「リンドウの花を君に」IF編

□6
1ページ/1ページ

《もしもヒルメスが銀仮面卿にならなかったら》
・IF編「幸」シリーズ軸。本編とは無関係
・マルヤムで再会したばかりのヒルメスと夢主の話の第6話(完結)
・ヒルメス視点。敬語を止めてほしいヒルメスの話
・ちょっとだけ拍手小話「名を呼ばれた日」とリンクしています


* * *


 四歳という歳の差は、普段はあまり気にならない。
 それくらい、アイラが大人びているからだ。
 言うまでもなく、一国の王子として生まれ、皇太子として育てられたヒルメスは、幼少の頃から年相応の、あるいはそれ以上の礼儀と知識と行動を求められてきた。
 それを苦だと思ったことはないし、むしろ当然のことだと思っていたから、別段それで苦労したことはない。
 そして、長椅子に腰を下ろした自分の隣に姿勢を正して座り、分厚い書物に目を走らせているアイラにしてもおおよそ、理性が先行する方だと思う。
 情に厚く涙もろい所こそあるが、それでも感情に任せて突っ走ったりしない質だ。同世代の娘たちよりもよっぽど落ち着いていて大人びてみえる。
 しかし、アイラの場合、昔からそういう性格だったかというとそうではない。
 記憶に残るアイラは活発で、人懐っこい笑顔を浮かべ、時に悪戯をして大人たちを困らせていた。
 そんな少女の面影を思い出すとき、ヒルメスはどうしようもないほど胸が詰まる思いがした。
 何とも言い難い、気持ちに苛まれるのだ。


 活字を追う真摯な眼差しを飽くことなく眺めていたヒルメスは、そっと手を持ち上げ、横顔に落ちかかってきていた亜麻色の髪を梳き上げてやる。集中するアイラはそれに気付かない。
 ヒルメスに気を許しているとも言えるが、少しばかり味気ない。だが、それでも不満はない。
 手を伸ばせば、届く位置に彼女がいるのだ。互いに互いの存在を感じられる距離にいるだけで、こんなにも心が満たされるということを初めて知った。
 このマルヤムで再会し、十数年ごしの想いを実らせた。それから、この白亜の離宮で逢瀬を重ねては、ぽつりぽつりと離れていた間のことを話すようになった。
 離れていた時間は長い。ヒルメスの知らない間にアイラはエルアザールを通して、様々なことを学び、勝ち得て、ヒルメスの知らない彼女を構築していった。
 別にそれを恨むというわけではない。けれどエルアザールのことを語るときのアイラを、どこか遠くに感じるのもまた事実だった。
 ふう、と書物を畳んだアイラが息をつく。ヒルメスが耳にかけたばかりの髪が、はらりと落ち、再び頬にかかる。その髪を白く細い指が緩慢にかき上げる。
 妙に色っぽいその仕草を、気付かぬうちに穴が開くほど凝視していたらしい。視線に気づいたアイラがこちらを振り返った。
「どうかしましたか? ヒルメス様」
 これだ、とヒルメスは、眉間にしわを寄せた。
 離れていた長い間に、アイラは目上の者に対してそれ相応の礼儀を使うことを覚えたらしい。王宮で会っていた(というよりも、アイラが一方的に押しかけてきた)頃には彼女はそんなものとは無縁だった。
 自分に対し、一歩下がり、敬語や敬称を使う彼女はどうも愉しくない。
「アイラよ、お前はいつになったらその喋り方を直すのだ」
「え……えっと、」
「気に入らん」
 驚いた様子のアイラをみて、眉間のしわを一層深める。
 無防備に晒された軽い体を引き寄せれば、あっけなく自分の腕のなかに納まる。触れるだけの口づけをしてやれば、今更にも関わらず彼女は顔を赤く染めて恐々と大人しく縮こまる。
 ヒルメスとしてはぬるい口づけだけでは物足りないと思うのに、彼女の許容はすでに手一杯のようだった。
 ――昔のように、何のてらいもなく心のままに、振舞えばよいものを。
 どうにも過分に身に着けた理性が邪魔をするらしい。
「どうすればお前は昔のように俺を呼び、求めるのだ……」
 ――一心に己の名を呼び、姿を見せないと必死になって探し、しまいには泣き出していた、あの頃のお前に。いつになれば会えるのだ。
「……ヒルメス様、」
 困ったようにアイラが微笑む。やんわりとした拒絶なのか、それともまだ心許せぬ何かがあるのか。
 昔よりも感情の幅が広がり、もの憂う表情も、真摯な表情も、艶めく表情も、好ましく思う。
 だが、足りないと感じるのだ。
「昔のように俺の名を呼べ。何ものにも左右されることなく、俺を求めていたあの頃のお前に戻れ」
 顎を捕らえ間近に覗き込んだ顔が目を見張り、何事かを言う前に、ヒルメスはもう一度その口を封じる。
 先ほどよりも少しだけ深く。それでも無垢な彼女を怯えさせないように理性をもって。
「ありのままのお前をみたいと望むのは、俺の傲慢か――俺はもう、王子でもなければ殿下と呼ばれる立場でもない。ただの、……ただ、ひとりの女を想う男に過ぎぬ」
 頬に湿った感触がしたと思った瞬間には、それはすでに拭われていた。アイラの手がやんわりとヒルメスの頬を包み込む。そのぬくもりに抗うことなく、目を閉じて身をゆだねた。
 ――心地いい。他人の前で無防備に気を抜くことなど、少し前まではあり得ないと思っていたと言うのに。
「ヒル、メス……」
 戸惑いを含んだ小さな声が、確かめるようにその音を口にする。視界を閉ざしたヒルメスはじわりと、体に染み渡る何かを感じた。
「ヒル、メス……ヒルメス……」
 何度も、何度も、繰り返し、繰り返し。音はやがて意味をもつ言葉に変わっていく。
「――ヒルメス」
「……お前が初めてだった。父上以外の誰もが俺を敬い、傅くあの王宮でお前だけが俺をそう呼んでいた。……お前は名にこだわっていた」
「……そう、だった?」
 敬語も無くし、幾分気安い態度を取れるようになったらしい――といいつつ、まだ戸惑いはあるようだが――、アイラの指先が頬を撫でていく。
 はじめは強張っていた体も、いつしか解け、ヒルメスの肩にもたれ掛かるようにして身を預けられている。
「覚えていないのか? 名を教えろと何度もせがんできた。いい加減鬱陶しくなって教えてやると、お前は何の躊躇もなく俺の名を呼び捨てにした。驚いたが、不思議と嫌な気がしなかった。むしろ……」
「ヒルメス……?」
 途切れた言葉に訝しんだアイラの呼びかけには答えず、ヒルメスは小さく笑い、閉じていた瞼をゆっくりと持ち上げた。
 ――そうだ。今、思いだした。あの時初めて、俺はお前のことを……。
 だからこそ、その感情が何か分からぬままに、その感情の強さに驚き、戸惑ったのだ。
 今だからこそ、わかる。
 ――だが、むしろ愛しいと、そう思ったのだ。
「アイラ、これからは誰が何と言おうと俺に対して敬語も敬称もなしだ。良いな?」
 こくり、と昔のように素直にアイラが頷く。恥じらいながらも微笑む様子をみて、ようやく満足感を得た。
「――次は、体だな」
「?」
 口端を持ち上げてぽつりと呟けば、意味を取り損ねたアイラが首を傾げる。
「お前はもう、俺に心を許しただろう? ならば次は体だ。今すぐにでもお前のすべてがほしい」
 ヒルメスは耳元に顔を寄せ、そう囁いた。
 顔を真っ赤に染めたアイラがそれでも逃げずに小さく頷くのを、ヒルメスは至極機嫌よく眺めていた。


幸福な未来を貴方と共に



【あとがき】
 一先ずこれで「幸福な未来を〜」は完結にしたいと思います。
 長かった。というか、まだかき上げてなかったのか、と突っ込まれそうですが…(苦笑)
 初期の頃の作品と、つじつまが合わない部分もちらほら出始めてるかもしれませんが、一応、大まかな流れは変えないようにして書いている、はず…(自信ない)
 そろそろ全体的な文章校正と書き直しを始めるべきかな…と思いつつ手が回らないです。
 管理人の力量不足で意味不明の部分は、どうぞ、皆様の想像力で補って頂ければ幸いですm(_ _)m

 追伸。前にもどこかに書いた気がしますが、ヒルメスは以外と(?もしくはやっぱり?)寂しがり屋な気がします(願望)

 ここまでお読み頂きありがとうございました。相変わらず、長ったらしく、説明文が多いお話ですが、楽しんで頂ければ幸いです。
 次回は、ほのぼの楽しいパルスの日常話を書きたいと思っています。


[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ