本当に大切にされているのだと感じるたび、贅の限りを尽せる王妃にならなくても、自分はきっとパルスで一番幸せだと心からそう思った。
朝の光にかたわれを幸す
【あとがき】
(いつものことながら)甘〜い!!
ほんとにもう、何書いてるんでしょうね。それもクリスマス・イブにUPするって(笑)
あ、ちなみにヒルメスが甲斐甲斐しいのは、身内(妻と娘)限定です。他人は基本的に知らん!で済ませます(笑)
最近のヒルメスは嫉妬すら自粛しなくなってきたよ…。全て私の願望です。ごめんなさい。
毎度毎度、呆れられたらどうしようかと怯えながら更新してます。コメント頂けたら飛び上がって喜びます。
いつもいつも読者の皆様にはお世話になって、助けられてばかりです。本当にありがとうございます。
なんだかいつの間にか年末の挨拶みたいになっていますが(笑)、来年もどうぞよろしくお願いします!