「リンドウの花を君に」IF編

□怖れすら包み込む幸い
1ページ/1ページ

《ヒルメスが銀仮面卿にならなかったら》
・互いに苦手なものの話をするヒルメスと夢主の話


* * *


 ゆらりゆらりと揺らめく炎に薄ら寒さを覚える。
 それは何ということのない蝋燭の炎。日が落ちて、部屋に灯された淡い明かり。
 そうと分かっているはずなのに、視界の端に赤いものがちらつくたび、負の感情が首を悶える。
 動悸がしてぐらりと視界が揺れる。
 まるで忌々しいあの記憶が忘れ去られることを拒むかのように、脳裏に蘇ってくるのだ。
 全てを焼き尽して灰に帰した、忘れることのない炎。
 この身を飲み込んで荒れ狂う、赤く燃えゆく炎。
 ――俺を捕らえる、憎悪の炎。



「ヒルメス、」
 遠慮がちに小さくかけられたその声に、沈んでいた意識を浮上させ、閉じていた目を開く。
 長椅子に体を預けてひじ掛けに頭をのせた自分を覗き込んで、アイラが心配げな面持ちをしている。
「……呼んだか」
 努めて冷静に答えるも、アイラの表情は冴えないままだ。その亜麻色の髪の向こうで、ちろりと蝋燭の炎が揺らめいた。
 何ということはない、ただの明かりだ。
 そう自分に言い聞かせて、嫌な気分を払拭しようと米神を指先で抑えれば、その手に暖かい手が重なり合った。
「ヒルメス、大丈夫? 顔色が悪いわ」
 うたた寝をしていたらしい夫の異変に気づき、声をかけたアイラは眉間に皺を寄せて問いかける。
 額に浮かぶ冷や汗を優しく拭いながら、顔にかかった黒髪をそっと払うと、そう寒い時期でもないのに、触れた頬や指先がぞっとするほど冷え切ってしまっているのが分かった。
「大したことはない。ただの夢だ」
 どこか自分に言い聞かせるようにヒルメスが呟く。それきり暗い瞳は再び閉じられた。
 脱力したまま細く息を吐く夫のそばに膝をついて髪を梳きながら、冷えた指先を温めたくてその手を握る。普段ならば、すぐに冷えがちな自分がされることだ。
 ひんやりと冷たかった手は、徐々にいつものぬくもりを取り戻していった。
「……アイラ、苦手なものはあるか」
 目を閉じたままのヒルメスに唐突に問われて驚きながらもアイラは口を開く。
「呆れないでね。私は小さい頃から雷が怖いの。それだけはどうしても駄目で、よくおじい様を困らせていたわ」
 昔を思い出して、懐かしさに目を細める。
 王都に住んでいたときは祖父か幼馴染に泣きついていたが、ギランに行ってからは誰にも頼れずに一人で耐えていた。
 今は、どうだろう。きっと目の前のこの人に泣きついてしまうだろうと思い苦笑した。
「雷が鳴ったら貴方に泣き付くから、その時は慰めてくれる?」
 アイラが笑む気配を感じて、ヒルメスもまた釣られて頬を緩める。
 アイラは分かっていてわざと軽い口調で沈んだこの気持ちを励まそうとしているのだろうか。
 素直に自分に甘える優しい声が、心の凍っていた部分をじんわりと溶かしていく。
「無論。その時は雷が苦手なお前ごと慈しみ抱きしめよう」
「ふふ、ありがとう。――じゃあヒルメスの苦手なものは? 私が言ったのだからヒルメスも答えてくれないと」
 ああ、やはりアイラには全てお見通しらしい。自分が隠そうとすることさえも分かっていて、その心さえも大きく包み込まれる。
 自分に向けられるその思いやりが照れくさく、それでいて心地よく、切ないくらいに甘やかな気持ちにさせられる。
「……炎、だ」
 気が付けば、するりと口に出していた。
 あんなにも弱みを他人に知られることを嫌っていたというのに。愛しい人の前ではこんなにも脆くなってしまうのか。
「全てを焼き尽くす、赤い、炎。……この俺に消えぬ傷痕を残した」
 ゆっくりと瞼を持ち上げると、先ほどと同じように真っ直ぐに自分を見つめる翡翠色の瞳に出会う。
 その瞳にも蝋燭の炎が写り込んでいて、けれどもそれは不思議と恐ろしいとは思わなかった。
 握られていた手を握り返し、その項にそっと口づける。
 ヒルメスは寝椅子から体を起こした。苦手だと口にできただけで少し体が軽くなった気がした。
「貴方が恐ろしいと思うときは、私が貴方のそばにいるわ」
 隣に座り直したアイラの色付いた唇が優しい弧を描き、天使が舞い降りるように淡く頬に口付けられる。そのくすぐったさにヒルメスは目を細めた。
「貴方が辛くなったら、私が抱きしめてあげる。だからもう大丈夫」
 翡翠色の瞳に写り込む炎は恐ろしくはない。むしろ、ヒルメスの心をあたためて解くぬくもりに満ちている。
 ありがとう、と素直に口に出せない自分がもどかしい。けれどその代わりに小さな肩を抱き寄せる。
 普段は胸の中に納まるアイラだが、今日は細い腕をいっぱいに伸ばして、ヒルメスの広い背中を包み込んだ。
 互いに互いを抱き合って、隙間がないくらいに身を寄せ合う。
「貴方がいてくれるなら、雷も怖くないわね」
「――ああ。俺もお前がいるなら、他のものになど目が行かぬ」
「それって私だけしか目に入らないってこと? なんだかすごい口説き文句ね」
 でも嬉しい、とアイラは頬を染めて言った。
 好きな人の心にずっと居られることほど嬉しいことはない。
 そうして怖いもののことなど考えなくて済むのなら、どんなに幸せなことだろうか。
 怖いものは克服できないまま、ずっと怖いままかもしれない。
 でもその怖さを覆い隠してしまうくらい、心が満たされた気持ちになれたとしたら。
「炎に捕らわれそうになったら、これからはお前のことを考えよう」
「それなら私は貴方のことを想うわ」
 ゆっくりと重なり合う二人の影を燭台に灯された炎が、淡く、あたたかく照らし出していた。


怖れすら包み込む幸い



【あとがき】
 試験&レポート明けにほっこりしたお話が書きたくなりました。満足です。
 苦手なものってどうしても苦手ですよね。克服できたら一番いいんでしょうけど、そうもいかないのが現実です…。
 苦手なものは仕方ないので、好きなもので紛らわす。筆者の耐え忍び方です(笑)
 アニメアル戦のヒルメスのあの炎の怯え方、見てるだけで辛くなります。
 ヒルメスファンとしては放っておけないです。救済してあげたくなるんです!
 思い通りに書けて良かったです。
 皆様のご感想、お待ちしております。
 ではまた、次作で。 




[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ