「リンドウの花を君に」短編

□怒りではなく愛しさに
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《ヒルメスが嫉妬して夢主を怒鳴りつけて泣かせる話》
・ヒルメスがマジギレしてます。怖いです。
・昨今流行り(?)の壁ドンを試してみました→結果:甘さのかけらも書けませんでした。どこで間違ったんでしょう(笑)
・無駄に長め。最後は甘いはず。やっぱりバカップル
・二人は結婚後王都に住んでます(細かい設定は抜きで)


* * *


「アイラ、あの男は誰だ」
 怒りを押し殺したような低くかすれた声音と共に、ドン、という決して軽くない音が耳元で響いた。
 息を呑んで肩を震わせたアイラは、胸の前で両手を固く握りしめる。そのこぶしに触れるか触れないかの位置にヒルメスの体がある。
 怯えながらもそろそろと顔を上げれば、剣呑さを滲ませた精悍な顔を間近に見上げる形になった。
「ヒル、メス……」
 やっとの思いで口に出した声は緊張に乾いていた。
 顔の真横に太い腕が置かれている。背後は厚い壁があり、後ずさろうにもそれができない。
 せめて咎めるような視線から逃れようと身を捩りかければ、すかさず太い腕が腰を拘束してきた。
「これ以上俺を怒らせるな」
 ヒルメスの鋭い目がアイラを射抜く。ここまで本気で怒っている彼を見るのは初めてだ。
 王族としての威圧感か、武人としての迫力か、真っ向から射竦められたアイラは鷹に狙われた雛鳥のように怯えることしかできなかった。


 きっかけは些細な誤解だった。
 この日アイラは古い知り合いに思いがけず再会した。
 療師の修行をしていた時に知り合った同い年の青年で、彼がたまたま王都に出て来ていたために市場で遭遇したのだ。
「それにしても、あのお転婆だったアイラがこんなにお淑やかで綺麗な女性になってるなんてな」
「貴方のほうこそ、昔はよく生意気なことを言って師を怒らせていたじゃない。他人のこと言えないでしょう」
 再会した途端、憎まれ口を言い合うのは昔と変わらない。
 人懐っこそうな快活な笑い声を上げる青年に昔の面影をみて、アイラも自然と笑顔になる。見ない内に身長も随分伸び、声も低くなったのに昔とちっとも変わらない。
 思い出せるだけ互いの失敗談や思い出話を言い合って、二人そろってわざとらしい溜息をつく。
「「それが今では一人前の療師をやってるなんて」」
 見事に被ったその台詞に、どちらともなく吹き出した。
 それから、しばらく二人は時間を忘れて、互いの近況を聞き合った。
「――じゃあ今はセリカにいるの?」
「ああ。もっぱらあっち。たまに親の顔を見にギランに戻るけどな。アイラはギランを出てからずっと王都か?」
「ええ。今は王宮で療師をしているわ。これでも一応、王宮務めよ?」
「へえ、大したもんだな」
 表情豊かな青年は目を丸くして感嘆の声を上げる。
 ふと、アイラの横顔を見つめていた青年のまなざしが陰った。
 近くを駆けまわって遊ぶ子供の姿を微笑ましげに見ていたアイラは、それに気付かない。
「――なあ、」
 青年は意を決したように口を開く。アイラは子供から青年に視線を戻す。
「俺と一緒になってくれないかっ!――お、俺、昔からお前のことが好きだったんだ!」
「え?」
 アイラはあまりに突然のことに驚き、目を見張って青年を凝視する。必死に言い募る青年の様子に我に返ったアイラは、ちょっと待って、と声を上げた。
 青年の誤解を解こうと口を開きかけたその瞬間、アイラの体は背後から回された腕に引きずられるように浮き上がった。
 驚いて声を上げかけたが、その腕が見知った人のものであると気付き、寸前で悲鳴を呑み込む。
 だが、アイラには自分を抱きすくめた人が誰か分かっても、青年には見ず知らずの男がいきなりアイラを襲ったと見えたことだろう。
「お、お前! いきなり何を……その手を離せ!!」
 青年が慌ててアイラに手を伸ばす。その手を無情にも払い落として、男――ヒルメスは鋭い眼光を青年に投じた。その余りの気迫に青年は立ちすくむ。
「待って、待って、二人とも。やめて、ヒルメスもちょっと離して」
 男二人の間に漂う不穏な気配に慌てたアイラが静止の声をかける。体の拘束は緩まらない。
「――お前が遅いから迎えに来てみれば……こんな所で何をしている、アイラ」
 アイラの耳元で不機嫌そうにヒルメスが言う。
「! それは……長話をしすぎたわ……心配かけてごめんなさい、ヒルメス」
 背後を振り返ってアイラは悄然と俯く。
 確かに薬草ひとつを買い求めに市場に出る時間としては長すぎた。久々の再会に浮かれて騒いで、時間を忘れてしまったのは自分の落ち度だ。
 ヒルメスをさぞ心配させたに違いない。現に彼にこうして探しに来させてしまった。
「……知り合いなのか、アイラ?」
 アイラとヒルメスの会話を不審な目で見ていた青年が警戒を解かずに尋ねる。
「知り合いか、だと?」
「ヒルメス、そんなに目くじらを立てないで」
 不遜な顔でヒルメスはそっぽを向く。
「知り合いではなくてヒルメスは私の夫よ」
 アイラは早口に言った。
「夫……?」
 青年は呆然と呟いた。その目がアイラとヒルメスとを交互にみる。
「そう、だから二人ともいがみ合うのは止めて――っ、ヒルメス!?」
 青年に言いつくろうとしたアイラの腕が突然ぐいと引かれた。
 そのままヒルメスの外套の中に押し込められると、半ば強引に連れられて歩かされる。
 未だ呆けたままの青年を気にして、アイラが踏みとどまろうとすると、無言で舌打ちしたヒルメスは軽い体を担ぎ上げた。
「どこで道草を食っているかと思えば男と逢引か? 俺以外の男と関わるな」
「あ、逢引って! 違うわ、彼は――」
「その男のことなどどうでもいい! 帰るぞ!」
 心底激怒した様子のヒルメスの様子に、アイラは背筋を凍らせる。
 いつもなら冷静に話を聞いてくれるヒルメスが、今は見境を無くすほどの怒りを露わにしている。
 本能的な恐怖がアイラの喉を塞いで声が出せない。
 無理やり担ぎ上げられて連れられるまま、ヒルメスに従うことしかできなかった。


 恐怖に身を震わせながらようやく家に戻ってきたかと思えば、すぐさま壁に押し付けられて退路を断たれた。
 ヒルメスの怒りは収まらない。
「話を、聞いて……ヒルメス、誤解しているわ」
「誤解? 何が誤解か、現にお前はあの男に言い寄られていたではないか! あれほど男に隙を見せるなと言っておるのに、お前は少しも分かっておらぬ!!」
 怒髪天を抜いた怒鳴り声が鼓膜を震わせる。
 怯えてぽろぽろと泣き出したアイラをヒルメスは冷めた目で見下ろした。
「ちが、彼は療師仲間で……たまたま再会しただけよ、何もないわ……」
 こんな些細な誤解が、こんなにもヒルメスを怒らせるなんて思いもしなかった。
 それ以上に、自分の安易な行動が彼を深く傷つけてしまった。
 怒らせたことよりも、怒られたことよりも、彼の心を傷つけてしまったことがやるせない。
「ヒルメス、お願いよ……信じて……おねがい、」
 疑わないでほしい。ヒルメスを裏切ることなど絶対にありえないのだと分かってほしい。
「ヒルメス、ごめんなさい――本当に、ごめんなさい」
 泣くなんてずるい。そう思うのに、次々溢れてくる涙を止めるすべが見つからない最低だと自分でも思った。
 ひく、と嗚咽を呑み込みながら乱暴に目元をぬぐっていると、顔の横にあった腕がするりと落とされる。
 ゆっくりと退いていく大きな体に、呆れさせたと思い、余計に涙が浮かんでくる。
 拘束が解かれた途端、アイラは壁伝いにずるずるとしゃがみ込んでしまった。
 そのまま置いて行かれるものだと思ったのに、ヒルメスは床に落ちたアイラを追って膝をつく。それからわずかに戸惑っている気配がした。
「……泣くな」
 ぶっきらぼうな低い声。弱り切ったような、焦っているような、彼の声。
「ごめんなさい、ヒルメス……」
 彼は何も悪くない。みっともなく涙をこぼす自分を気に掛ける必要もないのに。
 ヒルメスはいつだって、泣いている自分を慰めようとしてくれる。怒っているときでさえ。
「………」
 泣き止まないどころか、益々激しく泣くアイラを焦燥の滲む顔で見つめていたヒルメスは、その小さな体をそっと抱き寄せた。首筋を優しく支えて、自分の肩口に頭を預けさせる。
 亜麻色の髪を指で梳き通しながら、背中を一定の速さで撫でていると、すすり泣く声は次第に弱まっていく。
 それを見守って、ヒルメスはほっとしたようにひとつ息をついた。
「怒鳴って悪かった。怖がらせただろう、許せ……」
「いいえ、貴方に嫌な思いをさせたのも、心配かけたのも全部私のせいだもの。自業自得よ、貴方が謝ることなんてないわ」
 泣いた後の顔を見られるのが恥ずかしくて、アイラはヒルメスの首筋に顔をうずめる。
 鼻腔をくすぐる、嗅ぎ慣れた香にやっと落ち着きを取り戻した。
「心配して探しに来てくれたのよね、ありがとう――優しいひと……大好きよ、ヒルメス」
 そのままきゅっとしがみつけば、抱きしめ返してくれる熱い腕。こんなにも強く、深く愛されて、自分は幸せ者だと心からそう思う。
 ヒルメスもまた、幸福だった。このぬくもりを片時も手放したくないと思うほどに。
「……お前は自分の価値にまるで気付いておらぬ。そのくせ、ひどく無防備で危なっかしい。お前にその気がなくても男は放っておかぬから、俺はいつも気が気ではないのだ」
 市場の隅で、見知らぬ男に言い寄られているアイラを見つけたとき、思わず我を忘れるほど激しい嫉妬を覚えた。
「――お前は俺のものだ。俺以外のものになど、なることは許さぬ……」
 我が身よりも大切で、この世の何よりも愛おしいからこそ許せなかった。たとえ、アイラにその気がなくて、彼女の知らぬことだと分かっていても。
 ヒルメスは泣き疲れている様子のアイラをそっと抱え上げて立ち上がる。どちらともなく視線を合わせると、ゆっくりと二人の影は重なり合った。


(身の内に燃え狂う嫉妬に、怒りではなく愛しさの意味をもたせ、お前を抱こう)


怒りではなく愛しさに



【あとがき】
 久々に文章書いたー!って気がします(笑)
 ということで、感情表現が不器用なヒルメスと、色恋に鈍くて無防備な夢主の話でした。
 ヒルメスは夢主の心変わりを疑ってるわけじゃなくて(むしろ夢主が心変わりするなんてありえないと思ってる)、隙だらけな夢主を心配してるんです。
 たぶん夢主が一人で出かけるたびに、いっつも気が気じゃないと思います(笑)
 壁ドン書きたいなーと思って書き始めたお話のはずが、あれ、これって壁ドンじゃない……。
 まあいっか。こっちほうがヒルメスっぽいですかね?(無理やり納得)
 でも不完全燃焼なので、甘い壁ドン、そのうち書きます。
 いいシチュエーションあったら教えて下さい(笑)
 お読み頂きありがとうございました。


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