「リンドウの花を君に」短編

□その日が来るまでは
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《体の変化に戸惑う夢主と女性の機微にうといヒルメスの話》
・平和なパルス捏造。ヒルメスは殿下のままです(細かい矛盾には目をつむって下さい)
・本編より10歳くらい若い夢主とヒルメスの話
・女性の日の描写があります。苦手な人は注意
・ヒルメスがちょっと不誠実かも……


* * *


(恋も愛も、この心も、お前だけに与えよう。最初で、最後。この世でただ一人、お前だけに……)


 ――最近急にアイラがよそよそしくなった。

 良く晴れたパルスの昼下り、王宮の庭先で侍女たちと何やら楽しげに語らっているアイラの姿を回廊から遠目に眺めて、ヒルメスは思った。
 つい最近までは顔を会わせるごとに人目も憚らず、満面の笑みで抱きついてきていたというのに。
 彼女の祖父が何度嗜めて注意しても、一向に直そうとしなかったというのに。
 それがどうしたことか。
 ヒルメスはここ数日、あからさまにアイラに避けられているのだ。
 目が合っても気付いていないふうを装って、背を向けられ、早足に逃げていく。抱き付く所か、指一本も触れようとしない。
 徹底した拒否の態度に、さしものヒルメスも表面上は無表情を装っていても、内心の動揺までは隠せない。
 閑散とした回廊の壁に背を預けたヒルメスは、人知れず息をついた。
 この数日の間に、アイラに何があったというのだろうか。
 遠目に見るアイラは少女特有の丸みを帯びた面立ちを残しつつ、衣の端から見える白い手足は細く長く、女性のそれに変化しつつある。
 表情も人懐っこい少女の笑みから、幾分落ち着いた雰囲気をもつものが多くなったように思う。
 艶やかで豊かな亜麻色の髪も、身長も出会った頃より随分伸びた。
 もちろん、身長に関してはヒルメスのほうが遥かに伸びたので、目線の高さは出会った頃よりも差が開いてしまったのだが。
 ともあれ、十に満たない幼子の頃から見知った仲であるので、その記憶を思い出せば、今目前にいるアイラは、もはや大人といっても過言ではないように見える。
 パルスで成人として認められる齢を迎えるのも、もうまもなくのことだから、ヒルメスの見立ては正しい。
 かく言うヒルメスのほうは、アイラよりも四歳ほど年長であるため、すでに成人を迎えていた。

 ――分からぬ。
 眉根を深くひそめて、ヒルメスは低く唸った。
 女に苦労させられたことはない。不自由をしたこともない。この歳になれば、それなりに夜遊びもするし、自分に言い寄ってくる女も山ほどいる。
 しかしヒルメスはそうした相手には事欠かないが、その相手に恋だの愛だのという面倒な駆け引きを持ちかけたことはなかった。
 あくまでも体の欲求を満たすためだけの関係。その実、いつも心は冷めていた。
 無論、相手から向けられる好意の感情に対しても、知らぬ存ぜぬで通してきた。
 ヒルメスにとって、そうした面倒な感情を持つ相手は、今も昔もただ一人しかいない。
 今、自分の視線の先にいて、にも関わらず、こちらのことなど視界の端にも入っていない、かの少女ただ一人だけが、ヒルメスが唯一心動かされる相手だった。
 だからこそ。
 ――腹立たしい。
 いつも心にいる少女に、急に態度を変えられ、袖に扱われて、言葉を交わすことすらままならない現状が、ヒルメスの自尊心を深く傷つけていた。
 ――埒があかぬ。いっそ、問い詰めてやればいい。
 なぜ思い立たなかったのだろう。うだうだ考えるのは性に合わない性格であることは、自分が一番よく知っている。
「――アイラ!!」
 ヒルメスは寄りかかっていた壁から離れ、足早に庭へ出て行きながら、少女の名前を呼ぶ。
 歳の近い侍女たちと呑気に語らっていた所を、いきなり鋭い声で呼び立てされたアイラは、肩を跳ねさせて勢いよくヒルメスを振り返った。
 今の自分がどんな形相をしているかは知らないが、アイラの怯えた顔を見る限りでは、苛立ちが顔に出ていたのかもしれない。
「ヒル、メス……?」
「来い!!」
 少女が何事かを言う前に、その細腕をつかんで半ば引きずるように歩き出す。来た道を戻り、見知った王宮の中を大股で進む。
 回廊を何度か曲がった先の奥向かいにある、一際豪華な装飾が施された扉を開け放つ。
 勝手知ったるヒルメスの自室である。ヒルメス以外の誰も、許可なく立ち入ることはできない場所で、アイラを入れたことも皆無だった。
 その広い部屋にアイラを乱暴に放り込むと、ヒルメスは後ろ手で扉を閉めて施錠した。
 余りの勢いに、足が追い付かなかったのか、アイラは投げ出されたままの状態で、石畳の上にペタリと座り込んで俯いている。
 抗議の声を上げるでもなく、自ら立ち上がるでもなく、アイラは肩で息をしているようだった。
 しばらく待っても一向に反応はなく、むしろいっそう苦しげな息使いが聞こえてきて、それほど急かしたつもりはなかったはずだと、怪訝そうに首を傾げたヒルメスは、アイラの前に膝をつく。
「……どうした、まさか体調が悪かったのか?」
 頬をつかんで無理やりに上げさせた顔が思った以上に蒼白で、ヒルメスは動揺した。
「おい、」
「……お、なか……」
 アイラがうわ言のように呟く。その先の言葉を呑み込んで、アイラは唇を噛み締める。
 よくよく見ると、その両手は腹部のあたりをしきりに擦っているようだった。
 ヒルメスが険しい表情をする。
「腹が痛むのか?」
「………」
 なぜかアイラの頬が赤く染まる。
 体調が悪いなら悪いと、そう素直に言えばいい。なぜ恥ずかしがる必要があるのか。
 そう思い、煮え切らない態度のアイラに、また少し苛立ちを覚えたヒルメスだったが、痛みを堪える声をこぼす少女をこのままにはしておけない。
 身長が伸びてもなお軽い体を横抱きに抱きかかえて、ヒルメスは自分の寝台にアイラを寝かせた。
 初心な少女は動揺するだろうと思ったが、今のアイラには状況を把握する余裕もないのか、横向きになってお腹を抱えるように縮こまり、苦しげな息を吐いている。
 これにはさすがのヒルメスも、事態の深刻さを案じた。
「少し待て、侍医を呼んで……」
「――呼ばないで! 病でもないのに侍医なんて呼ばないで!」
 先ほどとはうって変わって、少女は悲鳴に似た大声を上げた。
 その手がヒルメスの上着の袖口をつかみ、行かせないと言わんばかりに、寝台の方にぐいと引っぱられる。
 ヒルメスは驚きに目を見張って、寝台の脇に膝をつく。
 袖にかかる手が小さく震えていることに気付き、はっとして少女の横顔を見ると、翡翠色の瞳からは今にも涙がこぼれ落ちそうになっていた。
「アイラ、」
「……怒鳴ってごめんなさい……でも、あの、侍医はいいの。本当に大丈夫だから」
 膝をついたことで、ヒルメスの目線は寝台に横になったアイラと同じ高さになっている。
 ヒルメスは半ば無意識に、少女の目尻に浮かぶ涙を指先でぬぐい取った。その指はそのまま亜麻色の髪へと伸ばされ、絹糸のように柔らかいそれをそっと撫でる。
 アイラの瞳がゆっくりと閉じられ、小さな唇が深い息を繰り返す。
 どちらも喋ることなく、ただ静かな時間が流れていく。
 苛立っていた感情が落ち着きはじめたヒルメスは、そこでようやく、あることに思い至った。
 お腹を擦りながら痛みに耐えている様子のアイラ。彼女は今しがた、病でもないのに、と羞恥の声を上げていなかったか。
「………」
 今さらながらに、その原因に思い立ったヒルメスは罪悪感を覚えて、髪を撫でていた手をピタリと止める。
 アイラの翡翠色の目が戸惑いがちにヒルメスを見上げる。目元が赤い。
 そしてその視線はすぐにそらされた。
「……数日前に初めてきたの……それで、恥ずかしくて、わたし……避けてごめんなさい」
 小さく震える声。いつも溌剌としている少女らしくない頼りない声。
 そうではないと、ヒルメスは心の中で否定した。
 アイラはもう少女ではないのだ。自分を避ける理由も、ヒルメスが想像していたよりもずっと単純で、むしろ勘違いしていた自分が愚かに思える。
 逆になぜ今まで思い至らなかったのか、不思議に思う。
 互いに幼少期から一緒に居る時間が長くて、ヒルメスが戯れに相手をする夜の女たちのような大人の女性と、アイラの天真爛漫さが結びつかなかったのだ。
「いや……すまぬ、俺が無理をさせてしまったのだな……まだ辛いか」
 アイラが小さく微笑んで、もう大丈夫だと呟く。その柔らかい表情が見知った少女のものに思えず、ヒルメスは目を細めた。
 最初で、最後。自分が唯一、面倒な感情を向ける相手。恋も愛も、目の前の少女にだけ向けてきた。
 その少女が、大人の女性になった。そこに感じるのは、喜びと愛しさの他にない。
 あと数年も経たぬうちに、アイラはすっかり大人になってしまうのだろう。きっと柔和で聡明な女性になるのだろう。
 ――どれほど待ち遠しいことか……。
 美しく成長したアイラを腕に抱く、その日が。自分の隣に並ぶアイラを見る、その日が。
 だが今はまだ――

 もう一度、ヒルメスは少女へと手を伸ばした。
 ためらいがちに伸ばされたその手は、血の気を取り戻してわずかに上気するアイラの頬を優しくなぞる。
 アイラが嬉しそうに頬を緩めてヒルメスを見る。
 触れた手が拒否されなかったことに、ヒルメスは自分で思うよりも深く安堵した。

(お前のすべてをもらうその日が来るまでは、今までと変わらぬ距離でお前の成長を見守ろう)


その日が来るまでは



【あとがき】
 珍しくヒルメス視点のお話で、なおかつ女性の日ネタという……好き嫌いがわかれそうな話ですみませんm(__)m
 ヒルメスは絶対、女性の機微にうとそう(笑)
 言い訳と言いますか、もしヒルメスと夢主がずっと一緒に育ったとしたら、こんな話もあっただろうな、と書いてみました。
 書きながら、ヒルメスがちょっと不誠実かなとも思いましたが、あえてあからさまな表現で書きました。
 ヒルメスと夢主の歳の差は四歳ですし、この時期の歳の差は顕著に出ますよね……。
 ということで、ヒルメスが16、7歳くらいの話でした。


 


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