「リンドウの花を君に」短編
□波の子守唄
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《アニメアルスラーン戦記―風塵乱舞―放送開始記念小説》
・IF編「幸」設定。未来捏造
・ヒルメスと夢主の娘が登場
・ヒルメス視点
* * *
夜もすがら、子守唄のように優しく耳朶をくすぐる波の音。
岸壁に打ち付ける荒波と、砂浜に寄せるさざ波とが、不思議な調べを奏で合う。
海深く、空高い、パルス南部の港町ギラン。
真昼は船乗りと商人たちの喧騒に溢れるこの街も、夜半には、人の子とともにしばしの眠りにつく――――
豊かな海の恵みに祝福されたこの街が、ヒルメスには好ましい。
ようやく手にした安らげる場所である。好ましく思わないはずがない。
増してここにはヒルメスの愛するもの、すべてがある。
それは、地位や名誉、あるいは玉座などではない。どんな権力も、数多の王も、ヒルメスが得たものに比べれば、なんという価値もない。
そう思えるほど、ヒルメスの心は満たされていた。
中天に差し掛かった月の淡い光が夜闇と溶け込み、ほのかな明暗を作り出している。
波の音にそれとなく耳を傾けながら、寝台で微睡んでいたヒルメスは、かすかな物音を聞いて意識を浮上させた。
首だけを手繰らせて、辺りを伺えば、掛布の端がもぞもぞとわずかに動いている。
目を細めたヒルメスの口元が、薄い笑みを刷く。
隣で寝ている妻を起こさないように静かに上体を起こせば、自分が起きたことに気付いたのか、掛布にもぐり込んだもぞもぞの正体は、ぴたりとその動きを止める。
しばらく無言でいたヒルメスは、おもむろに掛布の端をめくり、そこに丸くなる小さな体を抱え上げた。
「とうさま」
鳥のさえずりを思わせる愛らしい声音。舌足らずに自分を呼ぶその口を、ヒルメスの指がそっと抑える。
「静かに。母様を起こしてはならぬからな」
かあさま、とはもちろんヒルメスの母親のことではない。ヒルメスの寝所にはばかりもなく忍び込んできた少女の母親のことだ。
こくり、と小さな頭が上下する。月の光を浴びて、少女の亜麻色の髪がさわさわと揺れて輝いた。
ヒルメスが母親似のその髪を数度撫でると、少女はふわりと微笑む。
「眠れぬのか?」
ごくごく抑えた声で尋ねると、少女はきゅっと唇を引き結んで、ヒルメスの夜着の端をつまんだ。
そして、やはり母親似の翡翠色の瞳が、ヒルメスと、彼の隣に眠る母親との間を行き来する。
その瞳はもの言いたげで、ヒルメスは少女が口を開くのを辛抱強く待った。
―――こうしてみると、昔のアイラにはあまり似ておらぬな。
少女を自分と妻の間に寝かしてやりながら、ヒルメスは思った。
幼い頃のアイラは、万騎長たちも手を焼くほど活発で、天真爛漫で、はきはきした物言いをしていた。
目の前にいる少女は、どちらかと言うと大人びた性格で、外で遊ぶよりも本を好むし、聞き分けも物分かりもいい。
それだけなら、手がかからない利口な子供だと思うが、その分、自分の気持ちを口にするのも苦手なようだ。
―――いったい、誰に似たことか。性格もアイラに似ればよかったろうに。
「とうさま」
思考の海に沈んでいた意識がたちどころに浮上する。呼びかけに応じるように、ヒルメスは小首を傾けた。
「ここでねてもいい?」
あまりわがままを言わないこの子にしては珍しいことだ、とヒルメスは思った。
思わず小さく目を見張ったヒルメスの様子に、少女は勘違いをしたらしい。
叱られてもないのに、叱られたようにしょんぼりとしてしまっている。
なまじ妻と同じ顔をしているだけに、悲しむ様子をみるのはヒルメスにとっては耐え難い。日ごろもその理由で少女を甘やかして、妻に小言を言われるのは日常茶飯事だった。
だがしかし。目に入れても痛くないほど愛らしいこの子を、どうして怒ることなどできようか、とヒルメスの眦は下がる。
その様子を彼の妻が見ていたならば、昔の彼からは考えられないほど柔らかい表情に、目を丸くさせていたことだろう。
「ならぬ、とは言っておらぬ」
その言葉を聞いた途端、少女のかんばせが花がほころぶように明るくなった。
怒られなかったことで勇気づいたのか、少女はぽつりぽつりと話し始めた。
「あのね、ここのとこ、かあさまはいつもつらそうにしているでしょう?」
ヒルメスは無言で首肯する。
アイラは今、二人目の子を宿していて、ここ最近はずっと酷い悪阻に悩まされていた。
こうしてヒルメスと少女が枕元で会話していても、一向に起きる気配がないのは、体力が削られて深い眠りに落ちているからだろう。
ヒルメスはちらりとアイラの寝顔を伺った。夜目にも少しあまり顔色がいいとは言い難い。
こればかりは仕方ないことかも知れないが、苦しむ妻の姿をただ見ているしかできないというのも、かなり堪える。
思えば少女を身ごもっていた時も、アイラの体調はあまりよくなかった。
あの時ほどうろたえることはもうないが、あの時も今も、心配であることには変わりない。
「それでね、リラ、わがままをいって、かあさまをこまらせないようにがまんしてたの」
そう言えば、抱っこをしてほしいとも、外に遊びに行きたいとも、久しく聞いていなかったと、ヒルメスは過去の記憶をたどる。
―――なるほど。母親恋しさに、寝所にもぐり込んできたというわけか。
ヒルメス自身も昨日まで商隊の護衛で家を空けていたから、少女はさぞ寂しい思いをしていたに違いない。
それでも、眠る母親を気遣って、無理やり起こしたり、駄々をこねたりしないあたりが、母親に似て優しい少女らしいことだ。
「ひとりでねるの、さみしくて……だから、ここでねてもいい? リラ、じゃまじゃない?」
大きな瞳を潤ませながら少女が言う。
ヒルメスは嗚咽を堪える小さな背中をそっと撫でてやりながら、ずり落ちかけていた掛布を少女と妻の上にかけ直した。
その指はそのまま、少女の眦にたまった涙をぬぐう。
もちもちとした柔らかな頬を数度くすぐって、ヒルメスは逡巡しながら口を開いた。
「……もう遅い。早く寝ねば明日起きられなくなるぞ」
妻であれば、気の利いた言葉のひとつやふたつ、思いつくのだろう。考えても思いつかない己に、ほとほと呆れがつのった。
それでも少女は素直に頷いて、父親の手に小さな両手を絡ませて目を閉じる。
「―――だいすき、とうさま……」
半分寝言のようなその呟きに、ヒルメスは何度か瞬きを繰り返した。
少女の言葉も、握られたままの手も、何とも言えないくすぐったさと共に、ヒルメスの胸を熱くする。
いつからだろう、そうした感情が、色鮮やかに輝くようになったのは。長い間見過ごしていたその感情に色を付けたのは、他ならぬ最愛のひとだった。
安心した様子の少女を挟んで眠る妻の様子を伺う。顔色こそあまり芳しくはないが、その表情は娘と同じであどけない。
子を宿した妻は、以前にも増して幸せそうに微笑む。悪阻に苦しんでいるときでさえ。
無意識に伸ばした手で、アイラの腹部をそっと撫でる。羽が舞い降りるより軽く、ひとしきり撫でて満足する。
「―――お前も健やかに、無事に生まれよ」
できることなら、母をあまり苦しめることなく、と口の中で付け加える。
数多の王も手にできない幸福を手にしたヒルメスは、傍らに眠るぬくもりを感じながら、静かに目を閉じた。
波の子守唄に、眠りの小道へといざなわれる。
ひとも、まちも、ひとときの眠りにおちていく。
月が沈み、太陽が昇るまで、波は子守唄を奏でつづける――――
波の子守唄
【あとがき】
アニメ第2期の記念に何か書こうと思い、PCに向かうと、いつもと違う雰囲気の小説ができました。
父と娘の会話ってこんな感じかな?と想像しながら書き書き。
ヒルメスは言葉よりも態度で娘を甘やかしそう。
IF編「この命に祝福を〜」で赤ちゃんの扱いに困っていたヒルメスも、いつも間にやら立派な父親になって……(泣)
と、書きながら思わずしみじみとしてしまいました(笑)
さてさて本題。
本日よりアルスラーン戦記―風塵乱舞―が放送開始されますね!
なにを隠そう、舞台はギラン!待ってました!!
新キャラも続々。ギラン組はシャガードとかグラーゼとか。
個人的にはメルレインが中々のイケメンで楽しみです。
あとはヒルメスとイリーナのお話も楽しみ!
あとは……、って書き切れませんね(笑)
ともあれ、アル戦第2期、皆様と盛り上がっていきたいと思います!