「リンドウの花を君に」短編

□名を呼ばれた日
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《ヒルメスが初めて夢主に名前を呼んでもらったときの話》


* * *


「あっ、いた!」
 幼子特有の高い声が静かな王宮の中庭に響きわたる。
 続いてパタパタと駆け寄ってくる軽い足音が聞こえてくると、大木の幹に背を預けていたヒルメスはまたか、とため息をついた。
「騒々しい」
 そばまで駆け寄ってきた少女が何事かを口にする前にピシャリと言えば、少女はぶすっと頬をふくらませて不満を露わにした。
「だって、ずっといなかったでしょう?」
 相変わらずせわしない小娘だと内心ため息をつきながらも、ヒルメスの顔には笑みが浮かんでいる。こうして中庭で何度か出くわすたびに、何だかんだと言い合うものの、飾り気も毒気もない少女の言葉を聞くとほっとするのも事実だった。
 絶対に認めたくないが。
 そんなことを口にすれば調子にのった少女が何を言い出すか分からない、とヒルメスは内心苦笑いする。
「きょうこそ、なまえをおしえてちょうだい!」
「断る」
「けちー!」
「うるさい」
「いいじゃない、なまえくらい」
「よくない。もう少し離れろ、小娘」
 膝を立てて座るヒルメスの肩に少女の髪が触れるくらい顔が近い。
 間近くから翡翠色の瞳に顔を覗き込まれて、なんとなく照れくさくなって、ぶっきらぼうに言って顔を背ければ、少女はますます詰め寄ってくる。
 もうどうでもいいか、とヒルメスは諦めたようにため息をついた。
「こむすめじゃないわ、なまえおしえたでしょう?」
「ああ、そうだったな」
 別に名前なんてどうでもいい、とヒルメスは口の中で言い返す。
 自分が名乗らないのも、名前を教えてしまえば自分の身分が知られてしまうと思ったからだ。この少女はまだ目の前にいる自分の名前を知らない。
 知られたくない、とそう思った。
 もう少し、もう少しだけ、王子という身分を知らずに接してくるこの少女と何の隔たりもない会話がしたいと思った。
「なぜそんなに俺の名前にこだわる?」
 他人の名前なんてどうでもいいだろう、と言ってやれば、少女は今まで見たことがないくらい眉間に皺を寄せて顔を赤らめる。
「よくない!! よくないわ!」
 あまりに必死に言い返すものだから、ヒルメスは呆気に取られて少女の顔を振り返った。そして少女の顔を見て絶句する。
 少女は大きな翡翠の瞳に大粒の涙を溜めて、唇をきゅっと引き結んでいた。その涙が今にも頬へとこぼれ落ちそうで、ヒルメスはらしくもなく慌ててしまう。
「お、おい!」
「よくないもの・・・あなたは、たにんじゃないもん・・・」
 ヒルメスは目を見開いて、少女を凝視した。
 なぜだかとても胸が熱い。こんな感情を自分は知らない。
「そんなに俺の名が知りたいか」
 こくりと少女が頷く。涙に濡れた目がじっと自分を見つめてくるのを、ヒルメスは何とも言えない気持ちで見返した。
「教えても、お前はまたここに来るか」
「うん? もちろん、だめっていわれてもくるわ!」
「・・・そうか」
 この少女がまたここに来るか確証などないが、泣かれるのは面倒だから教えてもいいかと思う。
 何よりヒルメスは、この少女に名前を呼んでほしいと一度でも願ってしまっていた。
「ヒルメス、俺の名前はヒルメスだ」
「ヒルメス・・・ヒルメス! とってもいい名前ね!」
 きらきらと翡翠色の瞳を輝かして春のひだまりのように微笑む少女の顔から、俺は目を離せなくなった。


名を呼ばれた日



【あとがき】
 王子ヒルメスと幼夢主の過去話第二弾です。 ヒルメス、照れ屋さんだったらいいな〜っていう筆者の勝手な妄想から生まれました。
 皆様のイメージと違ったらごめんなさいm(_ _)m
 幼夢主はとことん周りを振り回す子。お転婆娘。でも明るくって周りを元気にさせる子。 
 子どものくせにどこか達観してるヒルメスも夢主の前だと年相応になればいいなって思います。
 あと、最後に言わせてください。

 この頃のヒルメス、絶対可愛い!!

 大人ヒルメスは鬼畜で意地悪ですけどね(笑)。


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