「リンドウの花を君に」短編
□いつか強くなれたなら
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《他人から嫌味を言われて意気消沈な夢主をダリューンとナルサスが励ます話》
・ギランから戻った夢主が王都で宮廷療師になった頃
・夢主の酒癖悪いです…。ヒルメスは登場しません。
* * *
燃え盛る炎の中でヒルメス王子を失ったとき、アイラは自分の無力さを噛み締めた。
だから、強く、願った。大切な人を守り、救うための力がほしい、と。
そうして、たどり着いた先、自分の行く道に後悔したことは一度もない。
パルス王国では女性の多くは十代半ばで結婚し、家庭に入る。特に貴族の娘が働くことは少なく、結婚後は夫と子供のために生きるのが尊しとされていた。
事実、アイラの周囲にもそうして早々に夫に嫁ぎ、子をもうけた同世代の娘は多い。
たまに会う彼女たちは口々に言うのだ。
「あなたもそろそろ結婚しないとね」
「いつまで療師をしているの?」
悪意のない言葉。けれどアイラの心には深く刺さる言葉。
今までもそういう話がなかったわけじゃない。
祖父のバフマンは自分がいなくなった後、たった一人残される孫娘の行く先を案じて、何度か縁談を持ち込んできたが、アイラはそのたびに首を振った。
幸せな家庭をもってほしいと願う祖父の思いを、何度も踏みにじってきた。
療師として、人を救い続けたいという思いがあったから。
でも本当は療師として生きる道を選ぶことで、ヒルメス王子を想い続けることができると思ったから。
療師を志してからずっと今まで、いつも心にヒルメス王子の姿があった。
だから、人並みの幸せも、女としての充実も、すべて投げ出して、ただひたすら歩んできた。
これからもきっとそう。ずっと一人で歩み続ける。
永遠に巡り逢えることのない、まぼろしに恋をして、彼の人の影を愛したまま。
所詮は女。家に入り、夫に尽くし大人しくしていればいいと、心無い言葉をかけられるたび、アイラは何でもないように微笑んで、こぼれそうになる涙を必死に堪えてきた。
自分で決めて、自分で歩んできた道。だから弱音を吐くことなんて許されない。
ひとりでもしっかり地に足をつけ、立ち続けなければならないと、いつの頃からか泣くことを耐えるようになった。
それでも、どうしてもつらく、苦しいときがあった。
町の酒場の喧騒が今は心地いい。
ひとりではない空間。でもひとり、周囲に構わずいられる空間。どうしても苦しくなったとき、アイラはひとりここに来る。
「お、アイラ譲! 久しぶりじゃねーか、いらっしゃい!」
「こんばんは。ご無沙汰していました。いつもの席、空いてますか?」
「もちろんだ! さあ座って座って。いつものやつでいいかい?」
「ありがとうございます」
アイラは酒場の一番奥、あまり人の寄り付かない隅の席に静かに腰を下ろして、ひとつ小さな溜息をついた。
―――療師たるもの、いつ何時も療師であれ。
ギランにいる師は自分にそう教えてくれたけれど、それはとても難しいことである。
自分にはまだ、できそうもない。
何もかも忘れて酒に飲まれ、酔ってすべてを忘れたいときがあった。
今夜何杯目かわからない絹の国な酒を、アイラは玻璃硝子の盃に注ぐ。
絹の国の酒も、洒落た盃も、たまにふらりと来ては一人静かに飲む私のためにと、酒場の主人が用意してくれた。
愛想の良い主人は、時々ふらりと店に来ては静かに飲んでいくアイラに、余計なことは聞かないし、多くは語らない。だからアイラも安心してここに来ることができていた。
絹の国の酒の味は、師に付き合って覚えた。師の奥方の故郷の酒は、私にとっても馴染みの酒である。
酔いも回ってぼんやりとしていたアイラの両隣に、ふらりと現れた男が二人、席につく。見知った気配だけでアイラはそれが誰かすぐにわかった。
「親父。あと二杯、同じ酒を」
上から下まで黒い衣に、よく通る低い声音。
「何か適当な肴も頼む」
薄い色味の衣を着崩し、思慮深く落ち着いた声音。
「……ダリューン、ナルサス」
今二番目に会いたくない顔だった。一番目は師。怒られるだろうから。
親友の二人に会いたくなかったのは、こんな情けない自分を見られたくなかったからだ。
そんなアイラの気持ちを分かっているのか、どうなのか、この年上の幼馴染たちは、アイラが飲んでいるものと同じ絹の国の酒を煽りながら、うまいとか、辛口だなとか言い合っている。
こちらのことなどお構いなしだ。
「何しにきたの…」
「ん? ああ、ダリューンと飲み歩いていたら偶々お前を見つけたのでな。珍しいと思って寄った」
嘘ばっかりとアイラは思った。
飲んでいたというわりに二人から酒の匂いはしないし、外套も冷え切っている。長時間外にいたに違いない。
自分を探しに来てくれたのだ。こんな城下町の隅っこにある小さな酒場まで。わざわざ。
二人は昔からアイラがどこにいても見つけ出した。祖父が戦に出ている間、一人ぼっちで寂しがっていたアイラを、二人はいつも探しに来て、ずっとそばにいてくれた。
普段はぶっきらぼうで意地悪でも、そんな二人の優しさがとても嬉しくて大好きだった。
「ふたりはいつもそうね……放っておいてかまわないのに」
「もう夜も遅い。お前ひとりでは夜道は危ないぞ」
「ダリューン、私だって護身術くらい、それなりに……」
「まあ、そうだな。酔っていなければ多少は扱えるか」
「……むぅ…。……けど、ふたりはわたしを甘やかしすぎなのよ!」
「まあそう言ってやるな。黒衣の騎士様はお前が心配なのだよ」
「ナルサス! お前だって――」
何やら言い争いを始めた男たちに、アイラは目を細める。
二人に優しさを見せられるたび、泣きそうになる自分が嫌い。甘えたくなる自分が嫌い。一人で立つことを決めたのに、その決意が揺らぎそうになる。
だから、一人にしてほしかったのに。
机に突っ伏して、アイラは小さく唸る。目元が熱くなるのを感じて、袖で乱暴に拭えば、しっとりと濡れる袖口に見て見ぬふりをした。
「たまには、俺たちと飲むのも悪くないだろう?」
早くも二杯目に手を伸ばしたナルサスが、素っ気ないのか慰めているのか分からない声音で言う。
ナルサスと同じくらい酒に強いダリューンも、決して度数の軽くない絹の国の酒瓶を次々と空けていく。
「……なにも、聞かないの?」
「聞いてほしいか?」
「……いい」
アイラは力なく首を振った。二人に負けじと自分も盃に手を伸ばす。しかし視界がぼんやりと滲んで、盃を掴もうとした手は空を切った。
アイラは自分が飲みすぎていることは自覚していた。
「……もう、やだ…。誰も、何もわかってくれないもの」
ぽつりぽつりと誰に聞かせるためでもなく、話し出したアイラに、ダリューンとナルサスは何も言わずに見守る。
唇を噛み締めたアイラは頬を伝うものを隠そうと両手で顔を覆った。
「誰も、とは聞き捨てならないな。な、ダリューン」
「ああ。アイラよ、お前に心無い言葉を吐く者たちよりも、俺たちはお前のことをわかっているつもりだぞ」
確かな夢と誇りをもって、療師として生きる道を選び、歩んできたアイラの姿をダリューンとナルサスはずっと見守ってきた。
幼いアイラがひとりでギランに旅立ち、きっと一人で苦労もしただろうに、それを微塵も感じさせず笑顔で王都に戻ってきたとき、二人はアイラの信念の深さを痛感したのだ。
彼女が身を削り、何よりも強く望んで手に入れた道は、誰にも罵倒させるものではない。
机に項垂れて両腕で顔を隠したアイラの両肩に、ぽんと軽い重みがかかる。
するとどうしてか、今まで心を塞いでいたわだかまりが消えていく気がした。
心がすっと軽くなっていくのを感じて、アイラは震える息を吐き出す。その頬をするりと零れ落ちた涙に、ダリューンとナルサスは気付かないふりをした。
ごくり、とダリューンかナルサスが盃を傾ける音を聞きながら、アイラは静かに目を閉じた。
「……ありがとう」
ぽつりとアイラは顔を隠したまま呟いた。
どんな言葉で慰められるより、肩に置かれた優しい重みが冷えた心を溶かしていく。
年上の幼馴染たちにはいつも支えられるばかりで、今は何一つ返せないけれど、せめて二人のそばに立って恥じることのない自分になりたいと、そう強く願った。
いつか強くなれたなら
【あとがき】
ちょこっと息抜きにダリューンとナルサスsideのお話を書きました。
ヒルメス待ちの方、肩透かしですみません…。その上、夢主が飲んだくれですみません…。
夢主の酔っ払いネタはいつかヒルメスでも書きたいです(そちらはR-18になりそうですね(笑))
今回のお話は夢主の苦労話。パルスってやっぱり男社会だから、きっと夢主も認められるまで苦労したんだろうなーって思って書きました。
ほぼ独白に近い本文ですが、夢主はきっとヒルメス王子のことを想い続けて頑張っていたんだと思います。
ダリューンとナルサスは夢主がヒルメス王子のことを想い続けていることは知らないけど、療師に誇りをもっていることは知っているから、ずっと夢主を応援してくれてます。
きっとダリューンもナルサスも夢主から頼られたいんです。妹みたいな子だから(ダリューンの方は無自覚だけど想い人?)。
ずっと肩に力を入れてる夢主が満身創痍でお酒に走るとき、そのそばに幼馴染の二人がそっといてくれるといいなーと思います。