「リンドウの花を君に」IF編
□幸福を招く仔猫の話
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《もしもヒルメスが銀仮面卿にならなかったら》
・ヒルメスが捨て猫を拾ってくる話
・小動物と戯れるヒルメスが書きたかったんです。……が、(←ここ大事)
* * *
「いい仔だから、じっとしてて……ほら、もうすぐ終わるからね」
つんと鼻につく匂いの塗り薬を瓶から匙ですくい取って、それを手のひらの上で人肌に温めながら、アイラは困ったように言い聞かせる。
ふにゃあ、と些か拗ねたようにも聞こえる鳴き声が、いかにも不満そうにそれに応えた。
薬箱を広げたアイラの前には、ヒルメスが向かい合うように胡坐をかいて座っていて、さらにその膝の上には真っ白い仔猫が抱えられている。
アイラは先ほどからその仔猫をなだめようとして苦戦しているのだった。
「ヒルメス、なるべく手足が動かないように抑えていて、」
両手両足の身動きを封じられた仔猫はもちろん、仔猫の爪に引っ掻かれそうになっているヒルメスにしても不本意な体制なのか、どちらもよく似た仏頂面で、アイラは薬の準備をしながらもしきりに笑いをこらえていた。
だがここで笑ってしまうと、ヒルメスがますます機嫌を悪くしてしまう。
しかし、仔猫とヒルメスという組み合わせがあまりにも不似合なので、どうしても面白く感じてしまうのだ。
「この仔、まだ産まれてそんなに経っていないように思うけど、独りで捨てられていたの?」
皮膚が爛れて血がにじんでいる手足の裏に、丁寧に薬を塗って細く割いた布を巻いていきながら尋ねると、ヒルメスは渋面のまま頷いた。
どうやら凍傷になりかけていたようだ。怪我が軽い内に連れて来られて良かったと胸をなでおろす。
こそばゆいのか、ジタバタと暴れる仔猫を大きな手がやんわりと、次第に面倒になったのか些か強引に捕まえて大人しくさせようとする。
それでも仔猫に愛想を尽かせて放り出したりしないところに、苦笑しながらも夫の優しさを垣間見た。
何より気まぐれにしても、仔猫を拾ってきたのはヒルメスの方だ。
周囲から非情だと思われていても、その実、傷ついたものを見ると放っておけない性なのだ。アイラはそのことをよく知っている。
「かわいそうに……寒かったでしょう? もう大丈夫よ」
いつものように玄関で夫を出迎えたアイラは、黒色の外套に包まれて弱々しく鳴いている仔猫に驚いた。
所々汚れた毛並みの小さな体は、可哀想なくらい寒さに震え縮こまっていて、どうしたのかと理由を尋ねると、「道端に落ちていた」と、いかにも無口な夫らしく素っ気ない答えが返ってきた。
だが仔猫を預かったアイラが手当をしようとすると自ら手伝いを勝手出てきた所から察するに、言葉には表さなくても、さぞ仔猫のことを心配していたに違いない。
よし、とアイラが巻き終わった布の端を固く結ぶ。ヒルメスの手伝いもあって、しっかりと巻くことができた。
「怪我の手当も済んだし、体温も戻って来ているし、もう安心ね。あとはいっぱい食べて、いっぱい寝て、早く元気になってくれればいいのだけれど」
「ああ……」
心なしか頬を緩ませて、ヒルメスも鷹揚に頷く。やっと安心できたらしい。
自分の手足と周囲とを、きょろきょろと忙しなく伺っている仔猫の頭を一撫でしたアイラは、薬箱を片付けるために立ち上がった。
アイラが少し離れていた間も、ずっと膝の上で遊ばされていたらしい仔猫は、すっかりヒルメスに懐いたようで、警戒心の欠片もなく我が物顔でそこに陣取っている。
長椅子に背中を預けるヒルメスも、ようやく大人しくなった仔猫に満更嫌と言うわけでもなさそうで、時折、毛の柔らかい首あたりを撫でてやっている。
一人と一匹の様子を眺めて、アイラはこっそりと微笑んだ。
黒い上着を着たヒルメスと、真っ白い仔猫。不愛想な男と、可愛い仔猫。
一見、不似合かと思ったが、こうしてじっくり眺めていると妙に馴染んでいる。
仔猫を撫でる手はどうやら無意識らしい。
表向き、仔猫に無関心を装っているが、結局は世話を焼いているところが何とも微笑ましい。
「……なんだ。そんなにまじまじと眺めて」
妻の視線に気づいたヒルメスが、手遊びを続けながら胡乱げに問う。
悪戯心に動かされたアイラは、わざと拗ねた顔をつくって、冗談交じりに答えた。
「貴方があんまりその仔ばかり構うから、なんだかさびしいわ。ヒルメスは私よりもその仔のほうがいいのね」
「……ほう?」
思いのほか虚を突かれた夫の驚いた様子に、アイラが冗談だと返そうと口を開いた瞬間、それを遮ったヒルメスは膝の上で遊ばせていた仔猫の首根っこを無造作に掴んで長椅子に敷かれた毛布の上に下ろした。
微睡んでいた所をいきなり退かされて、むっと唸る仔猫には目もくれない。
そうして空いた膝を手で軽く叩いて、思わずどきりとするような魅惑の笑みを浮かべる。
「そうか、お前も俺に愛でられたいなら遠慮はするな」
「そ、そう言うつもりで言ったんじゃ……」
「だが、寂しかったのだろう?」
「いや、だからそれは――」
――冗談で、と続けようとした言葉を呑みこんで口をつぐみ、アイラは頬を赤らめた。
ヒルメスの手がするりと持ち上がり、取れと言わんばかりに有無を言わさず自分に向けられている。
「アイラ?」
低い声で甘く囁かれる。衝動に従って行動に移すにはそれだけで十分だった。
ヒルメスの望むまま、伸ばされた手に自分のそれを重ねると、手を引かれ、つい先ほどまで仔猫が独占していた膝の上に抱え上げられる。
ヒルメスの目を囚われたように見つめたまま、アイラはこくりと喉を鳴らした。
「俺は猫よりも、お前がいい。お前のほうが猫よりよほど愛らしい……」
「な、」
固まるアイラの首筋に無遠慮に顔を埋めたヒルメスは、ちゅっと軽い音を立ててそこに吸い付く。
白い肌の上に唇を当てて滑らせながら、柔いそこを舌でなぞると、びくりとアイラが肩を震わせるのに満足して、ヒルメスはわずかに顔を上げた。
「首筋を愛撫されて悦ぶあたりは仔猫と同じだな」
刹那、二人の視線が交じりあう。
「まだ、寂しいか?――もっと構ってやろうか?」
どちらともなく吐息がこぼれる。
誘われていることは、そういった経験に疎いアイラにも分かった。
熱を帯びた深い色味の瞳に吸い込まれそうになる。見つめ合ったまま、時が止まったかのように視線をそらすことが出来なくなった。
「アイラ」
言葉の先を促すように、諭す声音がじわりと体の強張りを解いていく。
気付けばもう、従順に従うことしか出来なくなっていた。
「ヒルメス、もっと……」
吐息ともつかない小さな声は確かにヒルメスの耳に届いたらしい。途端に満足げな笑みを浮かべた顔が近づくとアイラは静かに目を閉じた。
幸福を招く仔猫の話
【あとがき】
ふわふわでもふもふな仔猫と戯れるヒルメスって、とても可愛いと思うんです!
何気に小動物に好かれるヒルメスが見たいんです!
(↑いきなりすみません)
ついそんな衝動に駆られて書きました。
ヒルメスが捨て猫拾ってくるシチュエーションって、需要ありますか?
私としては続きが書きたいんですが……。
仔猫と夢主を取りあうヒルメスとか、仔猫を抱いて眠る夢主にひとり癒されてるヒルメスとか……いっぱい書けそうなんですが(笑)
皆様のご感想お待ちしております。